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Rainbow Contestを終えて ミスコンオタクはオタクのままで終わらなかった

こんばんは!Rainbow Contest(以下虹コン) エントリーNo.4のMikuです。

昨日で、虹コンの活動を終えました。受賞には至りませんでしたが、やりたいことは全て出し切りました。

悔しいと思う暇もなく、帰宅して執筆に追われるという社畜っぷりを発揮していますが楽しいので良きです。

▶ミスコンの在り方について

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近年、ルッキズムやジェンダーの問題からミスコンが批判される風潮にあり、昨年度から多くの大学で多様性を尊重するコンテストへ変更する動きが見られた一方で、ミスコンを廃止した大学もあります。

今回は、前者について私の考えを書いていきます。

▷少数派も多数派も同じくらい大切

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ミスコンは容姿が優れた人を決めるコンテストではないと良く言われます。しかし、コンテストの規定にはそのような文面はありません。改善すべきことは、ミスコンそのものではなく、出場者が評価の物差しを変えてしまえば良いと私は考えます。

もちろん、運営側がマネジメントしていくことも必要です。しかし、多様性を尊重するコンテストにしてしまうと少数派を包括しているように見えてしまいます。多数派があるからこそ多様性が成立するといった共存の仕組みが崩れざるを得ません。

今回、椙山女学園大学の虹コンは成功したと言えると思うのですが、それは女子大であったからです。近年、「輝く女性」「女性活躍」が促進され、女性の立場を包括できるような環境が整備される中で、女子大生として多様性を言及できたことに意味があります。

むしろ、ミスコンの風潮で批判を浴びているのは共学の大学の方です。コンテストを終えてみないと実際にはわかりませんが、男女をごちゃ混ぜにするという発想は、時にコンセプトから外れるケースもあります。

今年度のミスコンを見ていると、男女をごちゃ混ぜにしたことでファイナリストが女性だけになってしまった大学があり、ジェンダーがあるからこそ成立しないこともあるのだと感じました。

さて、今年度の大学ミスコンに対する社会の反応はいかに。

▷ミスコンの役割が崩される 

また、ミスコンは芸能界や放送局で活躍するための登竜門を果たす役割も担っています。そう考えると、結局ミスコンは容姿が優れた人を選出するコンテストではないか!と思われることもしょうがないと思います。

私はミスコンをキャリアアップのために活用することは大いに賛成です。私も30%くらいは虹コンを活用することで活動の促進を狙っていました。

自分の人生を切り開きたい学生にとってはとても良い機会です。むしろ、エントリーするといった行動力を褒めたたえるべきだと思います。

また、“学生時代の思い出に”くらいの気持ちでエントリーする学生も見られます。それはそれで良いと思いますし、どんな学生がエントリーしてもそれを認めるべきです。

どんな理由でエントリーしたにしても、活動中に身に付けた発信力や思考力、舞台での経験は社会で生きていく中で役立つことばかりです。

私は今回の虹コンを通して、受賞できなくてもこれから社会にアクションをする者として学ぶことはたくさんありました。肩書きを得た学生だけが得をするものでもないです。

ミスコンってそんなに悪いものではないと思いますよ。

▶おわりに

昨年度までは、ミスコン出場者から希望や勇気をいただき、自分を奮い立たせるきっかけになっていたミスコン。

今年度は、出場者として隣にいる4人のファイナリストから受ける影響もあり、異なる視点でミスコンについて考えることができました。

最後に、ここまで応援してくださったみなさまに感謝の気持ちをお伝えします。

ありがとうございました。また良き報告ができるよう精進いたします。

Miku

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