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ゲーム『ペルソナ5』とユング心理学を好きになってもらいたくて書いた記事。

”みんなが笑顔を絶やさない世界”との出会いから。

『素顔同盟』という短編の小説があります。アラサーからアラフォー世代なら、学校の授業で読んだひとも多いのではないでしょうか。

人々が皆、笑顔の仮面をつけて生活を送る世界の話です。主人公は学校へ通う少年なのですが、授業中、教師は仮面の理由をこう話してくれます。

「......つまり,市民が仮面をつけだしたことによって,人と人との摩擦はすっかりなくなり,平穏な毎日を送れるようになった......。」
(下記リンク先より引用)

物語がどうなりゆくかは、ぜひ本文をお読みください。小中高の授業で触れた作品はたくさんありますが、『スイミー』や『赤い実はじけた』、『スーホの白い馬』、そして『舞姫』等の記憶に残るお話の中でも群を抜き、なぜか竹谷は『素顔同盟』にひときわ強い魅力を感じておりました。

今考え直すに、奇異な親近感を「仮面」という言葉に対して覚えたからだと思います。

幼い頃、その意味するところを理解せぬまま「かめんらいだー」と叫び、その後いくらか背が伸びてから「仮面は顔に被るもの」と知りました。勉強するようになって、仮面は英語でマスクであると学びました。

そのような中、「ペルソナ」という言葉に初めて触れたのは、同名のゲームタイトルの3作目『ペルソナ3』(2006年)からでした。「こんな面白いゲームがあるのか」と、忘我没頭しプレイしたように覚えています。

そして現在、だいぶ重くなり固くなった頭で、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングの記した論文や研究に関する本、いわゆる「ユング心理学」関連書籍をふわふわと読み、ペルソナは「外界に対する適切な態度として機能する人格」とユングが提唱したと知るに到りました(もともとは、”人”を意味するパーソンから派生した言葉で、演劇等で用いられる”仮面”を指していました)。

そこでようやく、『素顔同盟』の「仮面」が腑に落ちたのです。

『素顔同盟』は、「みんな笑顔の仮面をつけている世を過ごす学生」が主人公の小説です。それを当時読んでいた竹谷を含めた数十名の若い人間たちは、整列された椅子に座って一様の教科書を開く「生徒」であり、ひとり教壇に立ち長時間のパフォーマンスを見せる人間は「教師」です。授業中、それぞれがあるべき姿をまとい、学習が滞りなく進むよう過ごしています。

つまり、仮面をつける世界で生きる生徒の話を、生徒の仮面、すなわちペルソナをつけた状態で読んでいました。笑顔の仮面があるべき姿とされるお話を、教育現場としてあるべき姿「中学生」の仮面をつけた時に読んだからこそ、その”近さ”に共感を得てしまったのだと思います。

そういったあるべき姿の仮面、ペルソナを悪く言うつもりは毫もありません。ペルソナから離れて生きることは不可能であり、ひとと交友を深めるにあたってペルソナは不可欠なものです。

竹谷は普段、株式会社ミリアッシュの代表をしています。ですので、日頃生活を送る上で「会社の代表」というペルソナをかぶっています。ほかにも「社会人」だったり「ゲーマー」だったり「弟」だったりと、適宜ペルソナを切り替えて暮らしています。

とは言うものの、ペルソナを意識すればするほど、ひとは「こうであってはならない」といった性格や人格を、無意識に追いやっていきます。その抑圧された無意識は徐々に「影(シャドウ)」を形成し、やがて大きく膨らんだシャドウは知らず自らを飲みこみ、これまで築いてきたペルソナや人格に悪影響を及ぼしてしまう可能性があります。

十代のペルソナを挙例するなら、中高生、真面目、こども、あたりでしょうか。その水面下で、無所属性、不真面目さ、おとな、といった要素は、無意識へと抑圧されています。

繰り返しますが、こういったペルソナをつけることは、なんら悪いことではありません。しかしたとえば、”吐き気をもよおす邪悪”に染まりきった人間と遭遇し、かれらの破綻した人格に攻撃されたとしたら、どうでしょうか。

