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禅語を味わう...002:心頭滅却すれば 火も自ずから涼し

安禅は必ずしも山水を須いず 心頭を滅却すれば火も自ずから涼し...

        安禅不必須山水、滅却心頭火自涼

(あんぜんはかならずしもさんすいをもちいず しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)


4月3日は快川国師...快川紹喜禅師(かいせんじょうきぜんじ)の命日です。
快川国師、という呼び方は、じつは正確ではありません。
天正九年に正親町天皇(おおぎまちてんのう)から「国師号」を賜っているのですが、その国師号は「大通智勝国師(だいつうちしょうこくし)」と言います。ですから、「国師」とお呼びするときには「大通智勝国師」と呼ぶのが正しく、国師としてお呼びしないときには快川紹喜禅師というのが正式なお名前です。

さて、快川紹喜禅師と聞いても、あまり馴染みのない方も大勢おられるかもしれません。武田信玄公の禅の師と言えば、わかりやすいでしょうか。あるいはそれよりも、


   心頭滅却すれば 火も自ずから涼し


という言葉とともに、文字通り燃えさかる炎の中で坐を組みながら亡くなった方...これを「火定(かじょう)」と言います...その壮絶な最期を通じて人々の記憶に残る禅僧と言うべきでしょうか。
快川国師については、いつか改めてご紹介したいと思いますが、禅語のシリーズである今回は、その最期の言葉とされている「心頭滅却すれば 火も自ずから涼し」を味わうこととしましょう。

はじめに、この言葉は快川国師の末期の句として知られているのですが、じつは出典があります。
かつて、このように出典があることにより、国師の末期の言葉(遺偈:ゆいげ:といいます)は「パクりだ」といった、穏やかではないことを言う方もおられたといいますが、出典自体はじつは有名なもので、それなりの禅僧であれば教養としてとうぜん知っているべき語なのです。ですから、有名な言葉すぎて「パクリ」というにはあたりません。じっさい、この語を用いた禅僧はたくさんいますし、快川国師自身も、生前に別の機会で用いてもおられます(『天正玄公仏事法語』)。
このような誤解が生じる背景には、「著語(じゃくご)」あるいは「下語(あぎょ)」とよばれる、禅僧たちの特殊な修行のスタイルが存在します。
これはどういうものかと言えば、修行で得られた自身の境地を言葉で表現する場合、それを先人たちの言葉や、人口に膾炙した名句・名言を当て嵌めて用いる、というものなのです。
「句草子三年(くぞうしさんねん)」という言葉があるのですが、小僧として幼くして禅の世界に入門すると、まず初めに立ち居振る舞いから日常の細々としたことまでを一から学ぶのですが、それと併行して「句草子」つまり禅の名句が集められたテキストを丸暗記して覚えていくのです。
そうすると、最終的には一通りのことを覚えて一人前の修行僧(雲水)として行脚(あんぎゃ)の武者修行に出る頃には、「仏教経典」や「禅の語録」、「四書五経」のような古典の名句、歴史的な故事成句、漢詩の名句といったものが自然にスラスラと口をついて出てくるようになり、文化的な背景を分厚く背後に控えた教養を踏まえながら、適切な表現を自由自在に駆使できるようになるのです。これは禅宗においてとても大切にされた教育法で、「禅問答」というものには、こうした背景が存在するのです。
「著語」「下語」というのは、そのようにして、時宜に応じて感興の赴くままに、繊細精妙な名句を、簡潔手短に、或いは寸鉄人を刺すような鋭い表現として、また或いは余韻嫋々と含蓄たっぷりな仄めかしとして用いるものなのです。

