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自己紹介②(学生〜就職)

自己紹介の続きです。生まれてから中学生あたりまではこちらにて。

やっぱり陰キャな中学生

前回からの続きということで。なんとなく浮ついたやつだった僕も、親の仕事の都合で中学に上がるタイミングで引越し&転校することに。
ちょいと調べてみると、地元の小学校のいくつかがそこに入学するからまた新たに友達作ればいいやー、どうせみんなソワソワしてるでしょ的なノリでいました。

甘 か っ た 。

綺麗に元の小学校ごとのグループになっとるやんけ!笑
ほどほどに出席番号が近いやつと仲良くはなったりしたけど、派閥ってそういうものかしら。いわゆる「無所属」だったので友達はあまりできなかった思い出が。最初は苦労したけどそれなりに過ごしていたと思う。そこまで躍起にはなっていなかったけど、勉強もできた方かな。ものすごい印象に残った思い出ってそんなに出てこないけど、毎日友達と集まってぷよぷよをやり込んだ結果、めちゃくちゃ上手くなった気がする。

そんなこんなだけど、中学3年の頃にはやっと馴染んでいた。とてもいいクラスにいた気がする。実は同窓会的なものは一切声もかからず(転々としてるからっていうのもある)この歳を迎えたけど、中学3年の時のメンバーにはまた会ってみたいなーなんてふんわり思ったり。

成績がいい方だったので地元の進学校に進むことに。別に将来を見据えていたわけではないけど、良いとこに行っとけと言われて特に考えもなくそこに進むことにした。

高校に進むときに

さて、もうすぐ高校生になるわーといったタイミングで、両親が離婚。
細かいことはわからないけど、父親があらゆる面でだらしなかったみたい。

母親と妹と3人で引っ越しすることになるんですが、そこでビックリの現実を突きつけられる。ただでさえ裕福ではなかったんですが、夜中にドアをドンドンドンって金返せーって怒鳴られたり(今思えば違法じゃん)、ガスが止まった(支払ってなかった?)り。引っ越しの際に金目のものだけ先に軽トラックで運んだり(そのときには中学の同級生が手伝ってくれた。ありがとう)。これ夜逃げじゃん!って幼いながらに気づいてしまった。

そこから、輪をかけて貧乏に。とはいえ、もうすぐ高校生。
引っ越しの荷ほどき前の段ボール山積みの部屋で暗い電気の中、入学前に渡された鬼のような量の課題(進学校本気出してきた)を解いていました。

高校の学費は?と気になる方もいるでしょう。
公立高校だったので私立に比べたら安かった。
高校受験の時に母親に「私立はどこ受けていいの?」と聞いたら

「いや、公立単願で。受かんなかったら高校浪人ね。なんで、死ぬ気で受かって」

いやいや、死ぬ気で勉強はしなかったけど、お金なかったのね。
奨学金を借りてギリギリでなんとか維持できるレベルだったから相当だったのかな。

とはいえ、離婚してなんでここまで?って気になるでしょ。簡単にいうと、親父が借金残して蒸発しちゃったんですよ。

そんなことある?って思うけど、たぶんその手のところから借りてたんでしょうね。お父さんありがとう。おかげでボクはたくましくなったよ(笑)
ちなみにその借金はボクが社会人になった後も30歳くらいまでみんなで返しました。法的に訴えれば?とか後から考えたら色々あるんでしょうが、その時はそれしかなかった。お袋も相当追い詰められてたろうし。お金は残らなかったけど、「経験」という誰にも奪えない財産をたくさん蓄えました。

当然ながら、自分の小遣いどころか生活費がショートしそうになるので、高校に通いながらアルバイトをするっていう生活が始まりました。
今思えば大変だったけどこの経験をしていて本当によかったと思います。
自分のお小遣いを稼ぐってこれだけの労働が必要なのねって勉強になったし、接客業とかもやったから、世の中にはいろんな人がいるなーって若いながらに経験を積みました。