生徒らしくしろ。こどもは我慢しろ。”おとな”しくしてろ。

そう言われたら、どうでしょうか。

自分の心の中に、「抗う」という気持ちが湧いてくるかもしれません。

その「反逆の意志」を、忘れて無意識へと預けるのか。それも自分のひとつであるを認め、自己に統合し、人格を成長させていくのか。

後者を選びたい。そう思うひとに捧げるゲームが、株式会社アトラスが世界へ届ける稀代の名作『ペルソナ5』です。 

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、今回はゲーム『ペルソナ5』の世界を形成する要素をポツポツと書き出しつつ、そのモチーフ・ベースとなるユング心理学をゆるく絡めて記していければと考えております。

ユング心理学や『ペルソナ5』が好きな方、気になっている方、ユング心理学は知っているけど『ペルソナ5』が初見な方、またはその逆の方、この記事をもってご興味の幅が少し広がることとなりましたら、望外の喜びです。

ゲーム『ペルソナ』シリーズとは?

『ペルソナ』はロールプレイングゲーム(RPG)と呼ばれるジャンルのテレビゲームで、『ドラゴンクエスト(ドラクエ)』や『ファイナルファンタジー(FF)』のように、主人公たちが冒険し、敵を倒してレベルを上げ、いよいよ世界の運命を左右する決戦へ挑みます。

シナリオもさることながらバトルも大きな魅力のひとつで、ドラクエの「じゅもん」や FF の「まほう」を始めとする超能力ないしスキルは、手に汗握る戦闘シーンにきらびやかな華を添えます。ゲームをプレイしたことのない方でも、メラやホイミ、ファイアやケアルといった単語は、おそらく聞いたことがあるのではないでしょうか。

『ペルソナ』では、そういった超常現象を起こす能力を「ペルソナ」と称します。漫画のお好きな方でしたら、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズに出てくる「スタンド」をイメージしてくださればと思います(ちなみに、メラ・ファイアに該当する技はアギ、ホイミ・ケアルはディアと言います)。

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『ジョジョの奇妙な冒険 第3部 モノクロ版 1』(荒木飛呂彦/集英社)より引用

もともとはゲーム『真・女神転生』シリーズ通称『メガテン』から派生しており、無印(いわゆる「1」を指す)のタイトルは1996年発売の『女神異聞録ペルソナ』です。つい先日、シリーズ最新作となる『真・女神転生V』と過去作のリマスター『真・女神転生III NOCTURNE HD REMASTER』が発表され、メガテンとペルソナは今後益々発熱していくに違いないと個人的にヒーホー騒ぎ立てているところです。ほかにも派生作品は多く、竹谷はインド神話や仏教をミックスした『DIGITAL DEVIL SAGA(デジタル デビル サーガ) アバタール・チューナー』と、南極にできた亜空間を旅する『真・女神転生 DEEP STRANGE JOURNEY』が特に大好きです。

※ここでは割愛しますが、ゲーム『真・女神転生』シリーズは小説『デジタル・デビル・ストーリー』に連なります。

さて、『ペルソナ』のペルソナ(『ポケットモンスター』のポケモンとお考えください)は、基本的に世界各国の神話や伝説に登場する神や悪魔等をベースにしています。エンジェルがいればサタン、ヤマタノオロチがいればタケミナカタもいます。かつてローマ帝国の国教の座をかけキリスト教と競った太陽神ミトラ(ミトラス)もいれば、平安時代の貴族たちをこれでもかと脅かし、日本三大怨霊のひとつに挙げられる平将門もいます。ゲーム中ではそれぞれの説明も付記されており、読んでいるだけでもかなり楽しいです。

『ペルソナ』はそういった神々(悪魔)を自らの力として発現させ、立ちはだかるものたちと戦うジュブナイルなのですが、ではなぜ、人間の超能力が超越的な存在となり表面化するのでしょうか。

