名もなきやまいたち

 私は、医学の教科書に載ってるであろう、心的疾患めいたものを持っている。視線恐怖症、不安神経症、強迫神経症、ヒポコン(病気ではないかと異常に怖がる)など。
 このように名前がついている病気はふたつの点で良い。まず、名前があるということは多くの人間が罹っている、ということでどんな病気か相手に伝えやすい。2つ目は自分が安心できる。後で説明するが、病気だけではなく名前がついていることで安心できるものは多いのだ。
 賢明な方はお察しかもしれないが、私は数個ほど(自分の知るところ)名前のない病気に罹っている。ドクターには、強迫神経症と離人症の一種で極めて稀なケース、などと言われたが、いやぁ多分それとはちがうで…と勝手に思っている。
 1つは、名付けて「失会話症」。症状としては、特に、親しい人や家族と話すとき「話す」ことを意識してしまい、どうやって話していたのかわからなくなる。結果的に、会話の間や受け答えがスムーズにいかなくなる。特に楽しく話した後など、プレッシャーに感じ、ならないように、ならないようにと思うと発症する。そういった意味では強迫神経症の部分も持ち合わせているのかもしれない。
 また、それを相手に悟られるのも嫌なので、普段の自分をできる限り思い出しそれらしい返事をしたり、笑っているのだが、全く楽しくない。寧ろ、つらい。困る。普段、どちらかと言えば楽しめに喋る方(だと思っている)から、相手がそういう私を望んで話してくれている場合、余計ぎくしゃくしてしまう。
 発症期間は、場合によっては永遠である。ふと気がついたら元に戻っている場合もあるのだが、人によっては、会う度にそうなる。本当につらい。相手にバレているのかもわからない。誤解されがちなのだが、喋る内容がなくて、人見知りで、というわけでも嫌われないように気を遣ってというわけでもない。あくまで、「会話」への意識のしすぎで、どう喋っていたのかわからなくなってしまうのだ。きっと理解できない人が多数いる。この辺が人に伝えづらい理由でもある。
 また、発症するきっかけはわからない。あえて言うなら、自分でたまたま思い出して意識したら、それはもう発症。そして、病院では抗不安系の薬しか出ず、まぁ一生のお付き合いだろうと思っている。
 他の疾患も書きたかったのだが、書いているとやはりそのことに囚われて症状が出そうなので、やめておく。
 名前のついていないものは、不安の種になりやすい。したがって、世間一般では排除されやすい傾向にあると思われる。
 夫婦でもカップルでもない外れたもの(不倫など)、LGBTなど、今は一般に認知され名前がついているから、まだマシなのではないだろうか。名付けられる前はどれだけつらかったことか。この宇宙に自分と同じものはいるのか、自分はおかしいのではないか、他の人に言えないような自分は嫌だ、と。
 また、このような、名前のない心的疾患に罹っている人は他にも絶対、いると思う。多種多様な世の中である。誰にも言えず、ひとり苦しんでいる人も、少なからずいるのではないか。   
 恐らく、実際の病気に対して名前が少なすぎるのだ。カバーしきれていない。できるなら、私と誰かの安心のために、積極的に名前をつけてもらいたい。
#エッセイ #病気 #病名 #心療内科 #名もなき  

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