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みちくさ⑩‥PTA会報『道』の足跡

 学校法人明星学園発行の『明星学園報』に、資料整備委員会が連載している「資料整備委員会だより・みちくさ」を転載します。


資料整備委員会だより第10回
‥‥2020年3月発行分、明星学園報No.111に掲載


 小学校から明星に通われていた10年生(高校1年生)以上の方のなかには、PTA会報『道』を記憶されている方もいらっしゃることでしょう。
 この会報誌は1952(昭和27)年から2010(平成22)年まで、58年間の長きにわたり、毎年途切れることなく通算134号まで発行されました。
 現在は学校法人が発行する『明星学園報』で学校からの報告や子どもたちの活動を知ることができますが、学園報が刊行されたのは松井憲紀理事長が就任した1979(昭和54)年からです。それ以前はPTAの『道』だけが、学内のさまざまな事柄を知ることのできる学園の機関誌的な役割を担っていました。

■少しむかしのPTA活動
 近年、明星でもPTA活動が以前と比べて縮小していますが、ほんの十年ほど前までは役員会・学年学級委員会・バザー委員会とは別に、文化部・厚生通学安全対策部・公費助成推進部・広報編集部という4つの部がありました。毎年クラスから選出された数名の代議員(現在の代表委員)は4つの部のいずれかまたは委員会に所属して、年間の活動を通じて学校を盛り上げてくださいました。
 その中でPTAの広報活動としては、役員会が発行する『PTAニュース』のほかに、広報編集部によって会報『道』がつくられていました。昭和の時代に発行された『道』を読むと、PTAの活動報告にとどまらず、豊かな発想で企画された特集記事、学校からの連絡事項、父母と教師の座談会、学校への疑問・質問、教師による報告、研究発表、児童生徒の美術作品、卒業生からの寄稿などなど、じつに幅広く読み応えのある内容に驚かされます。広報活動を通じて明星教育への理解を深め、明星の歴史を学ぼうとする保護者たちの強い熱意が感じられます。
 『道』は保護者と教師とが協同してつくり上げた“明星の文化”であり、それは平成の時代へも引き継がれてゆきます。

公開質問状

■「母の会」から「PTA」へ
 明星では創立間もない時期から、お母さん方が「母の会」として子どもたちの学校生活を援けていました。たった4人の教員で始めた小さな学校でしたから、お母さん方の手伝いなくしては何事も立ち行かなかったのでしょう。
 創立同人の照井猪一郎先生は

昔、明星学園の誕生と共にその『母の会』がありました。それは建学の理想と同根から芽生えたものだけに、学園教育の行道と共に苦しみ共に楽しむ不捨不受の無私な同行でした。
学園との不断の緊密な連携、惜しみなき互いの協力、それがその頃のPの総てでした。かくして明星は子供も親も教師も共に学び共に行ずる教育の道場でありました。

とPTA会報No.1に書いておられます。

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 太平洋戦争の混乱の中で母の会の活動は休止状態となり、やがて敗戦を迎えます。戦後1947年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本の民主主義教育推進のために、全国の学校にPTA(父母と教師の会)の設置を奨励・推進しました。明星でも要請に応じるように母の会を再始動させますが、食糧難や物資の不足など生活していくだけでも精一杯だった時代、PTA活動は活性化されないまま数年が経過します。
 ようやく人々の生活が落ち着いてきた1952年、新体制で発足した「明星学園P.T.A.」は6月に会報第1号を発行します。B5判8頁、謄写刷りの冊子には、役員の紹介や総会・会計報告のほか、先生方や保護者からのメッセージが、狭い誌面にぎっちり詰め込まれています。

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8月以降は毎月発行、年度内にNo.8まで発行したのは驚くべき行動力です。
 ちなみに、のちに理事長として『明星学園報』を刊行した松井憲紀氏もこの年度のPTA常任委員の一人でした。

■『道』が伝えてくれること
 1954年、明星は創立30周年を迎えました。
 戦後はじめての周年記念行事は全学園を挙げて盛大に行われ、その様子は「三十周年記念号」に詳しく記録されています。4人の創立同人の言葉や来賓の挨拶も掲載されており、創立以来の苦労を知る人々の言葉は感動的です。

30周年表1

30周年表2

 
1957(昭和32)年6月発行のNo.38の表紙には初めて『道』の題名が掲げられ、これ以降受け継がれていきます。

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 30周年記念事業として校地拡張や校舎建て替えなどがつぎつぎと進められたこの時期は、一方で生徒数が一気に増え、また民間教育団体に加わって勉強していた明星教師たちの教育研究活動も盛んになった時代です。この年11月に小・中・高全体で開催された第1回教育研究集会についても、『道』No.41に詳しく記録されています。

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 1978年3月発行のNo.100までは、年に3~4回発行されたことが多く、臨時増刊号が出された年もあります。No.101以降は年に1回のペースに落ち着き、1年間掛けて取材編集した内容を1冊にまとめ、年度末に発行するようになりました。長年にわたり、これだけの情報発信を続けた保護者たちの努力と情熱に、今更ながら頭が下がります。
 明星の歴史を整理していくなかで、過去に学校で起きたことや、当時の関係者の意見などがタイムリーに記録されている『道』は、明星の教育活動を調べるうえでも最も頼りになる重要な資料です。PTAの皆さんが苦労してつくりあげた『道』が、何十年もの時を経た現在、明星の歴史を知るための貴重な手掛かりとなっています。

■考え、記録し、発信することの大切さ
 人は言語で思考します。
 言葉を組み立てながら思考するのであって、ふわふわとしたイメージを巡らせるだけでは意見としてまとめられません。
 明星が創立以来大切にしてきたことは読む力、考える力、書く力、発信する力です。教科の学習と学校生活によって思考力を鍛え、それを発信するための文章力を養うことは、創立以来連綿と続いてきた明星教育の柱といえます。
 そして子どもたちだけではなく、明星っ子の親たちもまた、PTA活動を通じて自然と明星流を身につけていったのでしょう。
 前述の松井憲紀氏は、三人のお子さんを明星に通わせ、多忙な会社勤めの傍らPTA会長を4期務められました。そして後年、1979年から1995年の16年間にわたり、理事長として経営面の立て直しに尽力されました。
 松井理事長が学園からの公式な情報発信が必要と考え、就任とともに創刊した『明星学園報』は、3年目の第6号以降毎学期発行され、学園からの情報を定期的に発信し続けました。先輩格である『道』と合わせて読むことで、学校の様子を一層詳しく知ることができるようになったのです。

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 現在(2020年)、『明星学園報』の発行は不定期になり、PTA会報『道』が発行されなくなってから10年経ちました。
  「自分自身の考えを持ち、それをまとめ、書き記して発信する」という明星学園の文化を、明星っ子の親たちにも共有していってほしい、そのために『道』に代わる道標がふたたび生まれることを願ってやみません。

文責:資料整備委員会 大草 美紀


※PTA会報『道』は資料室で閲覧できます。ご興味のある方はお気軽に、資料室にお立ち寄りください。

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