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「求められるもの」について

自分たちの魅力って何だろうって、考えたことありますか?
「なぜプロの演奏会じゃないのに、お客さんが来て下さるのか」。
学生邦楽、プロならば売りにできないものが、逆に「売り物として価値がある」ことがあるのです。

それは何か。

旧ブログの記事(2011.11月)に、ちらっと書いたのからメモとして引っ張っておきます。

 学生の演奏会において、何を目的にお客さんが来るかというのは。
 ひとえに、「未完の美」ということだと思うのね。
 ロリコンにとってロリータが価値があるのと一緒だと(違

 それは、演奏者が目的とする形があって、お客さんにそれが伝わって、それを舞台と客席で共有して、でも、惜しかったね頑張ったね、というところだと思うの。たぶん。爪跡的な。
 (もちろん、100%満足させられれば、お客さんは喜ぶと思うけど、たぶん、それを求めて学生の演奏会に来る人はほとんどいないはず)

 挑戦していく姿、というものを、学生の時点ではものすごく高く評価される気がするので。
 演奏会までにできるか・できないか、ではなくて、やりたくてやったけど完成しませんでした、というのでもOKだと思うよ。
 チャレンジすることをためらわないでほしいな。

あと、同じく旧ブログ(2015年演奏会感想)より、

けしてクオリティが高いわけじゃないけど、学生らしい、情熱的で温度のある、そういう音が存分に楽しんでもらえたのではと思いました。
 (学生邦楽にあって、プロにはない、そういうのをお客さんは求めてくるわけだから、「未完の美」という部分でとても”らしい”演奏会だったと思うわけです)

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なぜこれをメモに残しておこうと思ったかは、以下のnoteを読んだのがきっかけです。

これね、「完全なもの」と「不完全なもの」があったとして、どっちにより強く魅力を感じるか。という。普遍のテーマかもしれないやつ。

人間は何に感情を動かされるのか。
よく言われる例が、「幼児の調子っぱずれな歌声=可愛いと思ってしまう」。
個々により多少の違いはあるけど、この例の場合は、「不完全」な方により心奪われる理由の一つに「伸びしろ」「未来」という「余白の感覚」があることだと思います。

で。上記の例の続きで、比較として「大人の調子っぱずれな歌声=可愛いと思ってしまう…か???」という…ねw
この感覚からわかるように、不完全だから=よい、ということではなく、あくまで、未来ある者の不完全さ=よい、という、条件付の評価なわけですので誤解しないようにしてほしいですが;

で、続き、「幼児でも完全なピッチで歌い上げた」ら、もはや神童。もてはやすことはあれど、「親近感は感じない」。可愛いなあと全面で感情移入することは少ないと思います。たぶん。

その違い。

それが、学生邦楽の、面白さというか、外部からの親しみやすさ・敷居の低さの、もとかなぁ。
まだ未熟ではあるけれど頑張ってる姿を応援したくなる、そんな心理にさせるのが、これかなぁと。

ちょっと高校野球の「ドラマ性」にも似たところがあるかもしれないですね。プロにはないものを求めているという点で。

(注意w:
ピッチ外してると一般のお客さんには普通に「下手やな」て言われてしまうので、ピッチ外さない工夫はしようね。音の外れやすい条件や楽器の特性なんて関係ないので)

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親しみやすさ、大事。
学生邦楽としての、「売り」「強み」みたいなものは、理解しておくといいかも。
求められているものを提供できれば、満足度はある程度上げられるので、押さえるところは押さえると評価されやすいですし。
(まぁ評価を基準に行動したり、気にしすぎてほしくはないですが、現場のモチベーション下げることが少なくなれば、色々と前向きに保てると思うので。)

「どうせ学生邦楽なんだし」と思って来たお客さんが、感動してくれたら、その時点で勝ちでしょw そういう意味で、ここ最近、わりと演奏会の内容的には成功してるかなと思ってます。
(あ、別にプレッシャーかけてるわけじゃないですよw あと興行成績としても別ですよw)

未完の美はよいものである、とはいっても、もちろん、手を抜いてほしいわけじゃないですので、そこはお間違えなくです。
手を伸ばして伸ばして届かないその先の数㎝の余白。私はそういうギリつくようなとこが好きです。

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