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生まれてきてくれて、ありがとう

えど 日本男児。先天性側湾症をはじめ、二千人に一人という病気をいくつも持って生まれてきた。明るく呑気な社交派。幼稚園の頃は戦隊モノが好きだった。

ある 日本男児でえどの二つ下。数字や元素が好きで、九九は3歳で、素数は5歳で興味を持ち、8歳で元素を全て覚えた超理系。幼稚園の頃はプラレールが好きだった。







はじめまして。

ふたりの男の子を育てています。

子供の言動があまりにも面白くて、可愛くて、親バカこじらせて記録に残すという手段に出ました。




子供たちと出会ってから、多分私の人生はガラリと変わったと思います。

私の人生をどこかで分けるとするなら、「産前」「産後」です。

子供たちが生まれてから、たくさんの経験をしました。

それは、病気を持って長男が生まれたから、というのも大きいと思います。



長男は半端なく大変でした。

生まれてすぐ異常が見つかり、大学病院へ運ばれ。

検査したら、二千人に一人という病気をいくつももっていたのです。



妊娠中は一度もそんなことを言われませんでした。

健診も欠かさず、また里帰り出産のため、二つの産院で診てもらったにもかかわらずです。

今思えば、何も知らない、健康な子供が生まれると思い込んでいた、幸せな妊娠生活でした。




出産当日の「心臓がありません」という助産婦さんの声にはじまり。

泣いてるんだから、心臓ないわけないでしょう、と、疲労困憊の中、心の中でつっこんでいた私がいて。

でもやはり心臓は見つからなかったようで、あれよあれよというまに、大学病院へ搬送。

16時間の出産後で疲れ切っていた私は、院長先生からの

「内臓が左右逆転している可能性があります」

という言葉を理解できない頭で聞いていました。



その後、大学病院で検査をして発覚した、たくさんの病気。

臓器の左右逆転はありませんでしたが、とにかく緊急でなんとかしなければならないのは

「食道閉鎖症」でした。

胃につながっているはずの食道が塞がれていて、肺につながっている病気でした。

ご飯を食べることができない。飲み物も。

その日のうちに手術をしなければ危険だとのことで、長男は誕生日の夜に初めての手術をしました。



しかしこの日の手術は胃に穴をあけて胃ろうをつけるだけのもの。

とりあえず生きるための最低限の手術をしました。

食道と肺を切り、胃とつなげる手術はとても難しく、長男は心臓に穴も開いていたり、

側湾症で体が曲がっていたりと、手術には準備が必要だったのです。




そんな報告を、私は産院のベッドで聞きました。

救急車で運ばれたのは、長男だけ。

私は赤ちゃんが隣にいることもなく、ひとりで産婦人科に入院していました。

お腹はぺったんこになったのに、赤ちゃんがいない。

隣の部屋の赤ちゃんの泣き声が、すごく遠くにある気がしました。




どうして私は、ひとりでここにいるんだろう。





私が産院を退院して、初めて大学病院のNICUに行った時。

小さな小さなカプセルの中で、私の赤ちゃんはいました。

全身を管で繋がれて、ふさふさの黒い髪が新生児っぽくなくて。

大きな目で、白い肌で、本当に可愛い赤ちゃんでした。



その日、長男を救ってくれた医師と初めて会いました。

「本当に可愛いお子さんですので、我々もなんとか助けてあげたい」

その言葉を今も覚えています。

そのお医者さんは、がっちりした体格のいい人で、手術の説明をした時の指を見て、

あんな小さい子の手術をこの人の手がするのだと驚きました。

熱が出たり肺炎になったりしたら、手術はできないとも言われました。




そしてその二日後、病院から連絡がありました。



長男が、高熱を出したと。




報告だけで何もしてあげられることはありません。

そうですか、よろしくお願いしますと伝えて、電話を切りました。

熱があっては会いに行っても会えない。

手術もできなかもしれない。

そうなるともう、長男は助からない。

今思えば怒涛の日々でした。

でもあまりにもたくさんのことがありすぎると、頭が麻痺するのか、泣くこともできなくて。




よくなりますように。

生きていけますように。




母に言われた言葉も覚えています。

お腹にいる間にも、たくさんの幸せをこの子からもらった、と。

だから・・・



いや、でも。

私はまだ、この子を幸せにしてない。

絶対生きてもらわないと困る。

幸せをあなたにも知ってほしい。




そして、数日で熱は下がり。

8時間に及ぶ大手術を乗り越え。





長男は、生きていけることとなりました。





今ではお喋りで明るい、外が大好きな少年になりました。

この大手術の後も、たくさんの手術や入院を繰り返しますが、彼の明るさを損なう要因にはならなかったようです。




ここではこどもたちのおばかなかわいい会話と、育児、病児記録を綴りたいと思います。






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