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「勉強不足」とお叱りを頂いたことがあった

ずいぶん前の話ですが、以前、演奏会のアンケートで「音楽の基礎がなっていない、もっと勉強するように」と熱く厳しいご意見を頂戴したことがあります。

その時、私はOBでしたが、そしてその意見の意味も分かりましたが、そのとき現役生が紙を廻し読みしているときの表情を観察していたら、あまりピンとはきていないようでした。

批判的なご意見=貴重で重要

アンケートって、わりと、お褒めのお言葉を頂戴することの方が多いんですね。
読んでると、それは褒めすぎじゃないのお世辞かなと思ったりもしてしまうくらい、手放しでお言葉を連ねて頂けることもあります。
やる方からしたら、頑張ったからには褒められたいし、モチベーション上げるためにはそういうのも絶対に必要だし、ありがたいですしほんとありがたいです()

しかし、褒めてないご意見の方が、実は貴重で。
今後に活かせるかもしれない、そして、成長のチャンスにつながったりもするのです。が。

意見を活かす

「もっと勉強するように」というご意見にピンときてない面々を見て、”このままだと、どストレートに頂くことができた「収穫」を、無にしてしまうな”と。

しかししかし。
インディアンの諺?でいうところの「馬を川へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」、必要だと思っていない者に環境を整えても無駄、というやつではないかと実は思っていてですね。

…そう思っていたところに、ひょんなお声がけで、リーダー講習会というものの資料を一緒に作り始めることになりました。

(たしかこの時、「こういうことがやりたくて、そのためにこういう資料を作ろうと思うんですよ。」って声かけてくれた後輩、話してるうちに「こういうアンケートあったじゃないですか」って言ったんですね。
”あぁ、アレがひっかかってるのね、引っかかる人がいてよかったな”と思いました。現役ではなくOBだったけれど。見たところアレに誰も引っかからないかと思ってたし、誰かアクションを起こそうとする人がいるとも思ってなかったからびっくりした)

ルートと知識

閑話休題。
以前、見かけた文章で、
「ピアノや弦楽器出身者と吹奏楽出身者では、音楽の基礎知識の有無の差がかなりあるように感じる」
というもの(詳細が分からなくなってしまっているのでだいたいです)。

ピアノや弦楽器は、幼少時からいわゆる英才教育を受けているような状態なのだけれど、吹奏楽は未経験者に楽器を持たせて音を出すところから、団体行動できるように訓練するようなものだということかと。
(ここ、どちらが優劣というわけでなくて、そもそも前提が全然違うんですね。ピアノや弦楽器は、最初から一人で演奏を音楽として完結できることを目標にしていると思います。だいたいはマンツーマンで、じっくり数年かけて基礎をやり、楽譜の読み方から作曲家の特徴や時代背景などもちょっとずつ教わりますし、技術と知識の両方が身についていきます。
それに対して、学校の吹奏楽部では、全体合奏を目標にしていて、違いがあるかと。時間的にも手数的にも限界があって、考え方や理解の仕方までは難しいというのもあるのだろうなと)

私の経験した範囲ですが。
結果・評価に固執する。音はとりあえず出てればよい。みんなで頑張ればよい。団体行動=音のタイミングを重視。…みたいな。
そういった点を、吹奏楽経験者?と考えると、少し、頷ける部分も出てきそうな感じもしてて。

音楽の作り方を、少し整理しておく必要があるのかもと。組み立て方の知識があれば、感覚を理解することは可能だと。。。
ピアノや弦楽器を経て来た人と、吹奏楽を経て来た人では、経験や知識に多少の差があっても、どこかで最終的に「音楽」になればいいので。

話を戻します。

置き土産

声をかけてきた後輩の、OBを引退するに当たってできることをやってからいこう、という気持ちはすごく分かったし、過去の自分から「そういうのがあったら、少しはマシで楽だったのに」と言われている感もあって笑
(人がいなくなると、その人の保持している知識や判断力(基準)やいろいろが一切合切失われてしまうんですよね。置き捨てられた感覚が過去の私には強くあったので)

