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『灰のもと、色を探して。』第14話:決戦

 雪と灰は似ている。
 徐々に、冬は終わろうとしていた。それでも、雪が降ると手がひどくかじかんだのを、ミリアは思い出す。
 ミリアは手を開き、降りゆく灰の感触を確かめる。雪ではない。ただ、寒空から届いているからか、冷ややかさを指先に感じた。
 ひと月ぶりの灰の国は、一段と寒くて暗い。しかし、その大気に抵抗するかのように、手は熱を保ち、躰の芯も固まってはいなかった。心がそうさせているのだろう。
 門前まで来ていた。ここから、三人とも満身創痍で、逃げるように出てきた。今から再び入りゆく。そのことを、怖いとミリアは思っていた。その気持ちは、首の裏や背をゆるゆるとまさぐっている。
 しかし、相反するように、滾る力がミリアに満ちていた。
「すげえ、なんだこれ」
 声高にアッシュが言う。ギマライの仮説は、当たっていたということになる。
「二人とも、どう? 俺は、以前よりずっと強い力を、自分の中に感じている。操れる対象も量も、すごく増えているみたいだ」
「俺もだよ、ギマライさん。使える魔法がたくさん」
「ミリアは?」
 問われ、ふと思い立って、地面を蹴った。
「速くなったんじゃない?」
 ギマライの背後から、声をかける。
「速すぎて、見えないな」
 ギマライはこちらを見ずに、返してくる。驚いた風でもないのが、面白くない。
 斧を構える。途端に、ありとあらゆる技、歩法、呼吸を既に知っていると気づく。そして、ひと月前の自分が、いかに脆弱だったのかも。
「多分、各々新しい魔法や戦技が増えていると思う。しかし、繰り返しになるけど、奥の手は」
「ここぞという時、一度のみ」
 アッシュが、ギマライの句を継いだ。
「そう。これは決戦だ。絶対に仕留める」
 灰空でわからないが、時間としては夕暮れ前だった。日が落ちると強制的に戻ってしまうことを、逆に利用して時間を制限した。単純に、戦闘が長引けばこちらの消耗が大きく、ゾヴに勝てる見込みはいよいよ先細っていくこと。そして、仮にゾヴに捕らえられたとしても、日没が来れば逃げることができること。その二点が、主な理由だった。
「じゃあ、行くか。覚悟はいいか、二人とも?」
「ええ、行きましょう」
 アッシュは頷き、同意を示している。
 鳴き声が聞こえた。丸々として毛玉が、どこからか素早くこちらに寄ってきていた。それにしても足が短い。
「色丸。久しぶりだなあ。元気にしてたかあ」
 嬉しそうに、アッシュは近づき色丸を撫でる。色丸の小さな尻尾が、アッシュの喜びも加えているかのように、勢いよく左右へと揺れた。
「ゾヴには、とっくに気付かれているだろうね。せっかくだし、堂々と歩こう」
 門を通る。ひと月ぶりの造物主の石庭は、相変わらず水で造形されていた。
 ただ、その水が澱んでいるように見える。なにか知りたくないものが、内包されているかのように。
 ヒューを助けに行く。そう決めてから、ギマライがミリアたちに話した仮説は、大きく分けて二つだった。
 ひとつ、灰の国での強さは、ミリアたちの世界と連動していて、本人の精神の向上は勿論、身体の鍛錬、知識の学習などによっても変えることができる。
 ひとつ、再創世はできる。
 そのうちの前者は、たった今証明された。この一ヶ月、ミリアはひたすらに躰を鍛え、小さいながら斧を振り、そして斧や素手格闘に関する歴史を紐解いていた。アッシュは炎に触れ、観察するため、浴場や灯台、鍛冶場などに通っていたようだ。ギマライは、街の運営する大書庫から、ほとんど出てこなかった。おそらく、さまざまなものを操るために、生物の習性や特性について調べることがたくさんあったのだろう。
 仮説は、ミリアをきっかけに思いついたと、ギマライは言っていた。
 ヒューと話し、ミリアが彼女に尊敬を抱いた日。その時から、ミリアの強さは刮目すべきほどとなり、斬撃の鋭さや躰の運びが研ぎ澄まされたのだそうだ。
 灰の国であっても、こちらの世界であっても、強くなれば、強くなる。それは、精神以外でもきっと同じだ。ギマライはそう言い、それぞれの属性を強化するために、やるべきことを考えていった。
「色丸。おまえは、アッシュに付いてるんだぞ」
