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自己紹介③(就職~退職~ライバー)

というわけで、ボクが社会人になって勤め、そこからライバーとして活動するまでの話に入ります。
それ以前の話を読みたい方はこちらから。

鳴り物入りってワケじゃないけど

専門学校での圧倒的な成績が功を奏したか、就職は実は苦労しなかった。某大手自動車メーカーのシステムエンジニアとして入社。
当時は大卒だけでなく高卒や専門卒の枠もあったのでそこにバッチリスライディングキック。

入社時の同期は10人。入社後1か月は研修ってことで、毎日プログラミングの本をみんなで独習したり課題をこなしたり、ビジネスマナーの研修を受けたり。そこまで突飛な内容ではなくていわゆる準備期間ってやつでしょうか。

採用の方針もあってIT系だからといって、バッキバキの理系だけじゃなくて、文系の方もいた。なので中にはプログラミング?なにそれ?って人も。

そんななか、ずーっとプログラミングをやってきてたから、研修自体は別になんとも苦労もなく。専門卒業までにいわゆるその手の国家資格もいくつか合格してたからいわゆるルーキー扱いだった(また調子に乗りそうになるが、子供の時にそれで痛い目に逢っているから控えめw)。

研修後配属が発表されるんだけど、同期の中では一番ハード(?)と言われる部署に配属。いわゆる即戦力を期待してみたいな。
今思えば、新卒が即戦力になるわけない。適性を見てってことよね。

そして配属。お客さん先で常駐のSE兼プログラマーってやつね。
結局のところ、プログラミングの技術も当然ほしいんだけど、別に超高度なものを作るわけでもないし、どちらかというとチームで保守するからいかに簡単なものを綺麗に整えながら構築するかって方が大切だったり。

すごい事ができる!っていうより、いかにシンプルな構成で目的を達成するか?の方が重要だったわけで。ちなみに今もその信念は変わりはなく。

極端なこというと、最新テクノロジーじゃなくても、その場所、その人員、その目的に最適であったら紙とペンと電卓でもいいわけで。

「手段が目的になってこじれてる人」っていうのが意外と周りにも多い。むかーしのブログでも整理したけど、問題解決の基本的なアプローチはまたこのブログで再掲するのでそれはそれでお楽しみに。
ちょこっとだけ触れると「当たらないマシンガンより、当たる輪ゴムの方が痛い。」「やってる自分に酔わない」この辺の話ね。

まぁまぁそんなこと色々感じたり日々勉強させてもらいながら数年は順調に働いていたかな。当時の職場の上司や先輩、お客様にはホント恵まれた。こればかりは感謝と自分の運をたたえるしかない。

もちろん大変な職場ならそれなりに得られるものもあるだろうけど、必要以上に精神削られて仕事するのは違うと思う。

違和感

順調に仕事をこなし、それなりに日々を過ごしていたんだけど、どうしてもどうしてもなじめない風習があった。
それは残業をする人が偉いっていう風潮。上司がいやその上か?が(ボクにとっては)化石の思考だから、早く終わって帰ろうとしても
「別に残業してくれていいんだよ。」とか、
「みんなもやってるんだし。」とか。

それはその部署だけなんじゃない?と思うでしょ。その企業は全体そのムードが漂ってた。ハッキリいって今でも気味が悪い。今はどうか知らないけど。これはボクのもともとの性格もあったのかもしれない。どちらが正しいか?は議論しないけど、少なくともちゃんとしてる人はほかの人が2時間かかる作業を1時間でこなす。その分ほかの仕事したら?なんて小学生でも答えは出せそうだけど。

事故からの転落からの居場所

これまでも波瀾万丈だったかもしれないけど、30歳になる手前に通勤途中で交通事故に遭う。
赤信号で停車してたら後ろから60km/hぐらいで突っ込まれた。
いわゆる過失はなかったんだけど、そこでケガをしてしまい、リハビリに通いながらの仕事になった。

