龍神考(15) ー日巫女と天照大御神ー

 前回は福岡県糟屋郡新宮町の人丸配水地と人丸神社と人丸古墳に関する考察で、以下の点に気づきました:
①人丸配水地=「水分(みくまり)」=住民を養う水→共同体の「母」=人丸古墳の女酋=「巫女」が雨乞いで住民に「母乳=水」を与えて養う→「御子守り(みこもり)」
②雨は太陽が海を温めた水蒸気からなる雲がもたらす→「水分(みくまり)」や「御子守り(みこもり)」を祈る「巫女」は太陽も祀る「日巫女」
③個人の妻でも母でもない共同体の母である「巫女」→処女性と母性を併せ持つ
④人丸古墳の女酋「巫女」への信仰→人丸神社の信仰上の土台
⑤「巫女」の処女性と人丸姫→初潮を迎える年齢期に旅に出て、処女のまま病没
⑥「巫女」の母性と人丸姫に同行の乳母→実子以外の子も養育する母性の強調
⑦「日巫女」と太陽信仰→人丸姫の母は旭が昇る時に懐妊/人丸姫は日向国へ旅に出立/日向国に向けた埋葬を遺言/人丸神社は冬の朝日を拝む方を向く
⑧「靈」=「雨+口口口+巫」(巫女が言葉を並べて雨乞いをして雨が降る)→「雨+云+巫」→「雲+巫」(巫女が雨乞いの言葉を「云い」、「云」=「雲」が立ち昇り雨が降る)
⑨「靈」=「雨+口口口+巫」→「雲+巫」の置き換えは、KUMOとMIKOという「神=KAMI」に収斂しうるK+母音とM+母音の言霊の組み合わせが、人間の生命に不可欠な水をもたらすことにも符合

「云(くも)」と「云(い)う」もの

 こうしてみると「靈」=「雨+口口口+巫」→「雲+巫」の置換を論理的にも、また信仰思想上からも可能にする「云」の一字が、言葉を発する意味での「云う」だけでなく、「雲」が立ち昇る様を示す象形文字であることは極めて重要です。
 今回はこのポイントから考察をさらに進めていきましょう。

「口口口」→「云」の置換は、巫女が祈りの言葉を発する様と、雲が立ち昇る様とが二重写しになることでもあります。
 実際、人が言葉を発する時は口から呼気が出ています。冬の寒い時には、呼気は白くなってよく視認できるようになります。
 すると巫女が天の神に祈りの言葉を捧げる時に口から出てきて立ち昇る呼気に、天の神が感応して海を温めて水蒸気が発生して立ち昇る雲が想像されます。
 巫女の口から立ち昇る雨乞いの祈りの言霊が籠る呼気と、巫女の祈りに応じて天の神が温めた海から立ち昇る神霊の籠る水蒸気(雲)とが重なって見えるのです。
「雲」の原字「云」がそのまま、言葉を話す「云う」の意味になる因果関係が他にあるかどうか知りませんが、少なくとも今の私はこう想像しています。

太陽を祀る「日巫女」への信仰を土台に創祀されたと思われる人丸神社の社殿(2023年12月9日朝)


太陽神の感応を得る日巫女

 空から雨をもたらす「天の神」には太陽神の他に海神、風神、雷神など自然界の諸々の要素や働きを示す神々が想像されますが、降雨につながる最初のきっかけはやはり太陽によって海水が温められることでしょう。
 ならば巫女には何よりもまず太陽神の感応を呼び起こす能力が必要と考えられたはずです。

 巫女が日々太陽を祀ることの背景には、この自然界の仕組みが意識されており、その仕組みが巫女の祈りによって機能するために、巫女は太陽神の感応を得る能力を高め、維持する必要性があったのではないでしょうか?
 それが、いわゆる魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王、卑弥呼の語源とされる「日巫女(ひみこ)」の本質ではないでしょうか?

人丸神社が鎮まる杜の隣の「日ノ下池」の名称も人丸神社の太陽信仰を暗示(2023年12月9日朝)


天照大御神と雨宝童子と太一思想

 そう考えると、天照大御神が太陽を祀る巫女の神格化と考えられているのと同時に、神仏習合思想では雨をもたらす雨宝童子と信仰されたことも、現実の自然界の働きを背景としていることに気づかされます。

 しかし、海が太陽に温められて水蒸気が発生して雲が形成されても、そのまま雨が海上で降って終わりだと、陸上生活が基本の人間は淡水の補給ができません。
 雨が地上で降ってこそ、そして山という自然の「貯水槽」に貯まり、泉や川や池や湖の形で表出してこそ、私たちはまとまった量の淡水を利用できます。
 それには雨の母体である雲が陸地に飛来し、山に雨を降らせることが必要です。

 その雲を運んでくるのは風です。そして風もまた太陽の賜物です。
 太陽によって温められた空気が上昇し、高気圧となった上空から、低気圧の地上に気流=風が生じます。つまり風と雲は同時に生まれながらも、違う形に成長していきますが、風と雲の相互作用によって私たちは雨水の恩恵に与ります。

人丸配水地の丘の向こうから飛来する雲(2023年12月9日朝)


 風が発生する仕組みには他にいくつかの要因もありますが、最も注目したいのは地球の自転です。
 地球の自転は地軸を中心とした回転ですが、その地軸の北の延長線上に、厳密には若干ズレていても、北極星があります。
 ですので、自転する地球から北の夜空を見上げると北極星は不動で、その周囲を星々が周回しているように見えます。

富士と北極星(「写真AC」よりDL)


 ということは、太陽が海を温めて水蒸気(雲)と気流(風)を起こし、北極星の延長線を軸とした自転により風がさらに雲を動かすことで、私たちは雨水の恩恵に与ることになります。
 つまり宇宙的視野で言えば、降雨は太陽と北極星の相互作用なのです。

 そこで「雨宝」を太陽+北極星の恩恵とすると、雨宝童子=天照大御神=太陽+北極星、ということになります。
 この自然界の実相が、太陽神天照大御神を北極星や大日如来と同一視する「太一(たいいつ)思想」が生まれた背景にあるのではないでしょうか?

 真言密教の本尊である大日如来は宇宙の中心とされますが、地球に住む私たちにとって不動の位置にある北極星と、私たちに最も顕著な影響を与える太陽の両方が「宇宙の中心」と考えられてもおかしくありません。
 それは天照大御神の別名を「大日孁貴(おおひるめのむち)」や「天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)」とも申し上げ、「大日」の二文字が含まれる点に暗示されているようにも思われます。

天照大御神を祀る六所神社が御鎮座の立花山の上に昇る朝日と日暈と幻日(2023年12月9日)



 これらの神号と表記には、天照大御神が太陽神の祭祀を重ねていき、ついに太陽神と一心同体のレベルに達した特別な巫女であることを示すために、「靈」の中の「巫」を「女」に替えて「孁」とし、「天照」や「大日」、「貴」、「尊」を加えたものではないでしょうか?

 巫女が太陽神と一心同体になるとは、巫女が太陽神の妻となる、巫女に太陽神が憑依する、などのように考えられたと思います。

「龍神考(14)」で触れた巫女の処女性と母性について、巫女が特定個人の妻や母ではなく共同体全体の母となるために必要だからだったのではないかと考えましたが、太陽神を含む神々の妻となるためにも処女性が求められたのでしょう。

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