 ギマライの言いつけに、色丸は短く吼える。
「本当に、再創世できるの、ギマライさん?」
「しつこい、アッシュ。ゾヴは、諦めろと言っていただけだ。再創世ができない、とは言っていない」
 後者の仮説を実証するために、役割を決めていた。ゾヴと戦うのは、ミリアとギマライ。再創世をするのが、アッシュだ。
 おそらく、再創世を起動できる装置、もしくはその起点となる場所は、ゾヴがいたところの先にある。当然に、ゾヴは邪魔をしてくるだろう。そこを受けて立つのが、ミリアとギマライの役割だ。
「そんなことより、アッシュ。使えそうな魔法はあるのか」
「ある。これなら、大丈夫だと思う」
「そうか」
 いくつかの策を、事前にギマライは考えていたようだが、ミリアたちに彼が要求したのは、連携した攻撃を遅滞なくすることだった。
 ギマライの操作、アッシュの炎、そしてミリアの斧。三つの手札を、どう組み合わせるか。その時その時の機転はあれど、ある程度は定番を作り滑らかにやれるように、何度も鍛錬を積んだ。もちろん、魔法は使えないし、大斧を扱うこともできない。想像し、共有し、それぞれの間や機を合わせることを確かめ続けた。
「あの先だな」
 階段が見えた。あそこをあがれば、ゾヴがいる。
 逸る気持ちを、必死に抑える。噛みしめるように、階段をあがっていく。
「怖いな、まったく」
 ギマライの声に、軽さはなかった。本心で言っているのだとわかる。
「帰ってもいいよ?」
「また、ミリアはギマライさんに冷たいんだから」
 アッシュが、眉をひそめる。ミリアは軽く舌を出し、アッシュに見せた。
「帰るわけがない」
 ギマライの視線が、こちらに注がれている。以前もそうだったが、彼は灰の国に来てから、どこか性格が変わったようになる時がある。それが少し苦手で、しかしまた、かすかに頼もしく思う気持ちがミリアの中にあった。そのことを、嫌だとは思わない。
「勝って、ミリアをヒューに会わせる。それしか考えてない」
「う、うん。そうね」
 眼差しに、たじろぐ。
「俺も」
 アッシュも、あとに続いた。
「ありがとう、アッシュ、ギマライ」
「そういうのは、勝ってから言ってくれ」
 ギマライからの返しに、自然に笑みがこぼれた。
 階段の一段一段に、冷気が濃く絡まっているようだった。冷えにも重さはあるのだと、ミリアは足元を眺めながら緊張の高まりを感じる。
「落ち着いていこう、ミリア、アッシュ」
 頷き、息を吐いた。心を鎮め、指から力を抜く。斧はまだ握らない。
「やはり、来るのですね」
 広場の中央に、椅子があった。以前に比べ、どことなく朽ちている。そこに変わらぬ風体で、退屈そうにゾヴが座っていた。
 水は広場を全体的に流れているが、前に見せた活発さはなく、流れが止まっているとさえ思えるほど、ただただ殺風景に、静かだった。
「なぜ、諦めてくれないのですか」
 まだ距離はある。そうにもかかわらず、まるで間近にいるように、声は聞こえる。
 ゾヴの相手をせずに、歩を進めていく。三人の集中は、ゾヴ以外のものにむけられていた。
 とにかく最初は、情報を集める。それも、ギマライから言い渡されていた。場の情況や敵の数を把握し、どう動けば有利になり、逆になにをすれば不利となるかを考える。そしてその思惑を、相手に悟られてはいけない。なにか変化の跡はないか。違和感を覚えるものがあるか。
「訊きたいことがあってさ」
 ギマライが、軽々しい調子で言う。
「わざとらしいですね、ギマライさん。それで、なにを?」
「再創世する場所って、この広場のさらに奥だよな?」
 地面にあった水が、ゾヴのまわりに漂いはじめる。
「前も申したでしょう。再創世しても、世界は変わりません」
「やっぱり、できないとは言えないし、ここではない、とも言えないんだな」
 浮遊する水が、若干震えたように見えた。
「ヒューも、お前も言っていただろう? 使徒の不在で、世界は誤作動だらけだって。そしてゾヴ、おまえも、そのうちのひとつに過ぎないんだよ」
 ゾヴは、なにも言ってこない。返してこないことが、不気味に映った。
「まあ、俺たち人間も同じなんだけど。自分は誤ってない、狂ってないって、信じこむ傾向があるんだ。自分の考える価値や論理が、絶対に正しいってな。おまえも一緒だ。この誤作動だらけの世界で、自分だけは正しい役割を果たしていると信じきっている」
