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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたもりおゆうのライフワーク画集。誰の心にもある遠い日の思い出を200枚を超える水彩画で・・・毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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#生活

昭和のレトロマッチ箱を描く③

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ240枚目 僕は昭和の時代のマッチ箱を描くのが好きだ。 デザインが可愛く、レトロ感もあり、描いていて楽しいのだ。 今回でシリーズ第三弾になる。 上の黄色い正四角柱のマッチなども懐かしい。 その左側のマッチもお寿司屋さんの定番デザインで全国に似たようなマッチ箱が幾つもあったように思う。 昭和のサブカルチャーだったマッチ君たち。 コレクションしている人もいらっしゃる。 わかる気がする。 懐かしいサブカルチャーだ。 第4弾をどうぞお楽し

「小鳥屋さん」昭和の街角

「僕の昭和スケッチ」画238枚目 上の絵は小学校の通学路に昔あった小鳥屋さんの記憶を描いたもの。 子供でも小遣いを数日貯めれば買えるような値段で売られている小鳥達もあり、命の安さに子どもながら驚いた記憶がある。 昭和40年代が最盛期だった小鳥ブーム。 柳ヶ瀬近くの街角にあったこの小鳥屋さんも今はもう無い。 今日はこの絵を見て頂ければ、僕はもうそれで充分。

「クリームソーダを頼めなかった15歳」

「僕の昭和スケッチ」画237枚目 クリームソーダを男が喫茶店で頼むのはちょっとハードルがある。 馬鹿馬鹿しい話であり、今時こんなことを言うのも憚られるが、「男子たるものクリームソーダなんぞ頼んで良いのか」という躊躇いがある。 特に高校時代に喫茶店に行き始めた頃などは、なかなかクリームソーダは頼めなかった。何となく子供っぽく見られるような気がしたからだ。それに、そんな女子ども(失礼!)の頼むようなものを口にしたら、連んでいた仲間達に何を言われるか分からなかった。それで、コ

「母と伊勢海老」信心と殺生

「僕の昭和スケッチ」画235枚目 ある時、大きな伊勢海老が我が家にやってきた。 客が土産に持って来てくれたもので、「塩茹でにするだけでええでね」と客は言って帰った。昭和30年半ば頃のことだろうか。 客が帰った後でお袋は言われた通り、大鍋に水を張り伊勢海老を入れるとガスに火をつけた。 湯が温まってくると、伊勢海老は苦しいので鍋の中でガタガタと鍋を揺らして飛び出ようとする。お袋は,「そうはさせじ!」と上から力一杯鍋の蓋を抑える。 鍋の中で苦しむ海老を哀れと思ったのか、そ

「竹の子族現る!」原宿ファッションs55

「僕の昭和スケッチ」画230枚目 「竹の子族」なる若者達が原宿歩行者天国に出現したのは昭和55年。 派手な服装でディスコサウンドをバックに彼らはちょっと奇妙なステップダンスを踊り原宿名物になった。竹の子族に憧れる若者達も次々に現れ、マスコミも大いに賑わせたものだ。もちろん、彼らに眉を顰める大人達もいた。 僕にとって竹の子族というのは、上のイラストのような感じだ。 個人的には別段竹の子族が好きとか嫌いは無く、世代差があってか、この竹の子族の奇抜なファッションには全く興味を

「給食ソフト麺」豊かになっていく日本

「僕の昭和スケッチ」イラスト229枚目 <学校給食> 僕らの時代の給食はそんなに美味しいものではなかった。 脱脂粉乳のミルク*が出されていた時代だ。 途中でチーズなるものが登場するが、これも臭くて石鹸のようだった。今の美味しいチーズとは似て非なるものだ。戦後の僕ら貧乏小僧を救おうと奮闘してくれた大人達には大変申し訳ないのだが、この脱脂粉乳とチーズは僕らを苦しめた二大悪魔だった。もう昼休みなのに、臭いチーズを細かく割って少しずつ飲み込んでいた女の子もいた。残すことは許され

「フランスキャラメルはジェンダーフリー」

「僕の昭和スケッチ」イラスト228枚目 不二家さんの名誉のために最初に言っておくが、フランスキャラメルは女子だけのキャラメルだった訳ではない。 もちろん、男子も買ってオッケー。 ジェンダーフリーだ(笑) でも、正直って僕は子供の頃にこのフランスキャラメルを買いづらかった思い出がある。 そりゃあ、なんて言ったってこのパッケージ! いかにも「女子!」 だよね(笑) 店内に並んでいるこのフランスキャラメルを手にして、恥ずかしそうに店のおばさんの所に持っていったのも懐かし

