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「自己肯定感が低い」って言葉について考えてたら意味わからんなった


こんばんは スマホから更新しようとしているみょーです。誤字が増えるかもしれませんが、そこは御愛嬌。低気圧ボンバーで肩はバキバキ。首はズキズキ。指プルプルですもので(一部フィクションを含みます)

さて、安っぽいYouTube動画のタイトルみたいな記事名となりましたが、そこそこおもしろいことを考えたような気がするので、眠気と戦いつつまとめてみようと思います。




そもそも、この記事を書こうと思ったのは「悪口のような汚い言葉を聞いて、落ち込んだり悲しんだりする時間って勿体ないよね」って話をしたかったことにあります。


というのも、優しい人、真面目な人ほど他人の影響を(特に暗い方面で)受けやすく、その対処に苦しむからです。僕も変に真面目なところがあったのでメンタルがブレイクな青い頃もありまして、そこから立ち直った経験があります。

人それぞれの立ち直り方、耐え方があると思うのですが、僕の場合は手軽に「無敵感」を得られるもので、人にオススメできるものだと考えております。だからこそ言いたかった。


僕のnote歴には「言いにくいことをズバズバ言うみょーさんステキ!」みたいな時期があったのですが、その頃に書いていたことを再びまとめてみようかと思ったのです。ただ、ズバズバとは言いたくないです。

ズバズバ言うと、その行為によって「攻撃された!」と勘違いする人がいます。当時は「うるせー! 勝手にへこんでろ!」と思っていましたが、今はそういうクソ雑魚ちん◯んメンタルな人たちにも優しく言葉を届けられたらなと考えるようになりました。たとえ被害妄想の激しいクソ雑魚ち◯ちんメンタルでも助けてあげたい。かまってちゃんで甘えん坊のクソ雑魚ちんち(割愛)




僕の繊細な心が爆発したところで、本来のテーマに戻ります。自己肯定感についてです。

一度「そもそも自己肯定感ってなによ!?」とブチ切れたことがありましたが、その気持ちは今でも変わりません。結局なに? 言ってみ!?(落ち着け)


こう考えるようになったひとつの要因に明石家さんまさんの言葉があります。「失敗するのが怖い」という悩みへの答えです。

それは「自分を高く見積もりすぎ」というものでした。そもそも「自分は上手くできる」「自分は失敗なんてしない」と思っているから、失敗したときに落ち込むのだ。というもの。

つまり、始めから「まあ失敗するかもしれんけど精一杯がんばろ!」みたいなスタンスだと、必要以上に落ち込んだり心配することはない。ということです。僕も一回もやったことない物事に対しては、必ず「がんばるけど絶対に失敗しちゃうんだろうな〜♪」「アタシったらお茶目なんだから♡」という気持ちで取り組みます。社会人としてはクソですが、メンタルはちんち◯じゃなくなります。


僕のち◯ちんは置いといて、この事象と自己肯定感の低さって似てると思うんです。さんまさん理論で言うと、「自己を肯定しまくってるから否定しちゃうんじゃないの?」ってことです。自分でも意味わかんねえ。頭がちんち(割愛)

↑の文章だと穴だらけで論破したいしたい星人のエサになりそうですが、わかりやすくまとめると、自己肯定感が低い人は、自己を肯定出来ないのではなく、自己を否定しているのではないかと思ったわけです。「自己否定感が高い」とでも言うのでしょうか。なんやこのクソみてえな日本語(自己否定)


だからなんやねんって感じですが、この言い方の違いって、感覚にするとだいぶ違うような気がします。

「自己肯定感が低い」は、足りないからがんばらなきゃ!な感じがしますが、「自己否定感が高い」は、意識して減らせば楽になれそうな雰囲気があります。なんか解決できそうじゃないですか。さあまっさらなわたしへ。


伝わりましたでしょうか。まあ僕の文章力なら伝わりますよね。なんたって、この僕ですからね。あのみょー様ですからね。これが自己肯定感が高いということです。皆さんは卑屈に生きてください。



最後に



こんな文章を垂れ流しても恥ずかしくないという鋼のメンタルを別に活かしたい。



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