見出し画像

問題はすべて自分がつくり出している。

私は先月からスピリチュアルヨガセラピー、というものをオンラインで自宅で受けはじめました。


身体と心にアプローチするヨガを、呼吸とともにじっくりと、自分の身体と向き合いながら動かしていきます。


かっこいいポージングをとるヨガではなく、地味ながらしっかりと身体と心に効く、効かせていくさまざなポーズ。


受けていて、これは本当にセルフセラピーだな、と感じています。


こうしてセルフでどんなことでも整えられたら、外部の何かに頼る必要がなくなるので、本当の意味での自立だよなあ、と。


地味だけど、1時間しっかり動かしたあとは、身体全体が緩み、痛かった場所の痛みが相当緩和されます。


緊張していない身体ってこういう感じなんだなあ、と気づきます。


私は20年以上の強い緊張状態からの噛み締めで、奥歯が磨耗して歯が欠け、マウスピースが無ければ歯を失っていた、というくらい身体中の緊張を解くことができない日々を続けていました。


思春期から安定剤や抗うつ剤で身体を緩ませないと身体が緩まぬ時代を経て、いろいろなアプローチで少しずつ緊張が緩和され、薬を手放し、マウスピースを手放し、と身体も心も変化させてきました。


が、いまだ緩ませるということが下手であり、幼少期に培った警戒、危機モードの脳の働きで身体が習慣化され、無意識に身体を緊張させやすい、と感じています。



ヨガの先生が、お話しするなかで



「この言葉は受け入れがたい人もいるかも知れませんが、  


病気も不調もあらゆる問題も、自分がつくりだしている、

というのが、ヨガ的な考え方なんです」とおっしゃいました。


本当にそうだなあ、と自分を顧みてもつくづく思います。



私は15歳で摂食障害になる、という形で母の期待から降りることができました。



身体も心も壊した代償は大きかったけれど、母の多大な私に対する期待、家族関係に翻弄されて高い緊張状態にいるのが常だったのが、病気になって、家族のバランスをとろうと動く意欲さえもなくなる、そして病気ならばそれも暗黙に許される、そんなメリットを私は得ていました。



もちろん無意識ではあるけれど、私には病気になることでその真の目的を果たせる、というメリットがあったのです。


その成功体験から、私の無意識は、不調になることで、何かを手に入れるということをやっているのかもしれない。


大人になってから、心にアプローチすることをしていくほどに、知覚、自覚できるところがありました。


が、自分の真の感情を味わい、感情を感じとって出してもOKなことを長い間禁じて生きているので、


今、本当はどんな気持ち?



ときちんと時間を取って、小さな子どもに語りかけるように自分の内側へ問いかけてあげないと、スルーや抑圧を無意識にしてしまう。



だから私も、私のように抑圧が強い人たちはみな、どこか生きづらいという感情を味わってきたわけですが、逆に表面的にはやたらに元気でポジティブ思考の人も、深層は同じなのではないか、と感じています。


今日ヨガの先生が、元気過ぎるのもよくないけれどね、というようなことをおっしゃり、やはり、と思いました。


元気過ぎる人にも何か違和感を感じていたからです。


そこには自然体でない、その方から緩んだ心地よさではないもの、要は緊張を側にいて感じるからです。



本当は内側にいろいろな感情があるのに、自分が認めていない。



明るく!元気に!波動を上げなきゃ!



そればかりで、本当の気持ちを感じることを自分に許していない人は、他人にも認められず、自分の意見を押しつけがちになります。


気が上に上がり過ぎていて、一緒にいてなんだか落ち着かない、リラックスしにくいと感じます。



本当に内側が整っている人は、やたらに元気すぎず、元気が無さ過ぎず、中庸、自然体なので一緒にいることに緊張がなく心地よい。



何ものにも執われず、そんなニュートラルな状態の在り方にしていく、とヨガを受けながら今とても感じています。


あらゆる執われから誰もが解放され、ニュートラルに、どっしりと、でもしなやかに生きていける人が増えていきますように。


今日もお読みいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?