別にサボる気はないし、病院の予約とかもあるからそれなりに早く帰りたいのにそれを良しとしない人たちが一定数いた。別に残業代なんていらねーし、普通に治療させてくれよと思っていた。
中には、慰謝料多く取るためにわざと病院通ってるんでしょ?とか言われたり。
いやいやいや、病院行く時間マジで無駄だから。その分何かしたほうがいいし。

わかってもらえなかった。そんなこんなで追い詰められて、精神的に病んでしまった。うつ病ってほどではないけど、明らかに体調がおかしい。不眠に始まり、変なタイミングの動悸。日中に頭が真っ白になったり。

交通事故だってなりたくてなったわけではないのに、基本的に性悪説でこの企業は管理してるんだなって感じながらのぶっ倒れ。

復帰と闘病と

キチンと手続して休職しその間にリハビリも完了して復帰。
しかしそこに待っていたのは中々な状況でした。

「精神的に弱い」「大きな仕事を任せられない」っていうレッテルが貼られちゃって。もうしょうがないよね、交通事故起因だとはいえ、もうそんな雰囲気が流れるといわゆる「使えないヤツ」としてのキャリアがスタート。

入社時に「よーし!出世するぞー!」とかの野望はなかったけど、完全にハシゴを外された。その後部署異動。
まぁ環境変わればまたなんとかなるかーて思ってたけど、そこに居たのは絵にかいたようなパワハラ野郎だった。

もうこれはいまさら、どうだったとは言えないし訴えたり、逆にほじくり返される筋合いもないんだけど、まぁそれはひどかった。
詳細は書かないし、その企業ではそれが正解だとしたら、ボクの思想は企業に対して不正解なのでボクが間違い。

今思えばもっと早く逃げ出せば?と思うこともあったけど、色々あっての今なので少しでもタイミング違ったら出会ってた人や環境も違うし、今は今でとても幸せなのでよしとしてます。

てなワケでそのパワハラ野郎にボッコボコにされて2度目の休職。
こうなると周りは完全にアイツダメだってなるよね。そりゃそうだ。

当時持っていたものはキレーに失いました。同時に家族も心労でぶっ倒れて経済的にギャーってなったし、周りにいた人もいなくなりました。

そんなこんなで、ボクはボクなりに絶望してたんですよ。
その時、精神系の病院で治療しながらもやることないから、ギターに打ち込んでました。大人になって本格的に。1日8時間はやってたかなぁ。
そりゃそこそこ上手くなるわ。
後に地元でライブ活動とかするようになるんだけど、こんな音楽やってました。

話それましたが、それで休職から復帰しても居場所なんてないですよね。最終的には別の会社に出向になって1からやり直す形に。そこで出会った方にはホントお世話になりました。今でもお付き合いあるかたも多い。
色々あったけど捨てたもんじゃないよ。って振り返られる今はホントに幸せ者なんだと思う。

結局は20年同一グループとして働いていた会社を辞めることに。
ちなみに、辞める手続きして会社から出て来たときの全身がしびれるほどの解放感は今でも忘れません。結局嫌だったのね。

フリーランスっていうけどさ

てなワケで退職。退職金もあったのですぐに職探しするつもりは無く。
とはいえ、ボク一人だけ生きていければいいっていう経済状態ではなかったので、ボンヤリと先のことは考えなければなかった。

当然のことながら、IT系の仕事をするのがセオリーでしょって思ってた。
もちろんほかの職業への興味はなかったけど、ここは効率的に考えてそりゃそこにいきつくわな。

いわゆる無職だったとき、本を読みまくった。とにかく読みまくった。多分半年で500冊ぐらいは読んだと思う。そこでいろんな価値観に出会ったのも事実。

世の中に対してどちらかというと興味がなかった。っていうとカッコいいけど、実際のところは無知。仕事して時に好きなことしてって過ごし方をしてきたから、あらゆる常識を疑わなかった。いいタイミングだったのかもしれない。仕事してお金もらって…は別に悪いことではないけど

「本当にこれがやりたかったことか?」とか
「もっともっと人生を充実させることはできないの?」っていう問いに正面から向き合ってなかった気がする。

無職になってからの時間、そんなことを真剣に考えだした。
もちろんお金がないと生活できない(ボク一人だったらどうでもいいけど、親に仕送りしないと成り立たない状態でもあったし)。

さてどうする?

