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主体的な学びは子どもも大人も同じ。やりたい欲を刺激する環境を作りたい

今週は読書感想文ではなく、最近モヤモヤしたことを書きます。

僕はよく妻から保育の素晴らしさを聞いています。教えるのではなく、子どものやりたい衝動に向き合い、一人ひとりの違いを認め合いながら良いところを伸ばす(気づかせてあげる)。表面上はなんとなくわかっても、妻が子どもに対する声掛けとか、子どもを巻き込んでいく力を見ると、やっぱり私と全然違っていて、保育士すごいなって思っています。私なら怒ってしまうときも、子どもに寄り添う声掛けをしたり、子どもがやりたいと思ったときにうまく誘ったり、逆にやりたいと思っていないときは自由にさせてみるとか。私も妻の行動と声掛けを見ながら、自分なりに考え、少しずつ改善しているつもりですが、知識と経験に裏付けされた声掛けは、おー、なるほどー、思うことが多々あります。自分の感情コントロールは、知識と経験に基づく理性が必要だなってマジで思います。

僕はこの保育の考え方や相手を伸ばす声掛けなどは、会社の組織マネジメントにも活かせられると思っています。個のやりたいを伸ばしながら、全体のパフォーマンスを高める。まさに保育の力だなって思っていて、日々勉強させてもらっています。

そんな妻が今、組織マネジメント研修の動画を毎日見ています。どうやら妻はベテランに差し掛かっており、マネジメントの勉強をしないといけないとのことで、園から見るように言われているとのことです。園も行政から言われているとか。

妻が家で動画を見ているので、私もチラッと動画を見たのですが、サーバントリーダーシップの話しをしており、ビジネス界隈でも言われているようなマネジメントスタイルの説明がされていました。

でも、その動画を見て思ったこと。

全然保育っぽくない!!!
主体的な学び、それを促す声掛けはどこへ行ったのか!?

動画が大学の先生が淡々とスライドを説明しているだけの動画で本当につまらなさそうでした。てか、サーバントリーダーシップなんて普段の保育でやってるから、改めて言葉の定義なんてしなくても、子どもへの問いかけを自分たちでやるだけで絶対いいと思うんだけど。そこに気づかせてあげる問いかけだけで保育士ならわかってくれるはず。

保育士は子どもを観察して、子どもの今を最大限引き出そうとして、内なる衝動に向き合っているのに、いざ自分たちとなると旧来の学び方しかやれていないのが、すっごいモヤッとしました。

子どもにやってあげていることを自分たちにもやればいいんだよ、って言ってあげたい。

大人の学びと主体的な学び

実は今年からstand.fmでテーマ対話を実施して公開しているのですが、ちょうど先月の対話が「大人の学びとは」でした。
(去年はtwitterのスペース機能を使ってテーマ対話をしていたのですが、今年からstand.fmにしました。音声品質があんまり良くないので改善したい!!絵も変えたいです)

このstand.fmの対話では、大人になってから学ぼうとしている人が少ない、という話しから始まって、どうすれば学び続けられるか、みたいな話しをしているのですが、この対話の最後に私が全く逆の話しをしてしまいました。

学びに休憩があってもいい!

この意図は、学びを押し付けるのではなく、学びたいと思ったときに学ぶ、すなわち主体的な学びの方がいいんじゃないか、という問題提起の面があります。

ではなぜ休憩が必要なのか。

いや別に休憩が必要と言いたいわけではないのです。ただ、学びたいときもあるし、学びたいと思っていないときもある。学びたいと思っていないときに劣等感を感じずにいいなと思ったので、休憩という表現をしただけなのです。休憩だと、休憩が終わればまた動き出しそうなニュアンスがあるから。そう一時的なのです。

休憩があってもいいし、やりたいがあってもよい。やりたい欲が出たときに全力でサポートする。むしろ、やりたい欲を見極めて全力でサポートするといった方がいいかもしれないです。やりたい欲を見極めるって言うところがポイントで、多分第三者じゃないの視点がないと難しい芸当何じゃないかと思います。

この感覚を僕は妻から、そして妻がやっている保育から学ばせてもらいました。

  • 子どもが恐竜に興味を持ち始めたら、恐竜の本を本棚に並べておく。

  • 洗濯物干したいと言ったら、子どもでも洗濯物が干せるように背の低い物干し竿を用意しておく。

  • 野花に興味を示したら、野花の本を買い、子どもと一緒に探しに行く。

こういう付き合い方や環境作りがやりたい欲を刺激して、自らの衝動に根ざした主体的な学びへとつながることを学ばせてもらっています。
(上の実践は我が家で妻がやっていることで、この付き合い方や環境作りは本当すごいなっていつも思っています)

これを会社でもやりたいし、大人の学びもこういう風にありたい。

では、会社組織でこういう学びができるのか!?
こういう学びをするためには、やはり保育士のような声掛けができる存在が必要になると思います。自分たちのことを客観的に見て、適切なときに適切な声掛けをする、自分たちが気付けるような仕掛けづくりをする。そういう存在や環境があって始めて主体的な学びが状態化することができるんじゃないかなと、妻のふるまいを見ていて思います。

この客観的に組織や個人を見る人がマネージャーの役割なのかもしれませんが、保育士が専門家であるように、マネージャーにも声掛けとしての専門知識があってもいいのかもしれません。そう思うと、マネージャーではなく、コーチやスクラムマスターのような専門領域の人であり、そして、それを外部から呼ぶとコンサルと呼ばれるのかもしれません。

子どもの学びたい(やりたい)と、大人の仕事のためのやらなければいけないは違うかもしれないけど、仕事のための学びもやる意義や楽しさ、それができたときの未来をちゃんと伝えれば、やってみたいに持っていけるんじゃないかな、いや、持って行く努力をした方がいいんじゃないかなと思うと、きっと大人の学びも子どもの学びも本質的には同じなんじゃないかなと思っています。

保育士の現場に保育士を保育する保育士を入れる。
(保育ではなく学びを促すコーチですね)

そんなことができたらいいのかなと、妻が研修動画で一生懸命勉強しているのをはたから見て思いました。

いや〜、本当に保育士のやりたいを促進させる力はすごいのです!!
それを自分たちにもやってみる。まぁ、それが難しいのかもしれないですね。

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