なるべくなるべく、基礎とか基本とか、ベースになる部分に関連して、持っておくと便利なtips、豆知識とか、経験した中で分かってきたこと、そういうものをできるだけ平易に、文字にするように努力しました。

あの時の、アウトプットの奔流のような感覚は、めったに味わえるものではなかったと思います。
自分の深層から掘り出した感覚を、言葉に置き換えるためにぐわわーっと脳みそが回転して、どばばーっと指先から出てくる感じw
で、書いたものを何度も読んで、修正して、文字数減らす努力して。
再び、どばばばーって書く。

過集中型の人間なので、あれはちょっと楽しかったですね。いわゆるゾーンに入るって感覚。

そうやって、置き土産的な資料が完成したわけです。

ブログが役に立った

あれができたのも、日々の記録として、練習を見に行った日は必ずブログを書いていた、過去の自分の積み上げがあったからこそでした。
本当に、あれだけは自分を褒めたいw
毎回毎回、本当によくメモった私w
(結果、10年で900記事を越えてましたから、年間90以上書いていたことになりますね。繁忙期は多いときは週2~3ペースでした。合宿前の下ごしらえと、強化合宿のお手伝いと発表の日とで)

ブログには、練習中に感じた疑問とか自分なりの考察とかをメモしていたので、そこから資料に活用したケースも多かったわけですが。
一番役に立ったのが、ブログを書き続けて「スキル:文章化」を得られたことかも。

書くことが目的なので、「自分の感覚で理解できるまで考える。文字になるまで考える」
これを続けていたのが、資料作りにすごく役に立った気がします。

ブログが役に立ったことは他にもあって。
あのブログは、当時、
①自分メモ
②普段これていない他のOBの予習ノート的な面
③私が次回提案しようと思ってメモしたことを、現役生が読んで即練習に取り込んで封殺
…という、一石何丁もしていたと思うので、多方面でお役立ちになってたかも。w

表現とは、突き詰めた結果(だと思う)

自分の感じたことを突き詰めて突き詰めて、形にする。
文章化以外でも、「表現」を考える上で、とても大事かもしれないな。

水の中に潜って、ずっと潜水しながら進んでいって、底から何かを掴んで上がってくるときの、あの「とったどー!」って感じ。
これ、楽譜見ながら「こういうことなんじゃないか?ココとココは、結びつけて考えられるんじゃないか?こういう構成だからココは意味があるんじゃないか?」って考えるのと似てるかも。
あやふやなものを、掴みに行って、なにかを取ってくる。狩猟?w

知識を得ること、使うこと。
それを、自分の感覚で使えるようになること。
以前の記事にも書いたけど、「センスとは、知識の積み上げと活用である」というのは、ここにも関連することでもあるのかもしれない。

インプットだけでなく、模索すること。それを少しずつアウトプットすること。かも。

最近は

最近の演奏会は、アンケート拝見することもなくなって久しいので分からないですけども。
行ったときは、会場でお客さんの反応を見ながら聴くとか、していますけど、曲の解釈とか理解とかは、あまり方向性間違った感じはなくて、以前と比べるとですけど「細やか」になった印象です。(あくまで当社?比ではありますが!!)
あまり手厳しいご意見を直截に頂くようなことも少なくなってるのかな。どうかな。
(年齢が上がるほど本気の本音を書くようなことはないので、アンケートに書かれた感想などの受け取り方は難しいところですが、貴重なご意見を頂いたときは大事に、でも傷は負わずに、前向きに活かして行けたらいいな)

もし演奏会の準備等に、あの資料が少しでも活かされてるんだとしたら、それはそれはとても嬉しいです。(…という思い出し記事でした。)

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この記事のヘッダー画像は、ぱくたそ様よりお借りしています。いつもありがとうございます。


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