”ペルソナ”は無意識だったもの意識することで生まれる力。

地球にはこれだけたくさんの人類が住んでいながら、神とその物語、つまり神話には近似したモチーフが少なくありません。

たとえば、太陽・月・星々といった天体は往々にして神となりやすいですし、高い山や深い海は神の住処とされます。富士山が”霊峰”富士と呼ばれたり、ゲーム『FINAL FANTASY X』にも、雪で覆われた神秘的な山の”霊峰”ガガゼトが出てきます。ほかにも、颶風、雷、豪雨豪雪といった天候に関するものや、人体を文字通り維持する水、人類を動物的存在から大きく引き剥がした発明と言われる火も、神の所作あるいはそのものと認識される傾向があります。かつて東京ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーでは、ミッキーマウスの庇護下で水の精ベリッシーと火の精プロメテオが恋をしていましたが、それぞれの精霊に対して違和感なくショウを楽しめるのは、水と火の精霊(神)に対して人々がすでに親近感を抱いているその好例と言えます。

人類規模で同じようなものを思い描く、というのは、何かがそうさせたからであり、また神話に似通ったイメージが多いのも、何かがそうさせているからだとユングは考え、その”何か”を「集合的(普遍的)無意識」と名づけました。個人個人のそれ(個人的無意識)とは異なり、深い心の底で人類全体に共通した無意識を指しています。

※こうした全人類規模での一致を「シンクロニシティ」と呼んだのもユングです。日本では、音楽グループ相対性理論のアルバム『シンクロニシティーン』や女性アイドルグループ乃木坂46の楽曲『シンクロニシティ』が言葉として馴染み深いでしょうか。

ユング心理学では、人類には集合的無意識があるから、似たイメージのものが意識に出てきやすい、とされます。ゲーム『ペルソナ5』では、その繋がった集合的無意識の世界は「メメントス」と名付けられ、主人公たちはその混沌とした中をダンジョンよろしく深奥目指して潜っていきます。

次に、神々と人類について考えてみますと、たとえば祈祷により神の言葉をもらったり、また神が人間に話しかけてきたりします。こうしたものは神託やお告げと言われ、その内容が思わず刮目してしまう得難い内容であるがゆえに、巫女やシャーマン、また預言者は高位の存在と見なされる傾向があります。

では、どうして神々の言葉は貴重なのでしょうか。

ここでは、その理由のひとつとして、”過去にない新しい情報や価値観”を挙げたいと思います。

「ねこはかわいい」

神がこう喋ってきても、まったく驚きません。大半の人類が既に知っている事柄であり、既知はつまり意識下だからです。

「人を裁くな」
「実力もないのに他人の批判ばかりをしてはならぬ」
「無知の知」
「己の欲せざる所は人に施すなかれ」
「無いと思ってたら多分一生無いんだ」

しかし、こうやって世界四大聖人や漫画『ハイキュー!!』の及川徹先輩の言葉を目にすると、竹谷などは「重ね重ね仰る通りです」と深甚に頷きます。

つまり、「気づき・学び」があるかどうか、が肝心なのだと思います。

座右の銘や、好きな名言があるひとは多いと思いますが、それはかつてその言葉に”気づかされた”経験があるからではないでしょうか。竹谷が孔子の言葉である『論語』を毎年繰り返し読むのも、自らが生きる上で大切にしたいことを一再でなく気づかせてくれるからです。

そして「気づき・学び」とは、それまで無意識だったものが意識まで浮かびあがってくることです。

そう考えれば、神々ないし聖人たちのありがたい言葉は、無意識下に漂っていたものが言語を通じて意識化されることと言えます。

さて、ゲーム『ペルソナ5』において、主人公たちが神々や英雄の名を冠したペルソナ(超能力)を発現させる時、自分の中で誰かの声が聞こえます。

「我は汝、汝は我」

その誰かと対話し、かれらは自らの心に「反逆の意志」があると”気づき”ます。そしてその自分を認め、無意識から意識へと引っ張り出すからこそ、かれらの携えるペルソナは神々やそれに近しい存在をイメージしているのです。