 椅子が浮く。ゾヴは、浮かぶ水で頬杖を作った。
「たしかに、おまえは造物主の石庭の管理人なんだろう。だから、そこに関する嘘がつけない。そして、ここから動けない。おまえの役割だからな」
 水が線と成る。それを見た瞬間、ミリアは斧を取りギマライの前に出た。放たれた水撃を、打ち払う。
「おいおい、落ち着けって」
「僕が狂っている。だったら、なんだというのですか」
「いや、別に。先日の報復に、少しでも気分を悪くしてくれたらいいなとね」
 躰は、余裕をもって反応できていた。以前なら、防げていなかっただろう。それを確認する意図もあって、ギマライは挑発を続けたのかもしれない。それならそうすると、事前に教えてもらいたいところだった。
「じゃあ、通らせてもらうよ」
 ギマライは、ゆっくりと前へ進む。いつでも防衛できるよう、ミリアは気を配りながら歩を合わせた。アッシュは、いくらか二人に距離を取りながら、色丸とともにいる。
 気配が濃度を増していく。ゾヴそのものではなく、自分たちを囲むようにして現れていた。魔物に近い。近いが、なにか違うような感覚がある。
「人?」
 声に出してしまう。百は超えるだろうか。広場の周囲に、人垣ができていた。
「人ですよ。あなたがたと同じく」
 違う。今度は、声を立てない。動きが変だと、ミリアは思った。緩慢に思えば、目まぐるしく躰が揺れる。震えている者、足取りの覚束ない者、急ぐように指で躰を掻いている者。手には、剣や盾、槍や棍棒などを、統一なく持っている者もいた。
 そして、皆一様に開口し、漏らすように呻いている。なにか、もがくように。
「どうせ来ると、思っていましたからね。せっせと精を籠めて作りました。大変でしたよ、これだけの魔物を用意するのは。僕の職務からは逸脱しておりますし。ほぼ徹夜です。肌に悪い。まあ、素材はたくさんあったので、暇つぶしの手芸にはちょうどよかったのですが」
 暗澹(あんたん)とした感情が、脳裡に蠢く。考えてはいけない、考えたくもない。突如として、ミリアは吐き気に襲われていた。ギマライが、心配げな視線をむけてくる。頷き、気を鎮めるべく呼吸を深くした。
「嘘をつくな、と言いたいが、おそらく事実なんだろう。気分は最悪だが、ひとつだけ訊きたい。これだけの人間が、どこにいたのかってことだ」
「先ほど申したではないですか、あなたがたと同じ、つまりは使徒たちですよ。正確には、使徒だった、ですね」
「死者を、蘇らせたと?」
「はい。肉や骨はとうに朽ちているので、土木や岩石で代用していますが、霊魂は本物です。水とは本来、こういう使い方をするものです」
 じりじりと、包囲は狭まってきているようだった。大きくなっていく呻き声に、依然として不快感は増していく。
「水の行き着く先は、死者たちの住む場所、冥の世界です。水を究め冥に通ず。通じた先から、霊魂を引き戻したんです。高度な技術あってのものだと、ご認識ください。とはいえ慣れないもので、最初の方は出来が酷いですが」
 ゾヴは苦笑する。泥で人形作りに勤しむ童のように、ゾヴは人間を魔物に作り変えている。
「死者を冒涜しているとしか思えないな、俺には」
 ギマライと、思いが重なる。ゆっくりと斧を握り、腰に構えた。過度に力を入れようとする自分を、ミリアは制する。まだ、ギマライから攻撃の指揮は出ていない。
「そうですか。先日からというもの、なかなか僕たちは意見が一致しませんね」
「いいことじゃないか」
 色丸が、体勢を低くする。ギマライのなにかを、感じ取っているのだろう。アッシュは喋らない。すでに、脳内で詠唱をはじめているのだ。
 機が熟していく。一度だけの機。その一度に、すべての力を吹きこむ。
「ではせめて、興味関心の一致はどうでしょう」
 ゾヴがこちらを見て、冷ややかな笑みを浮かべる。心底に生じた寒気を、ミリアは無視することができなかった。
「皆さんの大好きなヒューは一体、どこにいるのでしょうか?」
 ギマライからは、先んじて言われていた。ヒューは自分たちの弱点であり、できるならそこをゾヴに突かれないよう動くべきで、またこちらから物欲しげに言及してもならないと。
 それでも、ゾヴは必ずどこかで、その手札を切ってくる。そうも言われていた。だから、身構えておくようにと。決して動揺を見せるわけにはいかないのだ。