そんなこんなで始まった高校生活。そこでボクの人生のポイントとなる出来事/出会いがありました。

大きな出会い

高校に入ると理数科のクラスになりました。その中でも数学は得意だったので、クラスでも居場所はありました。1クラスのまま3年間過ごすってことでいい面も悪い面もあったけど、それなりでした。

しかしある日、クラスの誰も話しかけても無視されてしまう日がいきなりきます。イジメにあったのです。イジめるほうも悪いんだけど、ボクにも原因はあったかもしれない。あとでチラっと聞いた話だけど、何人かがボクのこと気に入らなかったみたいで。そこから一気にって感じ。

とにかくそんな状況だからつらかった。修学旅行もそうなる前にグループ分けされちゃってたから、地獄。旅行先でトイレにいきたくても、みんな無視してドンドン行っちゃうからいけなかったし、お土産買う時間もなかった。

耐えかねて修学旅行の晩に担任の先生に思い切って相談しました。
そしたら別の部屋にしてくれて。そこで相部屋になった子たちが優しくしてくれて。イジめるつもりはなかったけど、そんな空気になったら確かにボクには話かけづらかったみたいで。救われましたよ。
修学旅行後にはその子たちとは話をするようになって。

とはいえ、クラスには居づらかった。文化祭とかもクラス展の準備なんかやりたくなかったし、何より学校に行きたくなかった。
そんな中、クラスの一人が話しかけてくれた。

「ボク、演劇部なんだけど手伝わない?」

ぜんっぜん興味なかったけど、新たな出会いや居場所が作れるかも。って思って放課後は演劇部に入部することに。
演劇には興味なかったけど、力仕事やパソコンはできたので台本をワープロで作成したり一生懸命手伝った。自分より後輩の子たちも温かく受け入れてくれて新たな居場所ができた。ちなみに、そこで誘ってくれた友人Nはボクがライバーになったときも配信に応援しにきてくれたり、いまでも連絡は取っている。その時の後輩たちとはよく週末家でテレビゲームした。それがとても楽しくて。その中の1人はいまでも連絡を取っている。
実はゲームメーカーに入社してそこそこの立場になっていた。数か月前、仕事の合間に東京に会いに行った。みんなが知っているゲームのプロデューサーをしている。聞けばゲームメーカーへの入社のきっかけは、高校時代のゲームをみんなでやってた思い出が最高に楽しかったらしい。久しぶりに新橋で飲んだ時にいまでも当時の思い出を語ってくれたY。

そんな急に楽しくなってきたもんだから、成績は急降下。
自分でいうのもなんだったけど、数学と物理は得意だったので授業を聞いてテストしてハイハイハイハイって感じでも成績は良かった。

っていうかその時点で勉強どうでもよくなってたっていうのが本音。

貧乏から生まれた執念というか才能というか

当然ながらクラスにいづらいボクは部活が無いときや、ギリギリ単位さえ取れればってなったら学校を抜け出すように。かといって行くところもなかったんだけど、いける場所と言ったらゲームセンター。

ゲームセンターってまだまだ当時は不良のたまり場だったし、タバコの煙もひどいような治安のふんわり悪い場所だったけど、学生服着てなければ別に怪しまれることもなかったし(身長も高かったからだろうか。親に感謝。)、そもそもゲーム好きだったボクはずっと居られる場所だった。

しかし、ゲームするにはお金がいる。当然のごとくお金がない。
無いわけじゃないけど、1日に使える金額にも限度がある。
そこでボクがとった作戦は、

1回のプレイで長く遊ぶためにうまくなる。

いやいやいや。そんなこと言ったって簡単には上手くならないでしょ?って思うでしょ。そう。そこで、上手い人のプレイを後ろからガン見。
ほーここはこうするのかーって勉強。ノートにも記してた。学生時代1、2を争うぐらい勉強した時期かも(笑)
時には「何ジロジロみてんだー!」って灰皿が飛んできたりもしたけど、少しずつ店員さんと仲良くなったり、そこでも友達作ったり。