若者たちは、意識下となった超常的な力”ペルソナ”で、抑圧された無意識「シャドウ」と闘う。

『ペルソナ5』の主人公たちは"蒼"山一丁目にある秀尽(しゅうじん)学園へ通う高校生たちが中心です。いたって普通の若者たちで、各々が「高校生」のペルソナをつけて暮らしているわけですが、ある日その仮面に亀裂の走りそうな事態が起きます。

極めて邪悪な精神を持った”おとな”に出会うのです。

もちろん、おとなたちも「社会人」「善良な市民」といったペルソナをつけているので、普段は巧妙に悪意を隠していますが、あることがきっかけで、おとなたちの抑圧された無意識、その欲望の暴れまわる世界が造られます。そして主人公たちは、かれらの無意識下の暗い世界を、現実のものであるかのように行き来できてしまうようになります。

ユングは、人間には誰しもシャドウがあると説きます。他人との距離が近くなると嫌な部分が目につくようになる、というのは、その他人を通じて自分のシャドウを見ているからだそうです。「ひとは鏡」とはまさに、その意を簡潔に指したフレーズでしょう。かく言う竹谷も、今は「自社のブランディングとコンテンツ業界への隆盛の一端を担わんとチームブログを書く代表」というペルソナをつけながら、シャドウは「ラーメン食べたい」「眠りたい」「ゲームしたい」と願い、竹谷はそのシャドウを無意識下に抑圧したままなわけです(こう書いている時点で、意識まで上がってきてはいますが)。

シャドウを放っておかず、誰かとの対話や、自らの思考でもって向き合い、身勝手で嫌いなシャドウを認め、自我に統合していくのが心理学用語として”自己実現”の持つ本来の意味とされます。しかし、『ペルソナ5』において、シャドウは第三者の、しかも意識下でさえ悪意に満ち溢れた人間の、抑圧された無意識を親としているのです。自身のシャドウと向き合うことさえ至難であるのに、他人のシャドウと対峙しなければならない状況では、下手を打てば「ミイラ取りがミイラになる」可能性さえあります。

それでも、守りたいひとや、譲れない思いがある。

だから、主人公たちは超常的な力を持ったペルソナをつけるのです。荒れ狂う第三者の無意識に抗い、対決するために。そして繰り返しますが、かれらは万人に強力なイメージを想起させるような神に近い存在を、集合的無意識からペルソナとして取り出します。

無意識と戦うために、無意識から強いイメージを取り出し、今までのペルソナを剥がして、自らの意識として戦う。

ストーリーの面白さは当然として、意識と無意識、人格の成長といった、人間が生きるうちに経験していくサイクルを描いているからこそ、『ペルソナ5』は全世界へ響いてやまないゲームなのだと思います。

ユング心理学の”元型(無意識下で共通的なイメージ)”が、『ペルソナ5』にどう出力されているか。

主人公は、ほかの登場人物の中でも「ワイルド」と呼ばれる希少な存在で、さまざまなペルソナを使い分けることができます。『ポケットモンスター』のポケモントレーナーがポケモンをモンスターボールで出したり引っこめたりするように、相手によってペルソナを変えて戦います。

その主人公がペルソナを強化・育成できる場は、ベルベットルームと呼ばれます。名前の通り、落ち着きながらもやや豪奢な内装で、歌姫の美声響く空間です。次に貼ったリンクは、ベルベットルームで流れる楽曲『全ての人の魂の詩』です。とても素晴らしい楽曲なので、試聴環境にある方はぜひお聴きくださればと思います。

ベルベットルームには、イゴールと呼ばれる老男性と、若く幼い二人の女性看守がいます。三人は主人公を叱咤したり助言を述べたりしつつ、主人公がより強く優れたペルソナを習得できるよう導いてくれるのですが、これをユング心理学に当てはめれば、それぞれ「ワイズオールドマン(wise old man)」と「アニマ(anima)」と考えることができます。

先に全人類に共通した集合的無意識について述べましたが、意識に浮かんでくる神々のイメージ等は元型(アーキタイプ)があるとされています。その元型により、世界各地で似通ったイメージが出てくるのだとユングは考えました。

