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B面的つれづれ。

ずっと身体がしんどい日々が続いていて。

起き上がれないし、お昼はずっと寝ている。

ちょっとよくなったとおもったら

違う方面から飛来物がやってきて、被弾。

またバッタリと倒れ伏す。


身体がしんどいと、思考もネガティブに傾きがちで。

「私には何もない」
「私は何もできない」

とぐるぐるしてしまうし

「一体私は何だと思われていたのだろう」
「一体何を求められていたのだろう」
「一体何を応援されていたのだろう」

と、あー結局この気持ちがぬぐい切れていないのだなあーというところに引きずり込まれてしまう。

で、そんなネガティブ沼にはまっている自分を俯瞰しながら
(これができるようになった私、ほんとうにすごーーーーい!!!)

結局、

求められたい。
役立っていたい。

っていう、ところなのよねーと。

それは人間の根源的欲求なんだろうな、とつくづく思う。
吉藤オリィさんが、そのようなことをおっしゃっていた。


余談
少し前まで私が身を置いていた場所は、人間のそういった欲求をインスタントに満たせる仕組みがものすごくうまくできていた。そういう意味で、たくさんの人の心を救っていたのだと思う。でもその一方で、夢を叶えたいとか誰かの力になりたいといった<人が持つとても純粋な心>を食い物にしすぎているところがあって、私はもうその場所にはいられないな、と思った。


あまり着地点を考えずに書いておりますが。

夜の静寂さって、いいよね。


あまり自分の不調をオープンにはしたくない。
いろいろ不利になる気がするし、かまってちゃんぽくてヤダ。
言ってどうするの? って感じもある。

だから! あえて! 書いてる!
物事に良いも悪いないもないのです本来は!!!!!!


でも同時に、そういうことも常にオープンにしてたほうが楽なのかもしれないなあっていう気持ちもある。坂口恭平さんとか、そんな感じ。

プロ奢さんは確か「不調でもそれが表に出ないような仕組みを完璧に構築してる」みたいなことをおっしゃってた。それはけっこう難易度が高い。

余談
プロ奢さんの10万円の記事すっごい気になる………。



南の島のハメハメハ王国の住人みたいに生きていきたい。


おやすみなさい。



あ。
でもやっぱり、書いていると、少し楽になってきます。
書くのは寝転がったままでもできるので。

書くこと、ありがとう。
書くこと、には癒しがある。
書くこと、に救われながら生き永らえてる。


おやすみなさい。

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