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「バッファロー66」ネタバレあらあらすじ感想


0,基本情報

日本では1999年に公開されたこの作品。監督・脚本・音楽・主演はヴィンセント・ギャロが担当している。上映時間は1時間49分となっており、Filmarks評価は5点中3.8点、Rotten Tomatoesの批評家支持は77%、オーディエンス支持は88%となっている。



参照:映画「バッファロー66」公式サイト

1,予告編


2,ネタバレあらすじ感想

物語は主人公ビリーが釈放されたところから始まる。ビリーは囚人となっていたことを家族には知らせておらず、加えて出所後すぐに家族の元を訪れることになっていたが、自分には妻がいると嘘をつきその”存在しない妻”も連れて実家に帰らなければ行けなくなってしまう。ビリーは踊りの教室のトイレを借りた際に偶然出会ったレイラを拉致し、偽りの妻を演じるように脅迫する。
ビリーはレイラを連れ、数年ぶりに家族と対面する。ビリーは終始浮かない顔で、食事の際にナイフの向きで父と喧嘩をするほど、父は野良犬を飼わせてくれず、母は息子の出産のせいで応援していたプロスポーツチームの重要な試合を見逃したと語るなど、子どもの頃から良好な関係ではなかったようだ。レイラはビリーに言われた通り愛想良く振る舞うだけでなく、ビリーの子どもの頃の写真を見たり、ビリーの父親の歌を聴いたり、馴れそめを語る際や妊娠したと嘘を増やしていく。ビリーの父親はレイラの話を真剣に聞きその時間を楽しんだが、母親はアメフトの試合が始まってからは終始テレビの画面に夢中でレイラの馴れそめの話もお構いなし、ビリーとレイラが帰ってから夫と話すことなくすぐにテレビの前へと向かうのだった。
ビリーもまたアメフトファンだった。昔、その純粋さからか自分の応援していたチームの勝利に持っているはずがない大金をかけてしまいそのチームは敗北。借金を肩代わりする代わりに赤の他人の無実の罪を被ることとなっていたのだ。その後風の噂で最後のキックを外してしまったスコットは敵に買収されていたという話を聞き、彼を殺すことで人生を台無しにされた復讐を果たそうとしていた。ビリーは行きつけのボウリング場に向かい、拳銃を取り出す。一方レイラはそんなことは知らず、ただただビリーとボウリングをしたり、写真を撮るその時間を楽しんでいた。
2人は次にファミレスへと向かう。ファミレスで昔ビリーが恋をしていたという女性と再会する。その場からすぐに立ち去ろうとするビリーに対してボウリング場のビリーのロッカーで同じ女性の写真を見かけたレイラは彼を慰めるが、そのことで口論となりビリーはレイラにひどい言葉を浴びせてしまう。なんとか2人は若いし、ホテルの2人きりの場でビリーはレイラに真実を話す。実はビリーは子どもの頃、レストランで遭遇した女性に一目惚れをしたが、告白する前に彼女から「じろじろ見るな」と言われ、からかわれてしまっていたのだ。
それを聞いたレイラはビリーから片時も離れずに寄り添う。2人の時間を過ごしていると、スコットに復讐できるそのチャンスが迫る。レイラはココアを買うと嘘をついて出て行こうとするビリーの去り際に愛の告白をする。親友グーンにボウリング場のロッカーの暗証番号を伝え、覚悟を決めスコットのいる店へと入るビリー。スコットがいることを確認し、復讐を決行、その後自殺をしようとするが、自分が死んだときに家族は悲しんでくれない子とを察したのか、復讐は辞め拳銃を遠くに投げ捨て、ココアとハート型のクッキーを持ってレイラの元へと戻るのだった。


3,感想(さらに詳細なネタバレ有)

まず本作、演出が非常に斬新であった。本作には、ビリーの過去の回想シーンが多く登場するが、ビデオカメラの画面のような切り取り、それが拡大していくというような見せ方がなされていた。ビデオカメラは写真と並び、過去を記録する重要なツールである。いくつかの切り抜きが出てくるシーンがあるが、冒頭でそのシーンを置いたことでその後、徐々に拡大されていく切り抜き、その記憶がビリーの中で他の記憶よりも印象に残っているものだということがわかりやすく見て取れるようになっていた。また、現在のタイムラインから徐々にビリーの記憶の切り取りにフォーカスされ、回想シーンに入っていくことで、鑑賞者が今の状況を理解できる丁寧な作りにもなっていたと思う。


本作で一番印象に残ったのは主人公ビリーの変化だ。これは強引なこじつけかもしれないが、ビリーが嘘をつくのは多くの場合、開放的な空間にいるか髪がオールバックになっている時で、対称的にビリーが本音を打ち明けるのはは髪が乱れているか閉鎖的な空間に彼がいるときであった。本作でビリーがつく嘘は、惨めで孤独な自分を隠すための飾りであるものが多いように思う。「昔はガールフレンドに困らなかった」「今豪華なホテルにいる」「ファーストクラスに乗って帰ってきた」「自分は政府の要人である」など、どれも自分を大きく見せるためのものだ。私には、彼がついた嘘と一応整えた外見が旨いことリンクしていたように感じた。ワンシーンに限って言えば、ファミレスでウェンディと再会した後、トイレで髪を整えるが悲しい感情が高ぶって涙し、後ろに寄せた髪がすぐに前へと垂れて髪をセットした意味がなくなってしまったシーンが偽りのビリーからありのままのビリーへの変化を見せた象徴的なシーンのように見てとれた。


本作で嘘をついていたのはビリーだけではなく、彼の両親もそうであった。彼の父親がレイラに歌声を聞かせたシーンがあるが、私にはあれは口パクのようにしか思えなかった。母はレイラから妊娠を伝えられたときに喜んでいたが、ビリーを驚かせたいから内緒にしておいてほしいというレイラの頼みをあっさり破り、2人の馴れそめの話は全く聞いておらず、2人が帰ってからもアメフトに夢中であった。ビリーは偽りの家族から生まれるべくして生まれた存在なのかもしれない。だが、ビリーは自己中心的な性格の両親に対して相手思いすぎる純粋な性格であり、そういう点で両親にはない良さがあった。それ故苦労していたスコットだったが、最後には死んでも家族には悲しんでもらえないことを察し、スコットへの復讐と自殺を辞め、自分の幸せのために生きることを決意した。これはある種の家族(血統)からの脱却のようにも取れる。


最後には、今まで不幸続きだったビリーが幸せを掴み、自分だけの一度きりの良い人生のために歩み出してくれた。恋愛映画ではあるが、それよりビリーが幸せを掴めて良かったと思える、感情曲線上がりっぱなしの爽快なハッピーエンドの物語であった。


画像元:AMAZON

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