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修学旅行に行けなかった元不登校児の悲しいウソ

「小学校の修学旅行って、どこに行った?」


これまでの人生で、友達や同僚から幾度も聞かれた質問。

 「小学校の修学旅行って、どこに行った?」

その時、自分は笑いながら、このように答える。

 「奈良と伊勢志摩に行ったかな」

それはウソ。私はウソつきだ。

そう答えることによって、心は包丁で切り裂かれるように痛む。そして、心がざわつく。

学校へ行けなくなったのは、小学5年生の3学期。そこから丸々1年間学校へ行けなくなった。

修学旅行はちょうどその期間に当たる6年生の1学期にあった。

不登校関連のブログや掲示板を見ていると、「修学旅行だけは行った」と書いている人もいる。

だけど、自分には到底考えられなかった。

「不登校あるある」かもしれないが、親や先生は、修学旅行を迎えるにあたり、子供にこう問いかけるだろう。

 「一生に一度の機会だから、修学旅行だけでも行ってみれば?」

だけど、そんな恐ろしいことは考えもしなかった。
その頃は、人が怖くなり、家からも出れなくなっていた。

それなのに、逃げ場がない状況で二日間過ごすなんて考えられなかった。それができるなら、普通に学校へ通うだろう。

行けることなら行きたい。きっと楽しい。
だけど、全身が拒否する。だから、親や先生の質問はすごく残酷だと思った。


残酷な修学旅行のお土産


一日目は、学校を出発して奈良へ。夕方には伊勢の二見浦の旅館へ。
二日目は、早起きをして、夫婦岩から出る朝日を眺め、鳥羽水族館を観光して、学校へ戻る。

そんな楽しい旅行を級友が楽しんでる時間、暗い自宅の一室で、その楽しさに思い巡らしていた。

本当に惨めだった・・・

後日、先生か級友が、鳥羽水族館のキーホルダー(だったと思う)をお土産に届けてくれた。

 「これをどうしろというのだろうか?」

楽しくカバンに付けられるわけがない。

もちろん、先生や級友に悪意がないのは分かっている。
好意でしてくれたことだとは分かっている。

だけど、当時はそれを頭で理解していても、体では理解することができなかった。

いや、正直にいえば、三十年経った今でも理解できていないかもしれない。なぜか、腹が立つ。
どうして、それを受け取った時のつらさを想像してくれないのだろうかと・・・。


三十年間ずっと名前を忘れていなかった修学旅行の宿


それから、三十年後。平日の昼下がりの話だ。

仕事の過負荷や上司のパワハラをきっかけに発症した適応障害の治療のため、有休を取って、病院へ。

朝一の予約だったので、診察はすぐに終わり、10時前に病院を出た。
今日は一日フリー。やることがない。

ふと、衝動的に駅へ。
そして、近鉄の豪華な観光特急「しまかぜ」の特急券を買い、優雅な車両に飛び乗った。

一人席のフカフカシート。電車の中にカフェがえり、ドリンクを頼んだ。

行き先は夫婦岩。
ここを訪れたのは、初めてではない。結婚前にも、結婚後にも夫婦で来た。

だけど、今回は一人。
目的は夫婦岩ではなく、もし小学6年生の時に修学旅行に行っていれば、泊まっていたはずの旅館を見たかったからだ。

実は、自分自身が泊まったことがない旅館の名前をずっと憶えてた。
約三十年も昔の話なのに・・・。

きっと修学旅行へ行けなかった三十年前のあの時からずっと、泊まることができなかったその旅館に憧れていた。いや、未練のようなものを感じていたんだと思う。

行けなかった修学旅行。
きっと夜にはみんなで夕食を食べて、お風呂に入って、もしかしたら枕投げをしたのかもしれない。

級友にはあって、自分にはない記憶。

三十年の時を経ていたが、
バス停から夫婦岩に向かう途中にその旅館はあった。
それほど大きくはない旅館からは、料理のいい香りがしてきた。

玄関から中をのぞくと、海が見渡せるこじんまりとしたロビーが見えた。
中に入りたい衝動に駆られた。自分が三十年前に来るはずだった場所。

だけど、入ることができなかった・・・。
宿泊もしないのに、旅館の方にどう説明をすればいいのだろうか?

 「昔、登校拒否で泊まれなかったので、中を見せてください」

そんなことを言えるはずもない。
二度三度玄関の前を通り、中をのぞきながら、諦めることにした。


憧れの修学旅行の宿


いつか、この旅館に泊まってみたい。

でも、いったい誰と泊まればいいのだろうか。

学校に再び通い始めた後、実家の親と登校拒否の話はしたことがない。
まるで、そのことは無かったかのように、もう過去には触れない。

結婚して家庭を持ったが、家族には一度だけかつての登校拒否のことを話したが、ほぼ話していないに等しい。

だから、誰を誘うこともできない。

じゃあ、一人が泊まればいいのだろうか。
きっと、この旅館に一人で泊まって、海を眺めていたら、昔のことがよみがえり、辛い思いをするかもしれない。
誰かと一緒に泊まっても、冷静でいられないかもしれない。

だから、やっぱり修学旅行で泊まるはずだった旅館には、今も泊まれない。
永遠の憧れに過ぎない。


私は永遠にウソをつき続ける登校拒否児


今年、娘は小学校へ入学した。
きっとコロナが終息しているであろう五年後、娘はこう聞いてくると思う。

 「小学校の修学旅行って、どこいったの? 」
 「楽しかった?」

きっと、私は笑いながら、こう答える気がする。

 「奈良と伊勢志摩に行ったかな」
 「夫婦岩の初日の出はきれいだったよ」

やっぱり、その時も私はウソつきになるのだろう。
それを思うと、心がまたザワザワするだろう。

ずっとウソをつき続けるのだろうか?

今も、私の登校拒否は終わっていない・・・