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眼鏡をかけた鳥のこと|Letter from Forest

 親愛なるきみへ

 手紙って、どうやって書いたらいいんだろう。
 はじめてだから、何か間違ってないかなって少しだけ心配です。だけど、きみはきっと間違った手紙でも許してくれると思う。
 だからなのかな。手紙を書こうって決めたとき、相手はきみだって思い浮かんだの。

 元気ですか?
 ぼくは元気です。
 きみが元気ならいいなって思います。
 毎日、そう思ってます。

 手紙には近況を書くといいんだって。
 最近の出来事。ぼくの身の回りのこと。
 となると、書くことはひとつだけ。

 森に鳥が来ました。
 きみがよく知っているとおりに。

 それだけじゃいつもと変わりばえがないね。
 じゃあ、もう少しだけ書きます。
 このあいだ森に来た鳥のこと。

 

 ***

 その鳥の色は、焦げ茶色。
 例えるなら、紅茶みたいな色。
 それで、白いフレームの眼鏡をかけているんだ。
 目のまわりが白く縁どられている。でも、メジロとはまた違って、目のまわりだけじゃなくて、頭のうしろのほうまで続いていて、眼鏡のつるみたいなんだ。
 もしかしたら、物知りな鳥なのかもしれないね。
 同じ日にやってきたお客さんも、眼鏡をかけていた。
「私はリュネ。ここには噂を聞いてやってきたの。あなた、知ってる?」
「どんな噂?」
「もちろん、忘れたいことを忘れられるってお話」
 背筋がぴんと伸びた、お行儀のいい雰囲気の女の子だった。髪の毛を三つ編みにして、後ろで結んでいる。細いフレームの眼鏡をくいっと指で押し上げて、言う。
「やっぱり眉唾?」
「お話するなら、こっちへどうぞ。お茶を淹れるよ」
「あら、どうもありがとう。突然お邪魔してごめんなさいね」
 居間まで案内して、ソファをすすめる。
 彼女はちょこんと腰掛けて、膝の上に本を置いた。ずっと小脇に抱えていた本だ。
「前にも、本を持ってきた女の子がいたよ」
「そう。気持ちは分かるわ。すごく分かる」
「気持ちって……?」
「読んだ本のこと。忘れたいって思ったんでしょう?」
「あたり! すごい。どうして分かるの?」
「だって、私も同じだから。この本のこと、忘れたいの」
「きみも、本の中身が気に入らなくなった?」
 お茶を運んでいくと、リュネは言葉を失って、びっくりした顔でぼくを見た。
「とんでもない! 気に入らないなんて、なぜ? 私はね、この本が大好きなの。とっても好きなの。ほらご覧なさい、繰り返し読んだから――」
「本、綺麗に読むんだね」
「新しく買ったの。糊が割れて、糸がほつれて、ページがほどけちゃったから」
 好きな本を、壊すほど読んだ女の子。リュネは、まだ新しい本を大切そうに抱きしめて、うっとりと目を閉じた。
「すばらしいのよ……身近な出来事を描いた導入部に共感するうちに、私は現実を超えた世界へ冒険に出かけているの。夢中になって、迷子を楽しんで……いつの間にやら、現実の世界へ戻ってくる。でもそれは、絶対に、はじめに立っていた場所とは違うのよ。そんな気持ちになる、不思議な本よ」
「冒険? 楽しそう!」
「そうよ! 私は、何度もこの本を読んだ。この本に勇気を貰った。この本が逃げ場所だったし、この本が遊び場だった。背中を押して、前を向かせてくれたのもこの本よ。だけどね――ああ、本当に、叶わないことなのだけど……」
 リュネはぼくを見て、それから自分の眼鏡をくいっと押し上げた。なんだか頬が赤くなっている。
「お茶、いただくわね」
「うん。どうぞ」
「ふふ、美味しい。ふぅ……落ち着いたわ」
 カップを置いて、リュネはまた話しだした。
「つまりね。本は、最初から読み始めたら、何度でも同じ冒険に連れ出してくれるの。けれど、決して戻れない時間がある」
「決して?」
「そうよ。忘れない限りは、決して。……私はね、この本を、もう一度『はじめて』読んでみたいの。はじめて読んだあの日の衝撃と感激を味わいたいの。あれほど強烈で印象深い経験は、ないわ。もう一度……できるなら、忘れたい。この本について、心から無防備でいられたときに戻って、読みたいの」
 リュネは言う。その本をはじめて読んだとき、まだ幼くて、眼鏡もかけていなかったって。
 その本は大きさが変わったり、挿絵が増えたり、まったく挿絵がなくなったり、いろんな種類で刊行された。つまり、名作らしい。
 そのつどリュネは本を集めた。そうしてはじめて読む気持ちで、お話に夢中になった。でも、最近は新装版が出ることはなく、コレクションを何巡もしてしまって……。
「だから、私は忘れたい」
 静かに囁いて、本を開いた。文字を追う眼差しが、とても小さな子供みたいにきらきらしてた。
「クッキーが焼けたよ。……焦げちゃったけど」
「ありがとう、いただくわ!」
 リュネは焦げたクッキーもおいしそうに食べてくれたよ。
 窓辺の鳥篭には、さっき訪れた眼鏡をかけた鳥が落ち着いて、眠っていた。
 それがリュネの鳥ならいいなって思った。すべて忘れて、もう一度『はじめて』に戻って、その本を読めたらいいなって。
 ほんの少しのあいだお茶会を楽しんで、リュネは本を抱えて帰っていった。
「忘れられたかどうかは、わからないけれど……森の奥まで来て、知らない子とお茶会。これって大冒険よね。楽しかった!」
 そう言ったリュネの笑顔を、ぼくは忘れたくないなと思った。

 

 ***

 これが、ぼくの近況だよ。
 書きすぎちゃったかな。
 でも、最後まで読んでもらえたら嬉しいな。

 また手紙を書くね。もっと書き慣れて、きみが喜ぶ手紙を書けたらいいんだけど。

 それじゃあ元気で。
 ぼくも元気で過ごします。

 ルクレイ


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