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恵林寺焼き討ち事件...史料から見る(3)『甲斐國志』巻之七十五

織田信長による恵林寺焼き討ち事件を、史料から検討する試み、第3回目は、『甲斐国志』です。『甲斐国志』は、文化11年(1814年)に成立した江戸時代の地誌で、全124巻。編者は甲府勤番の松平伊予守定能(まつだいらさだまさ)。山梨の歴史を振り返る上で、まず手に取られる重要史料です。
今回は『甲斐国志』に記される恵林寺の歴史から、信長による焼き討ちの部部を検討します。原文は漢字仮名交じり文で一部に返り点が付されています。ここでは、読みやすくするために私見で原文を整序し、返り点の指示にしたがって読み下し、簡単な語注を付し、現代語訳を試みました。

今日では誤りとされる記述も含まれていますが、ここではそのままご紹介します。読み下し文についても、現代語訳についても、あくまでも試訳の試みとしてご理解いただき、詳しくは、原典に当たってご確認ください。

①読み下し文(補足済み)

佛寺部第三
乾徳山慧林寺

元亀四年、信玄卒する也、此ニ葬ル。快川國師導師タリ。法諡恵林寺殿機山信玄大居士[但シ前ニ除髪ノ時長禪寺岐秀ノ名づくる所ナリ]。壬午ノ時、江州ノ浪客佐々木承禎(じょうてい)[或いハ云く、承禎ノ子次郎義弼(よしすけ)]及び室町家ノ士大和淡路守、上福院等嘗(かつ)テ寄食シテ本州ニ在リ。織田右府素(もと)ヨリ承禎ヲ悪ミテ之を捕えんと欲し、三人ノ者走リテ恵林寺ニ匿ル。告クル者アリ、兵を遣わして捜(さが)し索(もと)メシム。津田、長谷川、關、赤座以下近境ヲ亂妨シテ至ル。寺内ノ人出ツル事ヲ聽かず皆三門上ニ保たシム。快川並ニ大綱、睦庵、高山[長禪寺住僧]藍田[東光寺住僧]以上紫衣ノ東堂五人[按スルニ皆信玄が敬する所の老宿也。蓋(けだ)し亂を避け此に至るナラン]、黒衣ノ長老九人、僧侶、児(ちご)、喝食(かっしき)凡そ七拾餘人、忽チ火ヲ放チテ悉ク之を焼殺す。殿堂什物殘す所ナク地を拂って烏有(うゆう)トナル。神祖御入國アリテ有縁ノ者ヲ徴(め)サレシニ、敢テ答フル人ナシ。僧末宗[名は瑞曷]ハ快川ノ會下僧ナリ。初メ三門上ニ侍ス。大火聚を躍り出で禍を逃れ潜み居タリ。乃ち民間ヨリ出でテ拝謁ス。是に於て寺領を賜り興復ヲ命セラル。年ヲ経て工成ること頗(すこぶ)ル𦾔制ニ效(なら)ヘリ...

(注)織田右府:右府は右大臣。信長は天正5年、正親町天皇から右大臣の位階を与えられている。
   津田:津田元嘉(つだもとよし)信長家臣、恵林寺僧衆御成敗奉行、本能寺の変で討死。
   長谷川:長谷川与次(はせがわよじ):同、慶長5年(1600年)没。
   関:関成重(せきなりしげ)同、天正20年(1592年)没。
   赤座:赤座永兼(あかざながかね)同、本能寺の変で討死。


②現代語訳

元亀四年、信玄が亡くなると、ここ恵林寺に葬った。快川国師が導師であった。戒名は恵林寺殿機山信玄大居士[ただしこの名は以前、剃髪出家したときに長禅寺の岐秀玄伯が名付けたものである]。
天正壬午の混乱の時、近江の浪客佐々木承禎[あるいは承禎の子、次郎義弼ともいう]、室町幕府の士である大和淡路の守、上福院といった人たちが、かねてから甲州に身を寄せて暮らしていた。織田右大臣信長はもともと佐々木承禎を憎んでおり捕えようとしたため、三人は急いで恵林寺に身を隠した。密告をする者があり、兵が派遣され捜索が行われた。
津田、長谷川、関、赤座以下の武将は恵林寺の近境を荒らしながら到着した。寺内の者には寺から避難したいという願いを聞き届けることなく全員を三門の上に押しとどめた。快川国師と大綱、睦庵、高山[長禅寺住僧]藍田[東光寺住僧]和尚といった紫衣の東堂和尚五人[考えるならば、皆信玄が敬っていた老和尚である。兵乱を避けて恵林寺に来ていたのであろう]、黒衣の長老九人、僧侶、児、喝食らおおよそ七十余人を、あっという間に火を放って一人残らず焼き殺し、殿堂、什物何一つ残さず地を払ったように無くなってしまった。
神祖家康公が御入国なされ、有縁の者を呼び出して尋ねられたものの、これといって再建の任に応えられるような人物はいなかった。末宗[諱(いみな)は瑞曷]という僧は快川国師の会下で修行していた僧侶である。初めは三門上で国師に侍していたが、大火災から飛び出して難を逃れ身を潜めていた。そして市井から見いだされて家康公に拝謁した。こうして末宗は寺領を賜り復興を命じられた。年月を経て再建が進み昔の姿に劣らぬ様子になった...


『甲斐国志』のこの記述は、三門上で亡くなった人の人数を「七十余人」とする以外では、概ね一般に知られている内容と一致します。注意深く読むと、この記述においても、織田方が焼き払ったのは山門で、その他の建物については書いてありません。焼き討ちの時に、山門以下すべての堂宇を焼き払ったのか、それとも山門の火が他の建物に回ったのか、その後の歩みを考える上でも慎重に読んでいくべき所のポイントの一つです。また、ここでも、快川国師の「心頭滅却すれば...」のエピソードが登場しないことも、重要です。

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