意思と身体は操れない

一週間ほど前から風邪のような症状が出ていて、治ったり治らなかったりを繰り返しています。
治ったかと思いきや一昨日の夜に急に熱が出て、これは薬を飲んで早めに寝ようと思い21時にベッドに入りました。
この状態なら10時間ぐらい寝たいし、寝るぞと思っていたけど23時に目が覚めました。
そこからどうやっても眠る事ができなくて、結局3時ぐらいまで起きていました。
翌日、熱は下がっていたので良かったのですが、「眠りたいのに眠れない」という状態がとても辛かったです。
そして、そのような状態になった事は一度や二度ではありません。

子供の頃から寝る前の時間が苦手でした。
宇宙や死後の世界のことを考えて不安になり、泣いてしまって泣きつかれて寝る、みたいな事を繰り返していました。
それは実家を出て一人暮らしをするようになってからも変わりません。
不安な事を考えると眠れなくなる、という事は分かってきたので別の事を考えるようになりましたが、どうやら「考える」という事自体が良くないと気づいたのは割と最近です。
睡眠に関する本を読み、ネットの記事を読み、『ヘッドスペースの睡眠ガイド』というネットフリックスの映像を観たり、自分なりに「こうしたら眠りやすい」という事がわかってきたのでそれを実践しています。
ただ、それでもうまく寝付けるかどうかはその日次第、という感じです。
芸人になってからは眠れなさがより加速して、ライブが無い日はそれがマックスになります。
おそらく眠れるほど身体が疲れていないのだと思います。
そういう日は身体がギリギリになるまで、何か作業をしたり本を読んだりして、気絶するように眠っています。
一番良い睡眠方法は気絶だと思っているけど、身体的には多分良くないです。ただ、一番精神的には楽です。

これは、ただ寝てない自慢をするための文章と言うわけではなく、単純に「自分の身体なのに、なんですぐに眠る事ができないのか?」という疑問を投げかけたいだけです。
すぐに眠れないという事は「頭では眠りたいと思っているのに、身体はそれを拒否している」という事になります。
自分の身体は自分なのだから、すべてを意のままに操れるというわけではありません。むしろ、自分は自分の事を全く操れないのでは?と思う事すらあります。

「人間には自由意志は存在しない」という話を聞いてから自分でもよく考えます。簡単な例で言うと、「お腹が空いたからラーメン屋に行こう」というのは自分の自由意志のような感じがします。しかし、なぜラーメン屋に行くという選択になったかと言うと、さっき道で美味しそうなラーメン屋を見つけた、とか、昨日美味しそうなラーメン屋の情報を見た、とか外的な要因があるはずです。
そう考えると、私たちは「ラーメン屋に行っているのか」「ラーメン屋に(外的な要因によって)行かされているのか」判断がつかないという事です。

睡眠とは少し違う話のような気がしますが、「自分の身体や意思は自由に操れない」と考えると同じだと思います。

NHKスペシャルを観ました。

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