堂々と逃げればいい|#これぞ我がジャンプ
こんばんは みょーです。
こちらはAOIROさんの企画『これぞ我がジャンプ』参加記事です。
堂々と逃げればいい
あやふやな言葉って便利だと思う。はっきりとした意味が分かっていなくても、どんな人にでも何となく伝わる。
「ジャンプ」の意味はとびはねること。「飛ぶ」もしくは「跳ぶ」こと。私生活でも、仕事でも、どんな場面でも「高く飛んだ」といえば、それが良いことだというのは伝わると思う。
僕も飛んだことがある。中学三年生の春、小学生の頃から続けていた野球部を“飛んだ”。このジャンプがどういう意味を持つのか。あやふやな説明でも、きっと伝わっているだろう。
野球好きな父の影響で、地元の少年野球チームに入った。当時、同い年の仲間はほとんどおらず、仲間が増えた頃には自然とキャプテンになっていた。周囲より少し早く始めていたこともあり、実力はほんの少しだけ僕が上だった。
幼いながら、リーダーとしてチームを引っ張っていたつもりだ。初心者が集まった弱小チームは、勝つことこそ出来なくても、明るい雰囲気の良いチームだった。この頃はまだ野球が好きだった。
中学生になっても野球部に入った。少年野球のチームメイトも続けるだろうと思っていた。
中学にはヤンチャな生徒が多かった。特に野球部のキャプテンは市内でも有名な不良少年で、誰が見ても怖じ気づいてしまうようなオーラがあった。
真面目な少年は彼を避け、不真面目な少年は彼に憧れた。そんなリーダーでもチームが成り立っていたのは、公私共にキャプテンと渡り合えるメンバーが集まっていたからだった。
三年生の引退後、猿真似しか出来ない偽物のチームは破綻し始めた。昔からの仲間は早々に野球部から去り、野球に真摯な人間から順に部を離れていった。
当時の僕は「バカ」がつくほど正直だった。だからだろう。チームで唯一、本気でプロを目指していた先輩が「ここにいるとダメになる」と打ち明けてくれたことがある。
それからすぐ、先輩の父親が挨拶に来た。転校を決めたと監督に伝えていた。その横顔に、怒りと呆れが混じっていた。
一年後もチームに変化は無く、悪い面ばかりが後輩へと引き継がれていた。練習中にサッカーを始める一年生を注意する同級生は一人もおらず、弱い者に嫌がらせすることに熱心だった。
ある日の部活終わり、部室で同級生達が騒いでいた。何をするでも無く、ただ大げさに叫び回るのが楽しいようだった。「お前も来いよ!」と脅すような声色で話すチームメイトを見て、僕は“飛んだ”。何も言わないまま、野球部から離れた。
それから何日かして、鼻息を荒くしたエースが教室に殴り込んできたことがある。
「なんで練習に来ないんだよ!」僕の胸ぐらを掴み、強い口調で話す。彼にくっついて来たレギュラーの一人も、ここぞとばかりに僕を睨んだ。野球部の悪い部分を凝縮したような男で、誰よりも嫌いだった。
どうしてお前もいるんだと、怒りに任せて言い返す。
「辞めるんだよ!」
エースの視線が揺れ、腕から力が抜けたのが分かった。「どうしたらいいか分からない」とでも言いたそうな表情をしていた。一瞬、時間が止まったような錯覚がして、同時に、罪悪感で胸がいっぱいになった。
数年後に知ったことだが、彼は僕を引き留めたかったらしい。不器用だけど、良いやつだった。
眠れない夜があった。部室で仲間が騒いでいたあの日の夜だった。
「ひとつのことを続けられるのは素晴らしい」と、どこの誰でもない人達が言う。僕もその言葉を信じていた。今は中学三年の春。あとほんの数ヶ月で、僕は“野球部を最後まで辞めなかった”人間になれる。
ふと、先輩達のことを思い出した。あのキャプテンと渡り合っていた先輩。野球と向き合うために転校していった先輩。彼らは本気でプロを目指していた。だから辞めなかった。
僕はどうだろう。試合にも出してもらえない僕は、何のために野球をやっているのだろう。
プロになりたいわけじゃない。学ぶこともない。楽しくもない。続ける理由はひとつも無かった。
「じゃあ辞めてもいいじゃないか」それまで頭に無かった選択肢が浮かび、靄が晴れたような感覚がした。
続けることに意味があったとして、辞めることに意味が無いわけがない。「続けることは素晴らしい」という常識自体が透明で、あやふやなものだと気づいた。
母に野球部を辞めると伝えると、心が急に軽くなった。
どうやら、この一飛びは想像より高かったらしい。
仕事や責任を放り出して逃げることを「飛ぶ」と言う。罪深いことだと、大勢が言う。
でも実際はどうだろう。逃げた人達の中に、罰を受けるべき人がどのくらいいるだろう。続けるよりも、辞めることの方がずっと難しいと感じる人がいることに、何人が気づいているだろう。
悩んで、苦しんで、勇気を持ってジャンプした人間にしか新しい景色は見えない。何もしない人間に、色のついた世界は見えやしない。
だから、堂々と飛んでやればいい。
形ない透明の常識を守り続けるより、ずっと価値がある行動だったと、今でも思う。
1992字
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