自分の本音を認めると楽になる。
昨日、私は私の本音、本当の願いを、今まで自分には無理だと思い、ないもののようにしてきたんだな、と思うことがありました。
昨日、ある会に参加して、その団体のトップにいる方とお話しをするなか、はっきりと気づかせてもらいました。
精神的自立
経済的自立
どっちを得たい?
単刀直入に急に聞かれたとき、咄嗟に
両方得たい、
そう応えていました。
独身時代、安月給で一人暮らしをしていた頃から今も変わらず、両方できていない、という自覚がありました。
経済的にも精神的にも、これ以上何か自分に負荷がかかることがあったら、ひとたまりもなく私は崩れていってしまうのではないかという、漠然とした不安に、押し潰されそうな気持ちがかつてありました。
外側はどれだけ平安であったとしても私の内側はいつも不安に取り憑かれ、脅かされていました。
あの頃を超え、セラピーを受け学び、あれほどの大きな不安の塊はなくなった、という自覚もありつつ、まだまだ脆弱だ、というのは夫と再婚してからの方が認識できました。
夫を優先し、自分を優先する、自分に集中するが難しく、いったりきたりする感じ。
1歩進んで2歩下がる。
そんな状態を繰り返しながら、自分の活動をはじめられるようにはなりましたが、なかなかどんどんとん前進するとは行かず、停滞していました。
それは他人軸の生き方がデフォルトだったので、自分軸が足りないから、と頭ではわかっていても、そう易々と変えられないのです。
経済的にも精神的にも自立できていない自分が、夫という身近な鏡になる人ができればこそ、その鏡に映る自分をはっきり認識できるようになりました。
が、夫と一緒にいればこそ、ずっと精神的にも経済的にも自立し、20代からバリバリと第一線で働き続けてきた女性たちといると、自分との圧倒的な違いが分かります。
私のように他人軸で依存した生き方を長年してきたものの在り方と、彼女たちの自分を軸に据えた長年の在り方の違いは、もう違い過ぎてどうしようもない、とその差に圧倒され、私には無理だ、という思考になっていました。
が、私は自分には無理だ、と顕在意識では思いながら、そういう人たちのいる集まりの中にちょくちょく足を運ぶ、ということを無意識にしていました。
そして、圧倒的な違いに落ち込みながらもそういう交流を楽しみにもしているという、謎な状態が続いていました。
私もそうだった、というようなことをその団体のトップ方が、また、最近友人がそっちにいきたいからだよ、と言い、あー、そうか、私が無意識に何となく選択していることに私の本音は出ていたんだな、
と気づかされました。
ああいう在り方になりたい、
と口に出して認めるにはあまりにも現在地の距離が遠すぎて、私には無理、とそういう欲求を無いもののようにしようと思っていたけれど、
本当はああいう在り方でいたい、
ああなりたい、
そう思っていたんだね、
自分の奥にあった本音を認めてあげたら、なんだかすごく気持ちが楽になりました。
自分ができるかできないかはさておき、
自分の本音を認めるとこんなにも楽になるんだなあ、と感じました。
本当にやってみてダメだったら、潔く諦められるよ。
私も最初はやってみてダメだったら諦めよう、と思ってやってきた、と私には到底できない!!というような偉業を、普通の主婦だった10年前から今は会社経営者としての日々を送る、素敵すぎる女性は大きな瞳を輝かせて話してくれます。
何かを成し遂げてきた人は、人に見えない力を何もしなくても与えてくれます。
自分の不甲斐なさ、痛みをしっかり認識し、乗り越えてきた人ほど、人に与えるものが大きいと感じます。
毎日生きるだけでやっとだった私が、人並みに普通にご飯が美味しく食べれるようなりたいということが最大の願いだった私が、どこまで自分の本音を採用し、自分の可能性を信じて前進していけるのか。
自分で実験し、同じように痛みだらけである人がいたならば、そういう方に希望を届けられるようになりたい、と思います。
どんな人も人を導く力があります。
導き、導かれ、切磋琢磨して成長できる仲間にどなたもが恵まれますように。
お読みいただきありがとうございます。
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