さて、「心頭滅却すれば...」に戻りましょう。
この語は、まず第一に、禅宗のテキストの中でも「宗門第一の書」として重んじられている、『碧巌録(へきがんろく)』という禅の語録に登場します。
若き日の信玄公も取り組んだこの『碧巌録』の第四十三則に「洞山無寒暑(とうざんむかんじょ)」という公案(禅問答)が登場し、夏の猛暑・冬の極寒にむかってどのように修行するべきか、というテーマをめぐって、師である洞山と弟子の修行僧の問答が繰り広げられています。そしてこの問答の解説の中に、黄龍の新(おうりょうのしん)和尚という人の言葉として、「心頭滅却すれば 火も自ずから涼し」と出てきます。
そして第二に、この『碧巌録』にもさらに出典があり、もともとは晩唐の詩人、九華山人・杜荀鶴(とじゅんかく:846 - 904年)の作だというのです(『唐風集』)。
今回は、そのもとの作品を見てみます。

夏日題悟空上人院詩  杜荀鶴
三伏(さんぷく)門を閉ざして一衲(いちのう)を披(き)る
兼ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭(おお)う無し
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
心頭を滅却すれば火も亦(また) 涼し

「夏日、悟空上人の院に題する詩」と題されるこの詩は、杜荀鶴が旧知の僧、悟空上人が主を務める僧院を訪問しての感懐を歌うものです。
「三伏」というのは、夏至の後の一番蒸し暑い季節です。
この酷暑のさなかに、詩人は悟空上人のもとを訪れます。「問候(もんこう)」という言葉があるように、相手の安否を気遣い、挨拶にうかがうのですが、後に五代後梁の初代皇帝となる朱全忠の寵愛を受けた翰林学士(かんりんがくし)で、権勢もあった杜荀鶴がわざわざ足を運ぶのですから、二人は親しい仲であったであろうことは想像ができます。
さて、院に到着すると、門が閉ざされているというのです。
ここは、とても重要なところです。お寺では、毎朝鐘を搗き、朝のお勤めをするのですが、起床したらまず最初にするのが門を開けることなのです。それから鐘を搗く。そして夕景、お経を読みながら昏鐘(こんしょう)を搗き、門を閉ざす。
何時、誰が訪ねてきても応ずるのが出家です。だから僧侶は、寺にいるかぎり、日中は必ず門を開けておくものなのです。ですから、門が閉ざされているというのであれば、旅に出かけているのか、それともこの猛暑の中で病に臥せっているのか...
旧知の間柄なのに、かねて旅に出るとも聞いてはいない。それで、おかしいことだと思い、門が閉ざされているので、おそらくは潜り戸から中に入ったのでしょう、院のなかをそっと窺います。すると、「一衲(いちのう)を披(き)る」。
「衲」というのは、衣(ころも)のことです。どうしているのかと思えば、門を固く閉ざして衣を着ていた...要するに、きちんと衣を着て袈裟を掛けて坐禅をしていた、というのです。ここをするっと通り過ぎてしまっては、この詩の眼目はわかりません。

まず初めに、昼の日中にお寺の門が閉ざされている、ということの異様さに気が付かなければなりません。
そして悟空上人は、猛暑の中で部屋を閉ざし、威儀を整え、黙々と坐禅をするのです。ただならぬ雰囲気の中、すべてを拒絶して、孜々兀兀(ししごつごつ)と坐る...狂気すら感じさせる姿です。親しく知っていると思っていた悟空上人の、知られざるほんとうの姿に詩人は出会うのです。
友を訪ねるつもりで足を運んだ杜荀鶴は、普段知る上人とはまったく違う、峻厳で凄まじい姿に、畏怖の思いすら感じたことでしょう。その思いが、この作品となって結実したのです。

そして、この時、詩人はハッと気が付きます。
「兼ねて松竹の房廊を蔭う無し」。侘び住まいではあっても、普通の庵(いおり)であればとうぜんあるはずの、松や竹が一本もないのです。
松や竹は、あるいは厳しく照りつける夏の陽射しを避け、あるいは切り裂くように厳しく吹き付ける冬の風を避け、あるいは行に疲れ切った心を瑞々しく癒やし和ませてくれるもの...住まいの護りであり、心の友ともなる存在です。
悟空上人は、そんなささやかな喜びすらない、快適さのかけらもない殺風景な院に独り棲んでいるのです。そしていまのこの瞬間まで、詩人はこのことに気が付かなかったのです。

この殺風景で異様な院は、何を意味しているのか...