そして次第に1コインで遊べる時間が増えていきました。
当時一番やりこんだのは「極上パロディウス」


2週目が鬼

聞く人が聞くとへーってなるんでしょうけど、1コインで全2周ALLできるようになってました。当時ゲームセンターのゲームを扱う雑誌「ゲーメスト」ってのがあったんですが、そこでの全国1位の点数を見て

あれ?頑張れば行けるか?
的なところまで行ったゲームもいくつか。なんなら抜いていたものもあったり。

そんなこんなで、加速度的に動体視力と反射神経がサイボーグレベルまであがったところで、高校卒業。

行きたきゃ行けば

今ではスタンダードな進路ではないかもしれませんが、高校を卒業したら大学受験。これは誰でも考えますよね。
年齢も18近くになれば将来のことも考えます。
もちろんその当時もプログラミングはしてたしパソコンはバリバリだったので、将来はやっぱりそっちかーってのは変わってなくて。

就職するなら大学かー

昨今の価値観なら必ずしもそうとは思わなくなりましたが、当時はそう思ってました。そこで、ある日お袋に言うんですよね。

佐助「大学行きたいんだけど。」
母「あ、そう。行きたきゃ行けば。」

あ!そうだウチ貧乏だった。(ノ≧ڡ≦)てへぺろ

受かりそうな大学は実際あったんだけど、どう考えても学費や1人暮らしする経済力がどこにもない。むしろ仕送りする側になりながら大学いけるか?って話に。

むむむ(・へ・;)どうしよう。

そこで路線変更。高卒を決してダメだとは思わなかったけど、やはりもう少し学歴といいますか何かないと、就職厳しいだろうな…って当時は思ってて。専門学校に行こう!って決めたのです。

当時18歳。22歳で新卒っぽく社会に出るためには、2年で学費を何とかためて、2年間専門学校に。今だから言えるけど、専門学校に入る人たちってほとんどがフンワリとした気持ちで入ってきてるはずだから、そこで1番になれば地元の企業の就職は取れるでしょ?っていうの作戦。

働きまくって勉強しまくって

さあ、そこから2年間学費を捻出しなければならない。今でこそインターネット上の副業もたくさん見つけられるけど、当時のボクにはそんなノウハウはなかった。アホみたいなやり方だけど、働きまくる作戦で。

アルバイトや色々を掛け持ちしまくって、36時間働いて8時間寝るって生活を2年ほどやった。はい。絶対オススメしません(笑)

おかげでいろんな仕事しましたよ。居酒屋/バーテン/ゲーセン店員/引っ越し/家庭教師/パチンコ屋/新聞配達/コンビニ店員…他にもやったけど忘れました。

でも遊びたいざかりだったからここでも結局ゲーセンに入り浸り。
高校生の頃よりはお小遣いがあったし、平日の昼間のゲーセンって人がほとんどいなかったから、そんなときに音ゲーブームだったんですがやり放題
。おかげでとんでもなく上手くなりました。その時の話はまたいつか。
ちなみに、今のTikTokのボクのアカウントで?!なことができるのはその時からの経験があってのものです。どうだ!まいったか!(笑)

さてそんな地獄(とも思ってなかった)生活で何とか学費を貯め切ったボクは、満を持して専門学校へ。その2年間の話は割愛しますが、人生で一番(??)勉強しました。周りを寄せ付けない圧倒的な成績でした。言い切ります。1番でした。

そんなこともあってボクは無事に地元企業でシステムエンジニアという就職を勝ち取りました。2000年。22歳のときでした。

そこから社会人となるわけですが、それからいかにライバーになって今の立場であるMyStarの代表取締役になったのか?はまた次の機会に。

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