❸回避しなかったピンク
そもそも、マキが黒川と関係を持ったのは半年ほど前だった。ジム通いが初めてだった彼女は、度々話し掛けてくれる黒川に安心感を抱くようになった。
そのまま数ヶ月が過ぎて、マキはふと、然して遡る必要のない過去に経験した感情を、彼に抱いていることに気づいた。彼がいると思うととてもワクワクするのに、なぜか痛い。針でチクリと刺されたような時もあれば、まるでナイフで抉られたような、全て持っていかれる痛さの時もある。マキは己の恋愛感情に気づき、くらりとした。
そうしてあるとき、マキは黒川を食事に誘った。うっかりと言ってしまえば全て許されるのであれば、うっかりと。黒川は笑顔でよろこんで、と応えた。その夜、マキは家族のことをひととき忘れ、久しぶりに異性と楽しく食事ができた。しかし、彼女は黒川に結婚していることを告げている。きっとこれ以上のことなどないという安心感があった。だからこそ、それを免罪符に食事に誘えたとも言える。
それから数回食事に行き、4度目の食事の後、黒川はマキに「車でお送りしますよ」と言った。マンション近くのコンビニに着き、車内でしばらく雑談した。彼女はそろそろ、と車から下りようと思った瞬間、黒川の右手がマキの左耳に触れた。
「新しいピアスですね」
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