それはこの院が、世俗の塵を嫌い、天地の恵みの中で渓流の声に耳を澄ませ、月に歌い雲に嘯くような風流な隠者の暮らしなどではなく、同じく俗塵を嫌い、人里離れた山中に暮らしながらも、仮借なく自己に向き合い、すべてを捨ててただ一心に自身のこころを見つめ続ける過酷な修行の場だということです。
そしてこのことに思い至るとき、詩人は「仏道の修行」というものがどのようなものであるのかを理解するのです。

誰もが世俗の苦しみに呻き、解放されたいと願う...そして山の中の侘び住まい、縛られることのない自由気ままな暮らしに憧れます。そして出家をしてささやかな庵を構え、花鳥風月を愛玩する...僧侶というものはそういうものだと誰もが思うのです。
しかし、それはただの「世捨て人」「隠者の暮」らしであって、仏道修行とは何の関係もありません。
修行者は常に己自身に向き合うのです。振り払っても振り払っても、決してなくなることのない煩悩妄想。切り捨てても切り捨てても、決して消え去ることのない執着の根。
欲望や執着を根源から絶ちきることを「断命根(だんみょうこん)」と言います。すべての苦しみの根源である欲望や執着に向き合うことは、命懸けの事柄なのです。
どれほど遠く世俗を離れようと、煩悩や妄想はこころの奥底から尽きることなく湧き上がってきます。
迷いや苦しみの種は確かに「世俗の塵」として外からやってくるかも知れません。しかし、そうしたものはただきっかけとして働くだけであって、こうした「世俗の塵」に憑依し、巨大な苦しみへと凝集していくのは、自分のこころです。欲望や執着といった、苦しみのほんとうの源泉は、自分の中に、自分自身の心の奥底にあるのです。
いくら俗塵を離れて清らかな自然のただ中に暮らそうとも、どこまでも煩悩妄想は追いかけてきます。だから仏道修行は、世俗を捨てることとは違います。世俗を離れても、こころの奥底の闇を何とかしなければ、何も変わりません。

仏道修行においては、世俗を捨てることは、始まりでしかありません。世俗を捨てるのは、自分自身と向き合うためです。そして世俗を捨てて自分自身に向き合うということは、自分のこころの奥底に蟠る巨大な闇に向き合い、格闘しなければならない、ということなのです。それは世間のゴタゴタに対するよりも、遙かに手強く苦しい。
「自分のこころ」という、誰もが何となくやり過ごし、正面から向き合うことを避ける厄介な存在に対して、敢えて立ち向かう。修行とは、進んで苦しみを求めるようなものなのです。猛暑の中で、敢えて部屋に閉じこもって坐禅に打ち込む悟空上人の姿は、どれほど異様に見えようとも、じつは修行者のあたりまえの姿でしかないのです。

さて、ここまで、杜荀鶴のこの名詩の最初の二句を丁寧に見てきました。
修行というものの険しい姿を余すところなく描いた二句に続いて、有名な転結の二句が続きます。

安禅は必ずしも山水を須いず
心頭を滅却すれば火も亦涼し

「安禅」、どっしりとした坐禅をするのに、清らかで心地よい山紫水明の境など、本来は必要ないのだ、というのです。確かに、古人も坐禅に相応しいそのような境致を探して修行をしてきたことは間違いがない。しかし、大切なことは、そうした環境などではない。
「心頭を滅却すれば」。「頭」も「却」もともに強めの助字です。この己の心さえ滅ぼし尽くすならば...というのです。
限りなく煩悩妄想が湧き出でるこのこころの奥底に、白刃一閃を下す。「八識田中(はっしきでんちゅう)に一刀を下し」と禅の世界では言います。見たり聞いたり、思ったり、こころのすべての働き(八識)の根元に、一太刀を浴びせる、という意味です。「煩悩妄想を滅び尽くさずにはおかない」という、全身全霊を賭しての覚悟の一振り刀で「断命根」を得る。

何を大袈裟な...