たとえば、先にちょうど「シンクロニシティ」が出てきたので、「シンクロ率」でお馴染みのアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公碇シンジを例に取ると、彼は不遇な少年であり、幼いころに母を亡くしておりますが、”母の不在”は古来から続く「英雄」の要素として非常に多く、「碇シンジには英雄の元型がある」と表現できます。

『ドラゴンボール』の孫悟空、『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ、『HUNTER×HUNTER』のゴン・フリークス、『NARUTO』のうずまきナルト、『BLEACH』の黒崎一護、『銀魂』の坂田銀時、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎。

人類はおしなべて母から生まれる、という事実へのカウンターであるかのように、「母の不在」は英雄(半神)にとってクリティカルな要素なのか、上記の大人気漫画において主人公の母は亡くなっているか所在不明です。また、母の死が描写される作品は、そこからキャラクターが英雄的に成長していくケースが多く見受けられます。『鬼滅の刃』については、先日主人公の竈門炭治郎を”半神”という観点から神話として読み解くレビュー書いておりますので、よろしければお読みください。

英雄以外にも元型は色々とあり、その中のひとつが「ワイズオールドマン」です。名前の通り、知恵に富んだ老男性(賢者)のことであり、昔話に出てくる仙人などはこの元型を通して作られた存在と言われます。『ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)』のガンダルフも、まさにこの元型そのものな感じがします。

『ペルソナ5』で、主人公がベルベットルームへ迷いこむのは主に睡眠中です。そして睡眠中に見るものは夢であり、そして夢は無意識の語り部的なものであるとされます。

そして男性の無意識下における女性の元型を、ユングは「アニマ」と呼びました。アニメーション(animation)の語源であり、本来は「生命」を意味する言葉です。『ペルソナ5』の主人公は男性なので、ベルベットルームには女性であるアニマが出てきます。対照的にシリーズ過去作『ペルソナ3ポータブル』にて女性の主人公が登場した際、ベルベットルームの住人は、ひとりはそのままワイズオールドマンであるイゴールに対し、もうひとりは「テオドア」と名乗る若い男性でした(女性の無意識下にある男性の元型はアニムスと呼ばれます)。そしてワイズオールドマンやアニマ・アニムスとの対話を通じ、ひとはまた新たな自我を会得(無意識を意識へ統合)していくのですが、まさにこの図式は『ペルソナ5』のベルベットルームそのものと言えるでしょう。

最後に、おそらく聞いたことのある方が多いだろう元型「トリックスター」を挙例します。どうでもいい知識を晒しておきますと、トリックスターは trickster と綴り、-ster は「~なひと」を指します。したがってトリックスターは走るひとを runner と表するのと同じく、「いたずら界のスター的存在」でなく「いたずらっこ」の意味が正しくなります。また、造語のギャング・スターなら gang star で「ギャングの星」ですが、本来の gangster は「ギャングの一員」を意味しています。ここはテストに出ます。

逸れました。

『ペルソナ5』において、主人公はイゴールというワイズオールドマンから「トリックスター」になれと言われます。これは、何を意味しているのでしょうか。

トリックスターという元型の具体例をいくつか出すと、日本において馴染み深いもので言うならまず『西遊記』の孫悟空が挙げられます。ほかには、火を盗んで罰せられたギリシャ神話のプロメテウスや、映画『アベンジャーズ』シリーズでも大暴れする北欧神話のロキなどでしょうか。少し前にリメイクされたゲーム『FINAL FANTASY XII』では、「トリックスター」という強いチョコボ(騎乗型の大きな鳥)がいます。白くてふわふわしてかわいいです。

ユング心理学でいうトリックスターとは、ただのいたずらっこと異なり、神々や上位的存在に悪いことをして、人類のためになる行いを為す者であるとされます。神に反逆する賊、といったところでしょうか。

