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泣きたくなるまち、みなみそうま#南相馬訪問体験記

初めまして、杉山真由と申します。
私は、長野大学の3年生です。
この度インターンシップで初めて南相馬市を訪れ、そして今初めてnoteを書いています。
人に伝える文章は迷いに迷ってしまうタイプなので、迷走しないように少し勢いを大切にしながら綴ろうと思います。


初めまして、自己紹介をします。


はじめに、私がどんな人間なのか、何をしているのかを簡単にお話しします。
私は静岡県御殿場市出身で、実家は米農家です。
富士山と田んぼに囲まれて、いわゆる何もない田舎で育ちました。そして今、長野県上田市にある自然に囲まれた大学に通っています。

大学では「環境ツーリズム学部」に在籍しています。
名前からは何を学ぶ学部なのか全然分かりませんが、環境と観光と地域ビジネスの3分野を総合的に学んでいます。
私は特に、地域まちづくりや観光に関心があり、地域にはどんな課題があるか、どんな魅力があるのか、何をしていくべきなのかなどを日々漠然と考えたり、まちを歩いて人と話してみたりしています

南相馬に来た理由

そんな私は、南相馬についてほぼ何も知らずにここにやってきました。

名前は聞いたことがある程度で、正直なところ福島県のどのあたりかも分かっていませんでした。
そんな中、たまたま別のインターンシップをしているときにMYSH合同会社代表の向井さんにお会いし、よりみちのインターンシップをご紹介いただきました。

お話をいただいた時は、よりみちのことも南相馬市のことも、よくわかっていませんでした。
それでも、インターンに行けること、他のまちを見られることは私にとって良いことでしかないので、「ぜひ、お願いします!」と答えていました

そのあとルートを調べて、自宅の最寄り駅から南相馬の原ノ町駅まで最短でも6時間弱かかると知ったときは、一瞬悩みました。笑

それでもそんな迷いを捨てて南相馬に来た理由は、普段の生活圏から出て他の地域を知り、視野を広げたかったからです。

私は地域やまちづくりについて学んでいるのですが、そこで出てくる課題や魅力について、いろんな地域を見て比較し、俯瞰的な目で地域を考えられるようになりたいと思っています。

本やネットで調べるのではなく、自分が地域に足を運んで、目で見て人と話して気づくことが、一番よく「地域を知る」方法だと私は思います。

南相馬に行って南相馬を知り、自分が知っている「地域」を一つ増やそうと思い、南相馬にやってきました。

10日間のインターンシップ

とりあえず勢いで来ることを決めたインターンシップですが、10日間は本当にあっという間でした。ツアーに同行させていただいたり、資料作成をお手伝いさせていただいたり、普段の生活では経験できない毎日の中で、たくさんのことを学び、吸収することができました。

ツアーで乗馬体験をさせていただいた時の写真

特に印象に残っているのは「よりみちが運営しているnoteの改善案を提案し、その見本を自分でつくる」というタスクです。

noteを書いたこともなければ、文才もない自分が、人に見せる『見本』を作れるのか、とても不安でした。

実際やってみると、「自分で提案して、それを実装までやり切ること」はとても勉強になりました

今回のインターンシップは、自分の未熟さに気づいて落ち込んだり、新しい視点を得られて嬉しくなったり、気持ちも大きく揺さぶられる毎日でした。

しかし、常にこの経験が自分の成長に確実につながっていることを実感し、わくわくする日々でもありました

私はこのインターンシップが無ければ、よりみちにも、南相馬市にも出会っていなかったと思います。

素敵な機会をいただき、とても貴重な経験をさせていただいたことを有難く思っています。

南相馬で見つけたもの・気づいたこと

私はこの滞在中に、南相馬の”他にはない面白さ”は何なのかを見つけたいと思い、10日間を過ごしてきました。

そして見つけた答えは、ここに住む”人”でした。公園を歩いていたらすれ違う皆さんがあいさつをしてくれたり、直売所で野菜を買ったらお店の人がおまけをしてくれたり、南相馬に来て生活をしていると、多くの場面で人の温かさを感じました。