 わかっていても、視界が揺れた。躰が強張るのが、自分でもわかった。
 肩に手が置かれる。見ると、ギマライだった。視線が下がりかけていたと、その段に至って気づく。
「気にならない、と言いたいが、そうもいかない。あの子は仲間だからな」
 置かれた手に、力が入る。ギマライも、怒りを覚えているのだろうか。きっとそうだ、とミリアは思う。
「だけど気をつけろよ、ゾヴ」
「なにをでしょう?」
「ヒューは、俺たちの仲間だ」
「違います。僕の下位的存在です」
「黙れ。こっちはヒューを取られて、我慢の限界なんだよ。言葉選びはもちろん、あの子の今の状態によっては、次に発する言葉がおまえの最後になる」
 淡々と、だが一語一語をはっきりと、ギマライは言う。手が離れ、触れられていたところに、熱だけが残った。
「嬉しいですよ、ギマライさん」
 くぐもった笑い声を、ゾヴはあげる。
「やっと、僕たちの心は一致しましたね。いやあ、だれかと物事を共感できるのは、幸せです。ヒューが心配ですよね。僕もです」
 笑いはやまない。壊れたおもちゃのように、大きく高く響いていく。
「居場所は、僕にもわからないのですよ。あの時、どうやらヒューはあなたがたに治癒魔法を唱えたみたいでして、その後も、幾度となく反抗的で身勝手な態度を取られましてね」
 やはり、ヒューは自分たちを助けてくれていたのだ。嬉しさと同時に、欲がもくもくと湧いてくる。
 もう一度会いたい。火を囲んで、互いのことを話したい。膝枕をしてもらいたい。
 ゾヴは、眼を擦りはじめる。執拗にそして力強く、笑ったままに。眼どころか、皮膚にさえ傷がつきそうな勢いだった。
「だから、彼女も魔物に変えました。その時は、ほかの魔物を作るのに集中していましたからね。混ざってしまって、多分、そこらへんにいるとは思うのですけど」
 飛び出しそうになる自分を、なんとか押さえつける。
 想定していた事態のなかに、ヒューが敵対する、というものはあった。しかし、紛れている、というこの現況は、何度ギマライと議論しても出てこなかった。
「誤ったな、ゾヴ」
 魔物の一体が、ゾヴに剣を振りあげる。斬ろうとした直前、首が飛んだ。ゾヴの水撃が、切断したのだろう。
「操作魔法は、これだから嫌いなんですよ。せっかく仕上げた作品を、そんな風に操るなんて、随分な真似をしますね。それよりも、いいのですか? 今壊した魔物がヒューだったら、あなたが彼女を殺したことになりますよ?」
 言いながら、ゾヴは椅子から降りた。ただ静かに、その場に佇む。
「その時は一生をかけて、ミリアに詫びるさ」
 ギマライは、再度こちらを見てきた。さらに近寄ってくる。
「順番だ、ミリア」
 耳元で、ギマライは小さく声を立てた。事前に決めていた手筈。立てていた作戦。共有していた、それぞれの能力。ギマライの操作魔法の順番。ミリアには、それがなにを指すのかすぐにわかった。彼が、なにをしようとしているかも。
「聞こえていますよ」
「だろうな。でも、なんのことかわからないだろ? まあ、せいぜい気にしてくれ」
 空気が変わる。緊張ではない。どこか慣れ親しんだ空気。見えない無数の糸が、ギマライから発せられているようだった。
「戦おう」
 合図だった。合わせて、即座にアッシュは駆けていく。
 再創世とヒューの奪還。二つの目的は、両方完遂されなければならない。ただ、それを順序よくやるには、人数と時間が足りなかった。ましてや、ゾヴという脅威が立ちはだかっている。だから、分担して事に当たる。危険性は当然高まるが、安全な仕事に、よい報酬は出ないのだ。
 アッシュは再創世を、自分とギマライは、ゾヴの妨害を。ヒューの場所や状態が不確定な以上、機に臨みて対応するしかない。
 なぜか笑みを浮かべるギマライの足元に、血が一滴落ちて、染みができた。


 最初に唱える魔法は、決めていた。
「守れ、炎熱套」
 走りながら、アッシュは後方を振りむき、放つ。ミリアとギマライの躰、その縁が赤く彩られて輝いた。
「アッシュ」
「これなら、いくらか損傷を防いでくれる」
 水を扱うゾヴに対するなら、より効果はあがるだろう。自分を防護することはできない。
 想定していたことだが、かなりの数の魔物が付いてきている。
 自由を奪う。その程度で充分だと、アッシュは判断していた。
「弾けろ、燠打」
