見出し画像

コンフリクトと多目的から共生する場所を考える

共生する前にコンフリクトがある

最近、文化人類学の研究者(大学院生)が会社に来て、我々の開発現場を参与観察していただきました。人とロボットとの共生を考えるために、わざわざ開発現場まで来てくれました。文化人類学研究者のフットワークはすごい!!

今回来ていただいた文化人類学研究の研究室全体のテーマが「コンフリクトと共生」。この言葉が結構秀逸だなと思い、頭から離れませんでした。今まで共生できる場所をどう作るか、ということは考えていたけど、共生の前提にはコンフリクトがある、ということはあまり考えたことがなかったです。でも、当たり前で、なぜ共生することを考えるかというと、コンフリクトしているからなんですよね。何のコンフリクトもしていなければ、共生なんて考える必要もない。改めて気づかせてもらいました。反対があるから、自分が浮かび上がる構図と同じですね。

日常で子どもと共生する

そんなことを考えているときに、妻が子どもが洗濯物を干せるようにと背の低い物干し竿を買っていました。最近、子どもが洗濯物干したい、と言うときがあったが、ピンチやハンガーを掛けるところが大人じゃないと届かないところにあるのと、何より子どもが洗濯物を干すと時間掛かるし、ピンチの干す場所もめちゃくちゃで後で直さなきゃならないしで、逆に手間が掛かる、ということで断ったり、やってもらうときも大人が時間があるときだけとかなり限定的でした。そこで、やりたい時にやらせてあげたい、という妻の想いから背の低い物干し竿を購入していました。これを買われたらもう子どもに手伝ってもらうしかないな、と思って、次に子どもがやりたいといった時に、子どもができそうな洗濯物だけをかごに入れて、子どもそれぞれにピンチを用意して、ピンチのどこに何を干しても、もう乾けばOKとまるっとお任せしました。

洗濯物を干すちびっこたち

この子どもの家事手伝いエピソードでは、本来、洗濯物を干すという大人も子どもも同じ共通目的のものだけど、効率的にやる(短時間でやる)、という意味でコンフリクトしていたんだと思います。じゃあ、お互いがそれぞれの力を発揮できれば、大人も時短になるし、子どももやりたいが実現できる。そのための環境を整えることが共生することにつながることを気づかせてくれました。
そして、もう一つ大きな要因だなと思うのが、子ども用の洗濯物干しがあること。これが、私に子どもに洗濯物を干してもらおうと思わせて、子どもが干すことができる洗濯物を分けたり、ピンチを複数用意したりという行動をさせてくれました。環境(子ども用の洗濯物干し)が私に子どもと共生させることを促した、とも言えそうです。環境が合ったからこそ、私は共生しようという気になりました。

環境を整える。それが共生の第一歩で、環境があるからこそ共生しようと思えるようになる。

多目的の空間で自由に混ざり合う

では、農で他者と共生する場所をどのように作れるか。

私が自然農をやっている理由の一つに、他者と共生する場所を作りたい、というのがあります。大人も子どもも高齢者も一緒になって作業ができる。だからこそ共生を感じやすい場所、それが農で作れると思っています。
(なぜ共生する場所を作りたいのか、はまたどこかで語りたいと思います)

では、農で共生するために、どんな環境を整えると良いのか?
てか、そもそもどんなコンフリクトがあるのか!?
ここに目を向けないと始まらない。

では、みんなはどういう目的で畑に来るのか!?

最近、ちょっと悩みがありました。
それは子どもが畑に来ない!!行こうとしない!!
おやつを買うことをバーターに畑に来てもらうこともありましたが、何か違う!?