『ペルソナ5』の主人公たちは、悪意ある大人たちの無意識の暴力に対し、「反逆の意志」をペルソナとして形成し挑みます。

いわば、悪に挑む「賊」となるわけです。

勧善懲悪でありながら、することは悪事という絶妙なバランスが、ストーリーにさらなる面白さを加えています。作中の学校名が秀尽(しゅうじん)であるのも、囚人と音をかけることで主人公たちが「捕まえられる側」であるという印象を強めています。江戸の世でも、石川五右衛門や鼠小僧のように”義賊”のペルソナをつける人間は、物語になるほど愛されていました。ましてや『ペルソナ5』で相対するのは、邪悪に満ちた人間の無意識です。人間の心が良くも悪くも強ければ、無意識下に抑圧された欲望も大きく膨らみ、そして悪意ある個人の無意識が通常を越えてしまった時、それはもはや悪神と言っても過言ではない力を持ちます。

ゆえに、ワイズオールドマンのイゴールは「トリックスターたらんことを」と主人公へ言い、無意識に挑む意識の力”ペルソナ”でもって、悪神と対峙するよう促すのです。

おわりに。

最後に、自分への復習も兼ね、これまでの内容をまとめさせてください。

・ペルソナは、ユング心理学で言う外的世界に対して機能する人格であり、ゲームでは、主人公たちが闘うために用いる強い力。

・ゲームにおいてペルソナが神々に由来しているのは、抗いたいという「反逆の意志」に”気づき”、人類に共通した集合的無意識から近しいイメージを取り出すから。

・シャドウは、ユング心理学で言う抑圧された無意識の部分であり、ゲームでは、主人公たちがペルソナを用いて闘う相手。

・元型は、ユング心理学で言う集合的無意識下の共通したイメージであり、ゲームでは、主人公がそのひとつであるトリックスターと呼ばれる。

無意識を意識化し、自我に統合していくのがある種の気づき、もう少しかっこよく言うなら「覚醒」であり、集合的無意識は人間の内側に住まわれる神々の領域であるからこそ、「反逆の意志」という強固な気づきから芽生えた自我は超常的な力を備えたペルソナとなり、誰かの残酷な無意識に挑める手段たり得ます。

ペルソナすなわち仮面、という観点からまず小説『素顔同盟』が浮かび、思い出とともに記し始めましたが、竹谷が『ペルソナ』を好きになる下地は、この頃からあったのだなあと書いていて気づきました。

これまで、ただ「面白すぎる」と興奮しながら『ペルソナ』シリーズをプレイしていました。そしてこの記事を書いていくにつれ、『ペルソナ』のストーリー構成や背骨は、ユング心理学の「人間の意識と無意識」を綿密に織りこんでいたからこそ、”めでたしめでたし”だけで終わらない面白さがあるのだなあと思いました。ユング心理学の果実をひとかじりした今こそ、やはり『ペルソナ』は最高のゲームだと心から頷きます。

竹谷の言ってるのは全然ユング心理学ではない、という有識な方もいるかと思います。ご不快な思いを抱かれていましたら申し訳ありません。

さて、最後の最後となりますが、そも今回『ペルソナ5』をオススメしよう、と竹谷が思い立ったのは、発達障がい児や不登校児に向けたWEBサービスを提供されている「Branch」の代表中里祐次さんに「オラ、竹谷にペルソナ5をオススメされてえ」とお申しつけいただいた経緯がありました。

『ペルソナ』のタイトルがユング心理学に由来すると知ってから、ユング心理学への”めがっさ好奇心”状態が続いていたものの、生来根気なしの竹谷はその門戸をなかなか叩こうとしませんでした。中里さんからのご要望あって、「せっかくなら『ペルソナ』とユング心理学をセットでオススメしたい」と冷え性気味の足腰をようやく動かし、ユング心理学の書籍を読み漁ることができました。この場を借りて、中里さんに御礼申し上げます。

また、『ペルソナ』というゲームに出会っていなければ、竹谷はユング心理学に興味を持つこともありませんでしたし、”ゲームが好き”というベン図の重なりが中里さんとの間で見えなければ、この記事をこうして書くモチベーションもないままでした。竹谷の興味や意欲は、ゲームを中心にできているなあと改めて思います。

いやあ、ゲームってほんとうに良いものですね。

お読みくださりありがとうございました!

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『ペルソナ3』のリメイク、とりわけエリザベスとの再会を待ち焦がれながら。

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▽東京マンガレビュアーズさんにて漫画レビューも書いております▽

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