『家康、江戸を建てる』①流れを変える
GW最終日になんとか形になったので良かったら読んでみてください。
関八州をやろう
1590年。
秀吉からそんな提案を受けた49歳の家康が関東へ入府したのは8月。
その頃の江戸城のまわりはまだ海だった。
ここを、わしは大坂にしたい
そんな家康のあり得ない夢に対し、主君思いの本多忠勝が言った。
しかし、埋立てが始まるのは16年後の1606年の第一次天下普請を待つ。
今は別の事業を行う必要があった。
本田に続き、家臣の土井利勝が口を挟んだ。
家康はすでにこの問題の対応者を決めていた。
家康から依頼されたのは当時41歳の伊奈忠次だった。
彼がこのお話の一人目の主人公である。
それから2年。
忠次は関東平野をくまなく歩き、一つの結論にたどり着いた。
やはり利根川じゃな
これが、「利根川東遷事業」と語られる一大河川工事の始まりだった。
忠次はそう結論付けた。
当時の利根川は現在とは異なり、東京湾へ流れ込んでいた。
「会の川」の廃川工事
伊奈が最初に完成させた工事は1594年の「会の川の廃川工事」だった。
しかし、この工事に忠次の息子の忠政は疑義を呈した。
確かにその通りであった。
しかし、忠次にとってこの工事は土木技術のテストだった。
これから実施される利根川・渡良瀬川の合流工事の。
そして、その最終目標は利根川を鹿島灘への流れに変えることだった。
忠次から息子達へ
ここから小説では断片的にしか語られていないが以下の様な事が起こる。
1598年秀吉死去
1600年関ヶ原の戦い。
1600年伊奈忠次代官頭になる。
1603年江戸幕府開府
1610年伊奈忠次61歳で死去。事業は息子の忠政(26)に引き継がれる。
1614年大坂冬の陣
1615年大坂夏の陣
1616年家康75歳で死去。
1618年伊奈忠政34歳で死去。事業は弟の忠治(27)へ引き継がれる。
本の題名の家康はオーダーこそすれ、このプロジェクトの完了を見ることはなかったのだ。
治水から利水へ
1621年。
最初の登場人物が皆いなくなった世でお話は再び動き出す。
その知らせを聞いた伊奈は「忠次」でも、その息子の「忠政」でもなく。
忠政の弟にあたる、伊奈忠治であった。
ここで主人公は忠次から息子の忠治へと代わる。
道半ばで11年前にこの世を去った忠次の意思を継ぎ忠治はみごとにこの大事業を成功させた。
家康の関東入府からすでに30年。戦国時代は江戸時代となっていた。
いくら田をふやしても人口は一気に増えるわけではない。
重い米を運ぶのも陸路より水路のほうが楽で早かった。生産よりも流通。
江戸は水路ネットワークを張りめぐらせる事に重点が代わっていった。
つまり、相変わらず利根川は東京湾へ流れ込んでいた。
勘定奉行と代官頭を引き継いだ忠治は父から思い描いていた伊奈家の目標を心にしまい込んでいた。
しかし、その炎は消えたわけではなかった。
利根川東遷最後の一手
1642年51歳の時に忠治は代官頭一本に仕事を絞る事が許された。
そして、念願の利根川東遷事業の最後の一手を打つ事にした。
1645年。部下であり息子の伊奈忠克を呼び寄せた。
そしてその工事の完了はそれから9年の歳月を必要とした。
1954年。
疎通のその日、忠治の姿はそこにはなかった。
疎通の前年、忠治は62歳でこの世を去っていた。
そして、最後に主人公は息子の伊奈忠克に代わる。
家康からの依頼から64年。
伊奈家三代四人の男たちの念願はここに完了する。
利根川は最終目標の鹿島灘への流れ込むルートをたどるようになった。
感想
岡田斗司夫さんの解説を聞いてむちゃくちゃおもしろそうだと思い、最初にこのDVDをみました。
このDVDではこのお話はあまりメインどころに置かれていませんでした。
ゴールデンウィーク前に本を読み出したのですが、たしかに面白い。
GW中により深くこの話を知ろうと色々調べ出しました。
読んだ方が、楽しんでいただければ幸いです。
(参考)
https://youtu.be/Q9japwzKOY0
https://www.youtube.com/watch?v=XdZOMAiXP_M
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