もとまち朝市の様子

わたしは、田舎で育ったからこそ地域の人の”よそ者”に対する見方をとても気にしてしまいます。

迷惑なよそ者だと思われて地域から弾かれることの怖さから、自分のフィールドから出るときは、目立たないように嫌われないように相手の様子を伺います。

今はまだ学生なので、よそ者であっても拒絶されることは少ないですが、生まれ育った地域や仲間内に、よそからずかずかと入ってくる人には正直抵抗があるので、自分のフィールド外では、よそ者としてわきまえるようにしています

南相馬に来る時も、地域を見たいという気持ちが先行し、ずかずかと地域の中に土足で踏み込まないようにわきまえよう。と思っていました。

一歩引いたところからひっそりと地域を見ようと思い南相馬での生活を始めたのですが、帰るころには、「もっとこれからも南相馬と関わりたい」と思っていました。

私がそんな風に思ったのは、南相馬の”人”に惹かれたからだと思います。

普通に生活する中でも、よそ者と境界をつくらずに私に接してくださるまちの人の温かさを感じました。

それだけでなく、よりみちを通じて南相馬に対する様々な思いや期待を持った方々からお話を聞き、人が人を呼んで南相馬に素敵なものが生まれていく様を知りました。

イノベツアー参加時の様子

生まれ育った南相馬を愛している人
南相馬に移り住み東日本大震災からの復興と発展を支援したいという思いの人
自分がこのまちで何かを始めてみたいという人
南相馬の可能性を探し広げようとしている人。

お話を聞かせていただいた方はみなさんそれぞれ違った角度から南相馬を見ていましたが、全ての方がとても大きな熱を持っていました。

そんな方々がいて、それに惹かれた人がまた集まって、そんな繰り返しでこのまちには魅力的な人が集まっていくのだなと感じました
これが、私の見つけた南相馬の面白さです。

泣きたくなるまち、南相馬

私にとっての南相馬を一言で表すと、”泣きたくなるまち”です。

泣きたくなる理由は1つではありません。一つは地域や人の温かさ、もう一つは震災の傷跡を実感する辛さです。

南相馬での生活は、まちの人とあいさつを交わしたり、地域でとれた野菜を食べたり、ほっとする味の温かいご飯を食べたり、小さな幸せと人への感謝に溢れる日々でした。
いつでも受け入れてもらえるような温かさを感じ、辛くて忙しい日々に思い出すと泣きたくなってしまいます。(笑)


地元産の野菜たっぷりの毎日食べたいご飯

もう一つ、南相馬市に行って印象的だったのが東日本大震災の傷痕です

高校時代に岩手・宮城の被災地を見学したことはあったのですが、それから時間が経ち、震災から12年が経過した今、南相馬市に残る震災の跡を見たとき、なんとも言えない気持ちになりました。

福島や南相馬について何も知らなかった私は、震災から12年が経過した今、震災のことはもう終わったことのように思っていた部分がありました。

しかし、海まで広がるまっさらな土地と、真新しいコンクリートで創られた大きな堤防を目にしたとき、あの出来事は終わったことになんかならないのだと心の底から思いました。

沿岸部の堤防

その場所で暮らしていた人の生活や慣れ親しんだ町並みは、どれだけ時間とお金があっても取り戻すことはできないという現実を知り、当事者でもないのにとても辛くなりました。

そして、東日本大震災という出来事は時間がたって片付くものではなく、地域に重大な影響を与えた歴史として向き合っていかなければいけないのだと感じました。

10日間、たくさんの物を見て、さまざまな人と出会い、考えることだらけの南相馬での生活でした。
インターンシップの中で自分の未熟さに気づき、泣きたくなることもたくさんありました。
それでも吸収したいことばかりの日々で、泣いている暇なんかありませんでした。

南相馬で過ごした10日間はとにかく濃い日々で、よくわからなかった自分の人生の軸を探り当てられたような気がします。
とても素敵な出会いをいただき、本当にありがとうございました。

📒この記事を書いた人

 長野大学3年 杉山 真由



真由さん、素敵な記事をありがとうございました😊
真っ直ぐな南相馬への想いが伝わってくる内容でした!
是非、また気軽に南相馬に遊びに来てくださいね。

マガジン「福島県南相馬|中のひと、外のひと」では、みなみそうま移住相談窓口よりみち移住コンシェルジュ8名(中の人)と南相馬を訪問した人たち(外の人)とが、それぞれの視点で南相馬での生活や体験を切り取っていきます✍️

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中の人の暮らしを紹介しています。
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