この親の元になんで生まれてきたのかな?



私が高校の頃、母はサラ金に手を出して、
うちは借金がどんどん膨らみ、それを隠すために
母はどんどん嘘を重ねた。
嘘をつかないで!泣いて訴えてもダメだった。
バレる嘘ばかり。
借金がバレて、それは結局、母の両親が肩がわりしたけれど、でも、なんの借金だったのかは、
いまだに不明。
父は会社員だったけど、かなりの低収入で、生活費の補填をし続けるうちにそうなったのかなとは想像できるけど、本当のことはわからない。

私は、かなりの貧乏な暮らし、嘘を重ね続ける母、何もできない父、何もできない自分、おしゃれに華やぐ周りの友だち、、、諦めた海外留学、日々惨めでたまらなかったな。

当時、借金騒動が明るみに出る前、高校生の私に、母の知り合いから子どもの家庭教師を頼まれた。
普通、家庭教師を高校生に頼むことはないだろうに。そこそこ成績の良かった私は不思議に思いながらも、引き受けた。
後で知ったが、
その知り合いに、母は何度もお金を借りに行っていたのだ。困ったその知り合いは、私に家庭教師と言う面目で、お金を渡すことで、母からの金の無心を避けようとしてのだ。
家庭教師で得たお金をそんなに使うこともなく、貯金通帳にためていたら、ある日勝手に母から1000円だけ残してあとは全部引き出されていた。
通帳には、唾でその書き込みを消そうとこすったあとまであった。母はなかったことにしたかったのだ。
支払いに充てたのだろうけど、そんなことは何も知らない15歳の私は、怒りとショックで、いっぱいだった。

なんで、こんなところに生まれてきてのかな。
生まれてくるんじゃなかったとそう思った。
嘘をつかれることが嫌で嫌でたまらなかった。
みじめでみじめでたまらなかった。

なんで生まれてたのかは、それから長い間かけて考え続けることになり、ようやく最近、自分なりに決着をつけた。 
その決着は、自分がこのストーリーを選んで生まれてきたのだ、と納得することだ。
高校生のころは、そんなこと、うけいれることもできなかっただろうけど、50歳すぎて、
私が人生前半につくった物語は終わったなと思った。
ここにかくのは、次の物語を始めるために、第一幕を閉じるためだ。
 
 
高校生のころはとにかく惨めだったので、
もし、自分の子どもが生まれたら、自分の子どもにはこんな思いは絶対にさせない、
と思った。

でも、その時の出来事だけなら、
そんなふうに思わなかっただろうなー。
そもそもの始まりがみじめだったけど、
そこを感じないようにめいっぱいがんばるって事で、
感じないようにしてきただけで、、、

そう、生まれる前から私がそう言う親を選んだのだ、たぶん。かなりの変わり者、もの好きとしか言いようがない。あほだな。。。

私が生まれる前に選んだ両親は、、
二人とも大変な歴史を生きていた。

父は早くに両親を亡くし、12歳で、終戦を満州、現在の北朝鮮で、迎えた。捕虜として捕らえられたのち、そこから命からがら姉と共に38度線をこえて、日本に帰ってきた。
相当の苦労があったようだ。父は親戚を頼って日本に戻り、姉と田畑を耕しつつ中学をでて、高校進学を諦めた。
中卒のため父は生涯、低収入となる。技術を学ぶ専門学校を出て、そのままきつい仕事についた。
高校は受験だけはしていたらしい。当時の地元の公立高校に、父は受験して、1番の成績で合格していた。入学を辞退したので、わざわざ成績一番だったのにと言う学校側からの問い合わせがあったからわかったことのようだ。
あとからずっと、高校さえ出ていたら、もっと安定した給与の多い〇〇企業に入れたのに。と後から姉たちは言っていた。

母は、
戦時中に、超未熟児で生まれた。
両手におさまるくらいの大きさで、当時、あちこちの病院で助からないと言われた。らしい。
今なら保育器に入れられて手厚い医療が受けられるだろうに。
母は、何故か生き延びた。戦時中の食糧難の中、ジャガイモの汁で、大きくなった。
母は、生後半年で実母を亡くした。
未熟児を産んだショックか、産後の肥立ちが悪かったのか、その人は亡くなった。私の祖母にあたるが、写真の顔すら見たことがない。
ともかく、助からないはずの赤ん坊の母は生き延びて、かなりの発達の遅れもあり、4歳まで立てなかったそうな。
栄養もたいして取れなかった時代だし。
母が生まれた時に、その父親である私の祖父は、戦地にいて、戻ってきたら、嫁が亡くなっていたと言うわけだ。
祖父の兄弟は、嫁を残して戦死していたので、
祖父とその兄弟の嫁は子連れ同士で再婚することにしたらしい。
当時はよくあった話かもしれない。
後妻としてきたその人は、気位の高い、やり手で、何でも思うことを口に出さずにいられない、きつい性格の人だった。
母は、この女に散々虐待されて育ったらしい。
朝一番に起きて、ニワトリの餌やりをするのは幼い母の役目。
勉強のできる他の兄弟との差別。
理不尽な扱い。
家族の中で、まともに扱われたことのない、いつも、馬鹿にされ虐げられるのが母だった。
いつも、誰かに馬鹿にされる、まともに人として扱われない、それが母だった。祖父は、愛情のある人だったけど、後妻が強くて、いつも母を巡って、祖父と後妻は喧嘩になっていたらしい。

そんな父と母は、見合い結婚をした。
母は、体良く、家を追い出されたようにみえる。
だいたい、
母の父親は歯科医で、その兄弟に医者の多い家系だった。
父は両親を亡くした中卒の低所得者だ。
つまり、歯科医のお嬢さんが、嫁に行くと考えたら、見合い結婚になりにくい状況のはず。
でも、両親を亡くしたという父でないと、もらい手はなかったのだろう。
なぜ、父は母を受け入れたのか、今でも謎だ。
母は、父に、助けを求めたのだろうか。
あの家を出たい、と。
わからない。

ともかく、そういう二人は結婚した。
そして、第一子として生まれたのが私だった。
そんな両親を選んだ私は、あほだ。
波乱万丈を体験したかったんだな、たぶん。

つづく
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