と人は言うでしょうか。それはその通りかもしれません。しかし、誰にでも、絶対に譲ることができないような決断の場に立たされることはあるのではないですか? それも、決して望んでなどいないのに、思いもかけないかたちで...

甲斐武田一族が滅亡し、武田の残党狩りの混乱のただ中で、逃げ込んできた「敗軍の士」を匿い、引き渡すことを拒んだゆえに、快川国師は、「一百餘人」の修行者たちとともに燃え盛る山門の上で生命を落としたのだと『延宝傳燈録(えんぽうでんとうろく)』は記しています。
この記述の信憑性については、いまは問いません。ただ、戦乱の混沌の中でとはいえ、如何なる理由をつけたにせよ、決して許されることのない理不尽な暴挙の中で、国師と仲間の僧侶たちはその尊い生命を失うことになったのです。

何のために、生命を捨てるのか? 何に対して生命を賭けたのか? 生命を賭けてまで守るべきものはそこにあったのか?

そんな問いとは無関係に、荒れ狂う戦場の狂気は人の生命をいとも簡単に踏みにじります。そして、戦場とまでは行かずとも、わたしたちは長い人生の中で、望まずして自分の身の丈を超えるような出来事に巻きこまれ、人生を賭して立ち向かわなければならないことに向き合わされるのではないですか? 
自分の身一つのことであれば、覚悟はつく。しかし、仕事にしろ家族にしろ、大義にしろ何にしろ、自分だけのことでは済まないものを人は背負って生きていきます。
抱えきれないほどの思いと、背負いきれないほどの責務に押し拉がれながら、わたしたちはただ茫然と立ち竦む時がある。道場など行かなくとも、出家などしなくとも、自分自身と向き合う修行においては、誰もが時として、自分の身の丈を超えたものに否応なく向き合わされるのです。
その時、わたしたちは、すべてを捨てて、坐禅をし、自分と向き合う。
心を整理するために、清らかな場を探し、静けさの中に身を置いてこころを整え、自分の覚悟を確認します。しかし、清らかさも、静けさも、心地よさも、こころを整える役にはたちますが、わたしたちの覚悟そのものを助けてはくれません。
一度こころを整えたならば、後はすべてがわたしたちの覚悟にかかっています。


     心頭滅却すれば、火もまた涼し...

『碧巌録』も快川国師も、ここを「火も自ずから涼し」と詠んでいます。「亦(また)」と読むか「自ずから」と読むか、ここでは問いません。そもそも大切なのは、火云々ではないからです。
身の丈を超えるからといって、立ち竦んでいては何も始まりません。逃げても、誰かを苦しめるだけで、逃げた自分は卑怯な人間として生きていかなければなりません。ではどうすれば良いのか...
「解決」など望むべくもなく、「良い結論」などない中で、わたしたちは覚悟を固め、決断して、生きていく。そこに必要なことは、「心頭を滅却する」ことなのです。それは是非善悪を考えても、答えなど出てこない世界、是非善悪を振り回す人から見れば、狂気にすら思えるかもしれない世界です。そして、わたしたちが生きるこの世界は、時として理不尽と狂気に満ちているのです。
そこを生き抜いて行くには、「心頭を滅却する」こと、つまり是非善悪に縋ることのない覚悟がいる。
快川国師の名とともに後世の記憶に刻まれているこの転結の二句は、ただわたしたちの覚悟を、いまも静かに問いかけ続けているのです。

                     (写真:工藤憲二氏)

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