続/レトロで可愛い昭和マッチたち

「僕の昭和スケッチ」画225枚目 以前にお届けした「昭和マッチ」の第二弾です。 昭和のマッチはデザインが可愛く、レトロ感もあり、マッチの絵を描くのがすっかり楽しくなってしまいました(笑) 絵の中央付近に書いたのはラブホテルのマッチ。 こういった類のものを持って帰ると、災いの方が多いように思うのですが、、、、(笑) 黄色いカナリアのマッチなどは、定番で同類のデザインのものが全国に幾つもあったのでは? 調べてみると黒ネコも酒場のマッチにたくさん登場している。 昭和のサブ

「四畳半フォークと呼ばれた時代」昭和の歌

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ224枚目 この記事は、先日の「フォークギター1本あれば/昭和の歌」の続きです。 大学紛争や反戦運動も終わりを告げた頃に僕らは上京した。 わずか数年前の事なのに、若者たちが引き起こした新宿フォークゲリラ(1969年)などまるで嘘のように静かな新宿の街だった。駅の構内にはTVで見たような反戦ビラを持った若者の姿はなく、京王デパートの前に手製のネックレスや安っぽい革製品を売るフーテン*が座っていた。流行りのロングベストを着て。 さて、一世

「シベリアケーキは何故シベリアケーキ?」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ223枚目 シベリアケーキは羊羹、もしくは餡子をカステラで挟んだ和製洋菓子。 三角形のものと四角のものがある。 誕生は明治後期から大正とされるがはっきりとした記録はない。 このお菓子、昭和の初期には子どもたちが食べたいお菓子No.1だったというが、僕の子供の頃、つまり昭和30年代では既にこのお菓子はどこかレトロなお菓子という印象だった。 誰かのお土産でこのケーキを貰うと、お袋は言ったものだ。 「あれ、懐かしい。シベリアやね!」 と。

タバコの時代/昭和

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ215枚目 昭和はタバコの時代だった。 昭和41年の喫煙率はなんと83.7%*! 大袈裟ではなく、みんなタバコを吸っていた (o^^o)💦 「タバコはカッコイイ」が通用した時代だ。 僕も昔は吸っていた。 昭和の街角にはタバコの吸い殻がどこにでも落ちていた。 神社、仏閣、公園、映画館、電車の中、バス停、、、 食堂やレストランのテーブルにもごく普通に灰皿が置かれていた。 新幹線の座席にだって肘掛けの所に小さな灰皿が設置されていた。 今

ミシンを踏む音、暮らしの音

「僕の昭和スケッチ」絵と文/213枚目 カタカタカタ カタカタカタ カタカタカタ カタカタ カタカタカタ 2階の廊下で母親がミシンを踏む音が階下に聞こえてくる こっそりと 階段を登って 廊下のはじから顔を出す  カタカタカタ カタカタカタ 母親の足がリズミカルに踏み台を踏んでいる 開け放した窓から日差しが差し込んで ミシンと母親の足元を照らしている 母親の足はだいこん足だ ちいさな埃が日差しの中にゆらゆらと漂っている なんだか いい気持ちになる カタカタ

「ボンカレーの出た日」インスタント時代

「僕の昭和スケッチ」210枚目 ボンカレーは保存料や殺菌剤を使っていない ボンカレーが大塚食品から出たのは1968年(昭和43年)の事。 意外と知られていないのだけれど、ボンカレーは保存料や殺菌剤を使っていない。 賞味期間の長さから合成保存料や殺菌剤を使っているような勘違いをされがちなボンカレー。発売当初は尚更で、その誤解が当初ボンカレーの売れ行きにブレーキをかけてしまったという。 「どうせ、薬をいっぱい使ってるんだよね」 そう思った人は非常に多く、今もそんなふうに思

「赤トンボのいた夕焼け空」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ206枚目 赤とんぼが好きだった。 竹垣の先などに止まっているのを見つけて駆け寄ったものだ。 だが、捕まえようとは思わなかった。子供心に何故か赤とんぼは捕まえてはいけないもののような気がしたからだ。 思い出すのは、秋の夕暮れ時。 まるで凶兆かと思うほど無数の赤とんぼが茜色の空に飛んでいた。 あまりの数の多さに驚嘆し、ポカンと大きな口を開けて見上げていたのも懐かしい。 そんな赤とんぼだが、次第に姿を見なくなった。 原因は稲作に殺虫剤