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瞑想14:維摩の一黙、雷の如し

維摩居士は釈迦の在家の弟子でありました。

古代インドの商人ではあっても仏弟子からは一目も二目も置かれていました。

「維摩経」のなかに出てくるのが「維摩の一黙、雷の如し」であります。

これを現代の企業の朝礼を例にとって解説してゆきます。

例えば課長が毎朝決まって朝礼を行っていました。

「維摩の一黙」は仏教の真理には直接関係はないのです。

個人の誤りを気づかせる手段なのです。

説明したり強制しても理解しない部下でも上司にでも対応出来るのです。

毎朝決まった時間に決まった言葉で朝礼を行う課長がいたとします。

その言葉とは業務改善、意識改革と暗記してしまうほど同じだったのです。

言葉では改善、改革と言いながら自らは旧態依然のマンネリ化した言葉だったとします。

言っていることと行いが矛盾しているのです。

あなたが部下だったら黙っているより他に方法はないと思います。

しかしあなたが黙っていても「維摩の一黙」にはならないと思います。

あなたが聞いている間の態度に問題があるのです。

「一黙」を効果のあるようにするには真面目に真剣に聞くことです。

今日も又かと不満を顔にださないことです。

態度に肯定も否定もあってはならないのです。

課長の顔から一時もそらしてはいけません。

笑ったりうなずいたりしてもいけないのです。

一字一句を呑み込んでしまうことです。

維摩居士は釈尊の弟子が話している長い間真剣に聞いていたのです。

弟子たちが言っている真理は間違っていないのです。

認めていても肯定も否定もしないのです。

ただ「維摩の一黙」は言葉と行為に矛盾が存在しているのを自覚させたのです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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