と言いながらも縁もあって個人事業主としてITの仕事をいただいたり、ブログで収入作ったりして、生計はなんとか立っていた。収入は悲惨だったけど、会社員だったときとは違う生き方を経験していた。
とはいえ、このままだとしんどいからどこかで再就職しないといけないかな…なんて思ってた矢先。転機が訪れる。

大阪にて

10年来の友人2人と大阪に遊びに行こう!ってなったのです。
実はそれまでほとんど旅行にもいったこと無いし、行く余裕も無かった。経済的にも時間的にも。数少ない旅行の経験の一つである修学旅行も悲惨な思い出しかない(この辺は以前の自己紹介読んでください)。

まぁいってみるかーっていざ大阪へ。
いわゆる食い倒れってやつとか、通天閣とか、TVとかでよく見るグリコの看板とか。めっちゃくちゃ楽しかった。

そしてその晩。

当然のことながらコロナ禍の前の夜の大阪。
人、人、人。。。
煌びやかな恰好で夜の街を楽しむ若者。全身ブランド品を付けてお姉ちゃんを引き連れてるおじさん。地面で寝っ転がってベロンベロンになってるホームレス。奇声をあげながら横断歩道の手前でその場で回転してる人。

とにかくいろんな人がいた。

その時、自分がとても小さく思えて。
とはいえ、決してみじめな思いをしたわけではないです。

世の中こんなに広いんだ!いろんな人がいるんだ!
なんで、もっともっと自分のやりたいように生きてこなかったんだろ?!

って。

見る人が見たら、たかが大阪行って何衝撃受けてるのよって思うかもしれませんが、ボクにとってはその晩の光景が引き金だったんです。

「あ、もっともっとやりたいことやらなきゃ」
「失敗してもそうそう命とられるワケでもないし」
「結果はともあれやってみる」

こんな月並みなフレーズが身に染みた夜でした。
ボクにとっては人生観変わった日。
遅かったのか早かったのかはわからないけど、ボクにとっては最高のトリガーでした。

ちなみに、のちにライバーになって当時の運営様にインタビュー受けた記事の中にも、「結果はともあれやってみる」って述べてます。
これはその時からの想いだったりします。

ノリと勢いと全力と

そんな衝撃的な夜を過ごしてほどなくして転機が。

「新しいライブ配信アプリはじまるんだけどやってみない?」

スポーツクラブで汗を流した後に、夜中のファミレスで話を聞いた。

そう。LIVE812です。
声をかけてくれたのは、通っていたスポーツジムの会員でボクの音楽のライブにも来てくれてた方。ほんと人の縁って何が起こるか分からない。
当然ながら今でもその方には感謝しています。Aさんありがとう。

これから始まるアプリっていうことで、何がなにやらだし、そもそもライブ配信って何よ?って感じだったけど、もうその時には
「自分がチャンスと思ったら、来るもの拒まずやってみよう!しかも全力で。」そんなモードでした。

ライブ配信は投げ銭がいただける場所でもあるから、今の個人の仕事をしながら副業的にでもやれればいいかな。しかも人前で何かを披露するのが好きだからそれを応援してもらおう!ってな感じで、ライバーになることを即決意。実際にアプリがオープンするまでは半年近くありましたが、そこからボクの戦略は始まるのです(これはまた今度)。

振り返れば

言葉にするとシンプルになって響かないかもしれないけど、振り返ればこうでした。

  • 今のままでいいのか?っていう視点は常に持つ

  • 読書でもなんでもいいから新しい知見は取り入れる

  • 行ったこと無い場所で舞い降りてくるものもある

  • 「縁」は大切に。とにかく目の前の縁は大切に。

かくしてボクは普通のサラリーマンからライバーになっていくのでありました。



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