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神秘探究-「無意識」はすべてを知っている「内なる力〔無条件の愛〕」を呼び覚ます


禅の修行では「知らない」という姿勢で対峠することを「初心」と呼び、その大切さを強調しています。専門家は対象をよく知っていると思い、その先入観があるゆえに新しい発見が見えないことがあります。

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しかし初心者は新鮮でバイアスのかからない目で物事を見ます。初心で臨むというのは、「先に根づいた考え」「解釈」「決めつけ」ももたずに人生と出会う力をもつことです。

頭が考えでいっぱいになっていれば、新たな学びを招き入れることも目の前に生じた現実をそのまま受け入れることもできません。

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これまで培った経験や知恵を捨てろという意味ではなく、新鮮な視点をふさぐ壁にしてはいけないという意味です。

「ゲシュタルトの祈り」は、ドイツの精神科医、心理学者である「フレデリック・S・パールズ」が創設したゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩です。

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原文)

I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.


訳)

「私は私のために生きる。」
「あなたはあなたのために生きる。」
「私は何もあなたの期待に応えるために
 この世に生きているわけじゃない。」
「そしてあなたも私の期待に応えるために
 この世にいるわけじゃない。」
「私は私。あなたはあなた。」
「でも偶然が私たちを出会わせるなら、
 それは素敵なことだ。」
「たとえ出会えなくても、
 それもまた同じように素晴らしいことだ。」

ゲシュタルトとはドイツ語で「全体・完結・統合」を意味しています。未完結な問題などの再体験を通じて”今ここ”での「気づき(自覚する)」を得る心理療法ですが、心と身体は一体であるという視点から、言葉だけではなく、非言語的な表現(無意識)も重視して、その人を深く全体的に理解しようとするのが特徴です。

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人は同じ刺激(世界)を見ても、知覚の仕方によって全く違うものとして認識します。私たちは同時に2つを認識することはできません。ですから、一時にどちらか1つしか、認識(知覚)することは出来ないので、すべてのことに気づいているわけでなく、むしろ、ほとんどのことに気づかずにいます。つまり多くのことを意識的(10%)にではなく、無意識(90%)に処理を行っていることは以前お伝えしました。

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気づかない場合には選択のしようがなく、いつもと同じ自動的な反応が起きること
になります。


錯視(目の錯覚)の一種とされることもあるルビンの壺(ルビンの盃・ルビンの杯)は、図(ず)と地(じ)の反転図形です。

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人が対象の「形」を知覚するためには、対象を背景から分離し、1つのまとまりとして認識する必要があり、このようにして知覚されたまとまりのある形を図を(figure)と呼び、その背景を地(ground)と呼びます。

ゲシュタルト療法では、意識的にどこに注意を向けるかによって、意識されずに「地」となっていた部分を意識の前面である「図」に反転させるプロセスを重視します。

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自分の体の声や感情に耳を傾け、「今ここ」で自分に何が起きているかに注意を向け、そして気づきを通して抑圧された無意識な部分を意識化させるサポートをします。

このようなやり方で今自分を抑圧しているかを知ることで新しい状況に対処することができるようになるというものです。

つまり「図」になってきたときに「気づき(awareness)」が起こり、他のものは背景「地」になっていくのです。


”真実の愛”とは、相手の「いのち」のかけがえのない尊厳さに目覚め、相手を本当に大切なものと思う心からでてくる慈(いつく)しみの心であり、決して憎しみに変わることがありません。

”慈悲”とは生きとし生けるものをあわれみ、いつくしむ心ですが、すべての者に楽を与えようとする(与楽)心を”慈”といい、苦しみを除いてやろうとする(抜苦)心を”悲”というと言われています。

すなわち、慈悲とは…人々の苦悩を同感し、痛みを共感しながら、人々の真実の幸せを、わが事として願い求めてゆく心です。

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それゆえ慈悲の「根源」には相手と一つに溶け合って、痛みを共感してゆくということがあるわけです。

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”仏陀”とは、
「智慧」と「慈悲」を完全に
実現されている方をいい、

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”菩薩”とは、
その徳をわが身の上に実現しようと
努め励んでいる方です。

万物は本来一如であると悟り、(現れ方は違っても真理はただひとつ)自他の区別を超えて生きとし生けるすべてのものと連帯し、万人の苦悩を自らのこととして共感し、その苦を抜いて真実の幸せを恵み与えようとする方を「仏陀」と呼んでいます。

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真実の愛とは「無条件の愛」であること…男性が愛する女性を守るために自らの命を投げ出し、恋人のためなら自分はどうなってもいいと考え、見返りがなくても
全力で愛することができるなら真実の愛を持っていると言えるのではないでしょうか…..

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