 行く手を遮ってきた二体の足に、炎が絡む。近接した相手を、発火させられる魔法だった。短く叫んでから、魔物はその場に転がる。斃せてはいないが、動けなくできれば問題なかった。その魔物が、ヒューかもしれないのだ。
 試してはみたが、自分では、二つ同時に詠唱はできなかった。そして、作戦を完遂するために、詠唱を切らしてはならない魔法がある。切らしたり、あるいは短かったりすると、本来の威力が出ない。逆に、幾重にも詠唱を連ねた上で放たれた魔法は、何倍もの破壊力を持つ。極力詠唱を切らさずに、何度も唱え続けることが、最適な方法だった。必然的に、蹴散らすには詠唱を要さない魔法で対処することになる。難度は高いが、やるしかなかった。
 無理ならいくらでもする。そう決めている。
 複数体が、囲むようにして飛んでくる。意思があるのかわからないが、妙に動きが統制されていた。これも、ゾヴのなせることか。
 跳んだ。同時に、右手から勢いよく発火させる。その勢いで、身体能力以上に上昇できた。魔物たちの頭上を、軽々と越えていく。
「穿て、十三焔弩」
 残った左手で放つ。火炎でかたち取られた十三の矢が、魔物の手や足に刺さっていく。複数を相手にできる分、威力は少ない。詠唱なしでは、なおさらのことだが、それでも足止めには事足りる。
 着地し、さらに駆ける。まだまだ、魔法を使う余力はある。
 とはいえ、敵にも尽きる様子は見えない。追っ手でこの多さなのだから、残ったミリアたちの負担を考えると、身の震う思いになった。
「あの二人なら、きっと大丈夫」
 言い聞かせるように呟く。応じるように、近くで色丸が吼えた。その丸々とした姿を、確認している余裕はない。
 広場を抜け、下りの階段にさしかかる。その先、いくらか進んだ距離に、石で作られた窪地があり、扉が見えた。ほかの場所かもしれない、という逡巡は捨てる。迷っている暇などない。
「薙ぎ倒せ、火尖三剣」
 横に回転し、勢いよく一本の剣を投げる。途中で三つに分かれた刃は、轟音とともに狙い通りに扉へ刺さった。
 ところどころ崩れているが、開くには至っていない。思わず、舌打ちをしそうになる。
 もう一度。放つ前に、影が見えた。複数ではなく一体。燠打か焔弩だ。
 呼吸を忘れる。
 最初に目に留まったのは、乱れるに任せた髪だった。古の神話に出てくる蛇女のようにうねり、重さに逆らい硬くなっている。
 その、煌めく金色。
 対峙したまま、アッシュの時間は流れない。
 その魔物の躰は、ひどいありさまだった。崩れているわけではない。だが、付着した人外のものに、さらになにかが付着し、歪なかたちを見せていた。
 眼が合う。逸らしてはいけない、とアッシュは思った。発している気が、尋常のものではない。先ほどまで相手にしていた魔物らより、一層も二層も違う力を持っている。
 知っている瞳だ。しかし、この眼差しは、彼女のものではない。
 噛み合わせた奥歯が、ぎりぎりと軋んだ音を立てた。憤怒に流されそうになるのを、かろうじて制御する。
 この姿を、ミリアが見なくてよかった。心からそう思った。
 右手をゆっくりと挙げた。
「鳴け、焔弩(えんど)」
 現れた火の弩から、矢が上空にむかって撃たれる。少し変化を加えたもので、切り裂くような音を出した。
 ヒューがこちらにいると、ミリアとギマライに知らせるためだ。

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「ア、ア、シュ」
 歯切れの悪い、声とも呼べないような音。しかし、たしかにヒューのものだった。
「大丈夫」
 後続の魔物も来ているようだ。背後から、地鳴りのような音が響く。
「大丈夫だよ、ヒュー」
 俺が必ず、助けるから。
 声には出さなかった。こみ上げてくる思いは、すべて詠唱に乗せる。
 自分でも不思議なことに、心の漣が落ち着くまで、さほど時間はかからなかった。

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こちらのイラストは、いぞべあげ様に描いていただきました。
改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。

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