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過激派ヴィーガン(当社比)からヴィーガンの文化の底上げをしようとするまでのお話

こんばんは!福祉学生ライターのMikuです!

今回は、私がなぜヴィーガンという選択をし、Vecipeで活動しているかについてお伝えしていきます。

現在は、“多様性”という視点からヴィーガンを選択していますが、当時はそうではなかったので過激な言葉が使われています。

みなさんの心に従ってお読みください。

▶入口は健康問題 開始は動物愛護 後に環境保全

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私は昨年の2月にヴィーガンという考え方を知り、同年の8月にヴィーガンを始めました。

ヴィーガン歴は1年を経過したところです。

▷フィットネスのトレーナーさんがヴィーガンになった

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ヴィーガンになったのはフィットネスのトレーナーさんがきっかけでした。情報源は海月ダンテさんのアメリカやドイツのデータです。

昨年の2月に初めてヴィーガンというものを知り、色々なデータを読みながら肉を食べており、繁殖や動物を太らせたり屠殺したり切ったりする映像を見たら絶対食べれなくなる!と思い、映像は見ませんでした。

当時毎月一人焼肉にハマっており、辞めたくなかったのが本音です。

ヴィーガンを知った頃に筋トレを再開し、食生活も見直すようになってから肉を食べることは大事だ!と思って食べていましたし、トレーナーの友だちからも鳥胸肉命!と言われていたので食べていました。

というより、肉を辞める勇気がなかったのだと思います。食べざるを得なかった。

(写真:海月ダンテだんのTwitterより)

▷動物の虐殺動画を見て肉を食べるのを辞めた

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昨年の8月、テストが終わってなんか時間ができたな~という感じで、ヴィーガンの情報を見ました。

なんとなく見始めてしまいましたが、映像を見ていたら衝撃過ぎて肉食を辞めようと思ってしまいました。繁殖から肉が出来上がるまでの映像を見て美味しそうだと心の底から思うはずがありません。

自分の生きる次元を変えて上がろうと思った時、めちゃくちゃ悩みましたし戸惑いました。情緒不安定なくらい泣きましたし、色々な感情と戦いました。

後々気付くのですが、動物の虐殺動画を見てヴィーガンを選択するという行為は、脱毛しないと男の子に嫌われるという内容のYouTubeの広告動画を見て脱毛に通うという選択をするのと同じなんですよね。笑

▷1ヶ月間の自然栽培農業の経験 お肌が過去一綺麗だった

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9月に社会福祉の実習で自然栽培農業を経験し、SDGsについて学びました。

その時、慣行栽培は環境にどういった影響を及ぼし、自然栽培を選択することで何が変化するのか等々学んだ時、環境保全の視点からヴィーガンを選択することと似ているなと気付きました。

1ヶ月間農業をやりながら野菜生活をしていたことで、お肌が過去一綺麗になりました。

SDGsや環境保全、体調が良かったことも含め、自分にメリットが多かったため、ヴィーガンという選択を続けようと思ったのです。

実際に、動物性食品を摂取しなくなったことで耐性がなくなり、今の私が動物性食品を摂取すると肌荒れします。完全に“食べない勇気がない”から“食べる勇気がない”にシフトしました。

▶命を差別するとはどういうことか

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動物愛護の視点を持たなくなってから気付いたのですが、過激な動物愛護者は人間を差別していますよね。動物は擁護するのに、人間の行為を尊重しない。

よく考えてみたらおかしな話です。

▷ヴィーガンが習慣でなかったからこその動物愛護の視点

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これから、動物愛護の視点を持っていた時に感じていたことを書きます。昨年の秋に残したメモからまとめていきます。過激なので読みたくない人は読まないでください!

