龍神考(2) ー神仏と人間を繋ぐ水神ー
前回の記事「龍神考(1)」で繰り返しましたように、龍神様には他の神々よりも身近な存在として意識されてきたと考えられることの傍証として、龍神様は神々と人間を繋ぐ存在だと云われる点も挙げられます。
そのような身近さの意識は、神社の拝殿の破風や仏寺の山門などにも龍の彫刻がよく見られる点にも窺えます。
また鳥居や山門を潜ってまず手水舎に寄ると、そこにも龍神の彫像を見ることがよくあります。そこでは龍神様は私たちを神仏と繋ぐ存在に加えて、水神としての姿もお見せになっていることになります。
つまり私たちは神仏が祀られている本殿や本堂に向かう途中で龍神様に迎えられていることになるのです。
龍神様が他の神仏より身近な存在であり、だから神仏と私たちを繋ぐ存在であるとの思想が大昔からあったのではないかと私が考える理由を社寺の彫刻や境内配置の点からも述べてきましたが、それらは派生的な思想です。
龍神様が身近な存在である根本的な理由の一つは、前回も述べたように、水神であることだと思います。
私たち人間の身体は六〜七割が水分ですので、人間誰しも体内にすでに龍神様が宿っている、あるいは宿りうる可能性を秘めている、とも言うことができます。
これは仏教の根本にも関わってくることだと思います。仏教では人間誰しも悟りを開く仏性を備えていると考えます。この点について、老若男女富貴貴賤や知識、知能、体力、技能などの差はないとされ、私自身もそれは真理だと思います。
このように誰もが悟りを開きうるという仏教を開かれたお釈迦様ご自身が悟りを開かれる時も、その後背から複数の蛇神がまるで扇のように立ち昇って守護されたとされます。そしてその様子を示す彫像や図像はネット上にもたくさんあり、今この記事を書いている私も、改めてウィキペディアの「ナーガ」の記事などを参考にしています。
ここでは蛇神が登場しますが、それらは「龍王」として仏教に取り入れられましたように、蛇≒龍と考えられたのはすぐ気づきますし、拙稿の読者もすでにご存知の方々が多いでしょう。
お釈迦様が悟りを開かれた時に登場したのが他ならぬ蛇神=龍王だった。これも龍神様が人間に最も近い存在であることを暗示しているのではないでしょうか?
繰り返しになりますが、仏教では人間誰しも悟りを開く仏性を先天的に備えていると考えられています。そしてこれは、性別や頭脳、体力、社会的・経済的地位などに関係はないのです。同じくそれらにまったく関係なく、私たちの身体の六〜七割、つまり大半は水分であり、龍神様は水神です。
人間が悟りの境地に至る際に、その身体の大半を占める水分の状態にも何らかの変化が起きうる可能性も否定できないと思います。
お釈迦様の悟りの状態まではいかなくとも、仏道修行が血液に好い影響を与えるという話を聞いたことがあります。
それは、日本に真言密教をもたらされた弘法大師空海が唐での留学から帰国後に初めて開かれた現在の福岡市博多区の東長寺で聴いた、お釈迦様を本尊とする護摩法要の後の法話でした。
真言宗の根本道場である高野山と筑波大学の共同研究で、法要の前後でお坊さんの血液にどのような変化があるかを調べたところ、法要の後は血液が綺麗になっていることが判明して、研究者たちも、そして何よりお坊さん方自身も驚いていた、という内容だったと記憶しています。
この研究には他にもどこかが参加していた気もしますが、まったくの耳学問で、あいにく典拠を示すこともできません。ご関心のある方はご自分でお調べになってください。
今回は次の点を指摘しておこうと思います。
悟りを開く、特に真言宗では今のこの身このままでの「即身成仏」を目指す修行の一つとして、真言をひたすら唱えることによって、体内の水分の一種である血液が浄化されるという科学的発見は、お釈迦様が悟りを開かれる際に水神でもある蛇神が登場し、そして蛇神は「龍王」として信仰されることになる、という仏教思想に通じるものがある点です。
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