どうすればいいだろう、というのを純粋に子どもに相談したら、
「畑仕事したいのは、とぉとだけでしょ!? 畑遊びだったらいいよ」
と言ってくれました。

これだ!と思って、畑でどういう遊びができるかなど考えましたが、こういうことかな、と思うことが1つありました。

それが大豆収穫後のマメ取りをするのに子どもを誘った時。
最近、子どもがAudibleの子ども向けお話が好きで、子どもと車で出かけるときにお話を聞いているのですが、マメ取りのときもお話聞きながらやろうか、と誘うと乗ってくれました。そして最初は一緒にマメ取りしていたけど、段々と石とお花を使ったおままごとが始まりました。

でも、なんかこれでいいのかもなー、という気になってきました。
やりたいときに一緒にやる。別のことをしたいときは別のことをする。ただ、その同じ空間で相手を感じながらお互い作業をしている。共生するって、同じことを一緒にやるだけじゃなくて、同じ空間で作業をするだけでもいいのかな、って思いました。
ちなみに途中で妻もマメ取りに参戦してくれました。自由に参加ができて、自由に別のことをやり始められる。そういう共生のあり方も一つだな、って思い始めました。

ということで、コンフリクトの前に、そもそも畑に来ない(集まらない)、という問題があり、畑に来ないと始まらないので、いろんな人が来ても良いという目的を複数作っていくのが先に必要かも、ということに気付きました。
そして、違う目的で集まっても、同じ空間にいて、緩やかに自由に混ざり合うことで、共生が始まる。より共生を促進するために(混ざり合うために)、コンフリクトを解消する環境作りを進めていく。
この流れを意識して、共生する場所を作るのが良さそうに思いました。

マメ取りからおままごとへ
おいしそうなご飯ができました

共生は揺れ動く

最後にもう一つ、共生する多目的の場所に欠かせない要素として、動的平衡、という概念を知ったので紹介しておきます。

子どもが恐竜にハマっているので、小田原にある生命の星・地球科学博物館に行った時に記念に買った本。記念品として買ったので適当に2から買っちゃいました。これがめちゃくちゃ面白かった。

この本の主題にもなっている動的平衡というのは、常にエネルギーのinとoutの流れの中で平衡しているというものであり、生命は静的に存在しているのではなく、動的平衡している存在である、と言っています。つまり、生命は常に内部は作り変えられている。

共生する多目的な場所も、常に作り替えていくことが重要かも、というのをこの本を読んで思いました(なぜ作り替えていくことが重要なのかは、この本をもうちょっと説明しないといけないのと、もうちょっと別の視点も含めて考えないとまだ腹落ちした説明ができなさそうです。今はまだ直感的に重要かもくらいです。)

この多目的で作り変えていける畑を想像した時、理想に近い畑が山梨県清里近くにあるぐうたら村にありました。ぐうたら村は保育士の研修施設にもなっているので、妻(保育士)に連れられて年に一度訪れているのですが、ここの畑が私は結構気に入っています。

どういう畑かというと、丸くて、うねうねしていて、野菜があちこちに無秩序に育っています。全く効率的ではない畑なのですが、どこに何があるのか散策するだけでワクワクするような畑なのです。今月訪れた時、6歳の次女が「迷路みたい〜」と呟いていました。そして、あちこちに生えているトマトを食べていました。勝手に食べてごめんなさい。

こういう無秩序な場所の方が人が目的を見出しやすいし、目的に合わせて作り替えやすいなって思いました。本当に作り替えやすいのかはわからないですが、整理された無秩序だからこそ、多少の作り替えは許容していける雰囲気は感じます。私は空間デザインのセンスはほぼ無いので、雰囲気だけですが、四角く整理された畝よりかは、作り替えても全体感が崩れないようには思います。結構、理想に近い畑です。こういう畑を目指したい!

まあるい畝。あちこちに点在していました
うねうねした畝。まさにうね!

最後に

環境を整える。環境を育てる。自然農の話でも、学びの話でも、環境をどう作るかという話を今までnoteに書いてきましたが、共生についても環境なんだなって、環境の大事さがまた一つ増えました。もしかしたら、環境を整えるのが大事というより、私が環境を整えることが好きなだけなのかもしれません。私の美学に合っている。ただそれだけ。でも、それでいいのかもしれないですね。まとまらない最後になってしまった。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?