メモ抜粋
人間みんな最初はヴィーガンで、子どもの時はみんな動物を愛して守ってきたのに大人になると麻痺して、洗脳されて金を払って他人にやらせることに慣れて気が付かないふりをする。人間が動物にやっていることは独裁者と変わらない。捕獲して、閉じ込めて、支配して、レイプして、虐殺して、生きるためでなくてお金のために命を消費している。いただきます言えばなかったことに?これだけ文明に頼って自然界のルールをガン無視しているのに食物連鎖?どう考えても無理がある。でも畜産はクソ。全くもって不自然で不愉快。弱肉強食だとか生きるためだとかもうクソみたいな正当化やめよう。人間は地球に住む他の動物より偉くも強くもないし、少なくとも食物連鎖の頂点を気取って肉食であることが強くてカッコいいとか思ってしまっている人はあまりにも愚か。

▷心に余裕が持てなくなってしまった

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障がい者差別、性差別、種差別...差別を良しとしない人間がなぜ肉食をしているのかと考えた時、人間と動物の命の差って何だろうかとずっと考えていました。

私たちが食肉を許容する限り世の中から差別も戦争もなくならないとも思いましたし、動物たちの命は私たちの舌を喜ばせるための嗜好や娯楽の一部として存在すべきでないとも思いました。

そんなことを思っていたせいか、昨年の秋頃から筋トレYouTubeひなチャンネルが見れなくなりました。根拠なしに自分の経験だけで語り肉を推奨してるトレーナーを見たくありませんでした。
 
また、私は以前スーパーで働いてました。特殊なスーパーで外国人のお客さんが多いスーパーです。

カゴの中のものを見ながら何を買っているのだろうと疑問に思っていたことが、ヴィーガンになってから少しずつ理解できるようになり、それを楽しみながら仕事をしていました。

しかし、急に色々なことを考えだした途端、心に余裕がなくなり、肉を見るのが嫌になりました。そして、スーパーの仕事に行きたくなくなり、行く頻度を減らしながら今年の4月に3年間勤めていたスーパーの仕事を辞めることになります


▷愛のある選択とは

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そんな時に、私がヴィーガンになったきっかけである人がヴィーガンを辞めました。彼女は、「私は畜産にも関わったことないし屠殺場にも関わったことないのにどうしてヴィーガンだなんて名乗っているのだろう」と言及します。

よく私はSNSで「愛のある選択を」と発信しています。愛とは何でしょうか。

まず反省する点は、お肉を食べる人がまだ無知で未熟な人であるという態度を少しでも持っていたことです。この時点で愛があるとは言えません。二元論的な思想は以前と比較したら持たなくなった方だと思っていましたが、まだ残っていました。

現在は、動物を搾取しないことが愛のある選択とは思っておりません。誰かが誰かのためを思って作ったものならば、どのようなカタチでもそれは“愛”ですし、愛を受け取りたいです。

▶ヴィーガンを社会に浸透させるには

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かなり、動物愛護の視点を強く持っていた私ですが、ヴィーガンについて社会にアクションをかけるにあたり、自分のライフスタイルだけで浸透させること、はかなり危険だと感じていました。

▷排除ではなく共存していく

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そんな時に「Vecipe」という団体を見つけます。

Vecipeの理念
「誰もが食志向に関わらず、それぞれの好きなものを一緒に食べて、笑顔で楽しいと思える空間づくり」

https://www.instagram.com/veganvecipe_official/

この団体は今年の2月にSNSで見つけ、3月にVecipeのコミュニティに入りました。

Vecipeのすごいところは、立ち上げメンバー7人全員がヴィーガンではなかったことです。とても驚きました。

Vecipeを見つけるまでは当事者の繋がりを求めていましたが、ヴィーガンではないけれど理解のある人たちの声を聞く必要があると気付きます。

ヴィーガンという選択は正解でも不正解でもないのです。

▷社会がどのように対応していくか 

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Vecipeはヴィーガンとノンヴィーガンがお互いの食志向を認めながら楽しく食事ができる環境を提供するべく、飲食店にアプローチしており、飲食店サイドがヴィーガンを理解することでお客様に様々な選択肢を提供することで課題を解決していきます。

人間同士の争いをしていては、課題は解決しません。これはどのようなことにおいても言えることですが、社会学的な視点で解決することが必要であり、何に困っているかを汲み取っていく必要があるのです。


 
▶おわりに

私はヴィーガンという選択をすることはとても楽しいことではありますが、ヴィーガンについてはまだまだ無知です。

つい最近、ヴィーガンの学問体系について知ることができたので、学び直すところから始めていきます。

ここまで読んで下さりありがとうございます。
どうぞ、本日も応援・投票をよろしくお願いいたします。


福祉学生ライター Miku

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