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切実にコロナに罹って休みたかった新卒1年目


2021年 コロナ禍2年目
私は大学を卒業し社会人となった

就職先は大学4年生からアルバイトしていた会社なので仕事内容は大体わかっていたしアルバイトとは仲良し
大学生時代と変わらず自由に楽しく過ごした
6月には念願だった一人暮らしもはじめた
私の新卒生活は順調なスタートをきった

緊急事態宣言が出たり終わったり、
ずっとマスクは当たり前で友達と会いにくい環境でも一人暮らしが楽しくて私の小さなアパートはディズニーランドと同じくらい夢の国で楽しい場所だった


調子が崩れたのはその年の夏、
就職して半年以内のことだった

耳がおかしくなった

ピルの副作用で耳管開放症を発症してしまった
私の職場はコールセンターである
ずっと喋る仕事なのに自分の声が変に響く、呼吸音がごーごーと響く、最初はごく短い時間だったのが繁忙期のストレスと疲れでどんどん症状がでている時間が長くなった

トイレに逃げて前屈みになれば症状はおさまるけどデスクに戻るまでのわずかな時間でまた症状がでてしまい、喋ることも息をすることもストレスで職場にいることが辛くてたまらない
早く家に帰って横になりたい
早く耳を楽にしたい
早く症状から解放されたい
とにかく家に帰りたい

会社は繁忙期真っ最中で定時に帰宅することはできない

今思えばこの時点で上司に相談するべきだったけれど当時の私は「また生理のせいで人生を台無しにされたくない、体調不良を相談して使えないやつだと思われたくない、他の社員に負けたくない」と頑なに耳の病気を秘密にしていた
ちゃんと聞こえるし会話も仕事もできたので病気は誰にもバレなかった

学生時代からたまに症状が出ていたけれどたいてい放っておけばすぐに治ったので今回もすぐ治るだろうと病院には行かずひたすら耐えた
ピルをやめたらPMSと重い生理痛で仕事に行けなくなるし、当時はミレーナを知らなかったのでピルのせいで耳が終わってもやめる選択肢は存在しなかった

けれど不快な症状は一向に収まらずむしろどんどん悪化して心が疲れて不安定になる
不思議と症状は職場にいる時に出ることが圧倒的に多く、家にいる時は元気だった

そして繁忙期のピークを迎えた頃、社内でコロナ罹患者が出始めた
在宅勤務がなかったので2週間くらい休みになり、濃厚接触者でも10日は休めた

そうか、コロナになれば休めるんだ 
いいな 羨ましい
そう思った
お盆で土日休みの同級生が連休をとっている中で残業が続いたこと、コロナ療養中の社員の分の仕事が大変だったこと、人員が減ってイライラした先輩社員がキツかったこともさらに休みたい欲求を駆り立てた

もちろんニュースで重症化したり後遺症で苦しんでいる人がいることは理解していて、コロナに罹りたいなんて思う自分が狂ってるのは自覚している、それでも「コロナに罹れば仕事を休めて耳の症状から解放される、最悪の空気の会社から一時的にでも逃げ出せる、耳の症状の辛さに比べたら熱なんてたいしたことない、コロナが理由なら休んでも評価には響かない、コロナに罹れば休養できる、元気になれる」と思い込んだ

ちょっと人が多いところに行ってみたり(外でマスクを外す勇気はなかった)帰宅時の手洗いや消毒をサボったり僅かな抵抗をしてみたけれど耳以外は健康そのものでコロナに罹ることも濃厚接触者になることもないまま秋になった

繁忙期が落ち着いても
私の耳は相変わらず暴れている

季節に関係なくホルモンバランスも常に大暴れしていてメンタルも食欲も眠気も極端に上がったり下がったりを繰り返していたし、ストレスから不正出血も多かった
仕事より自分の体調に振り回されることに疲れ切っていた

耳の症状は職場に入った瞬間ぷつっと音がして現れて、帰宅したらすっと消える

毎日9-10時間は症状がでて、最初は自声強聴がメインだったのに呼吸音と心臓の音も響き続けるようになり明らかに悪化していた

コロナに罹ってまとまった休みをとりたい
ずっと横になって耳を休めたい
休みたい 休みたい でも評価は落としたくない
仕方がない理由で休みたい
この思想に取り憑かれた


病気を申告して扱いにくい奴、メンタル弱い奴認定されるのは絶対に嫌だった
罹っても「運が悪かったね、大変だったね」と労ってもらえるコロナで体裁良く仕事から離れたいと願った

冬が近くなった頃、
とうとう会話にも影響が出始めた

最大音量にしても電話がよく聞こえない
自分が話している声が途中で聞こえなくなる
目の前で話しかけられても雑音が混ざって何を言ってるかわからない

業務に支障が出るようになってようやく
「実は耳の病気で、、、」と相談し
即日休職の許可が降りた
次の日から休みとなった
びっくりするほど簡単に休みが取れてしまった(後日診断書は提出した)

その日の帰り道
通り道にあったみかんの鮮やかさに目を奪われたことをよく覚えている

休職を決めたらぴたっと耳は治った
復職してからも数年は症状が出ることは一度もなかった

休職しても傷病手当で生活できたし、
会社での立場が危うくなることもなかった
コロナに罹るように願う必要なんてなかった
ただ素直に体調が辛いことを相談すればよかった
バカだったな、22歳の私


それから24歳になった昨年の夏
はじめてコロナに罹った

高熱はしんどいし1ヶ月くらい嗅覚もなくてこんなものに罹りたかった過去の自分を叱りつけたい

おまけにもう5類だし在宅勤務できるようにもなったので高熱と頭痛の中普通に仕事をするハメになってただただ辛かった

コロナにもただの風邪にも病気にも絶対罹らない方が幸せだし、罹りたいと思うくらい追い詰められたら迷わず心療内科に行くべきという教訓を得た

ここ半年私を悩ませている疼痛はもしかしたらコロナの後遺症なのでは?と心療内科で相談したら「もともとそういう因子を持ってて、コロナが最後の一押しになった可能性はある」とのことだった
コロナに罹っていなかったら今の疼痛はなかったのかもしれない

世界的パンデミックで多くの人が非日常で大変な思いをしたり、仕事を失ったり、大切な人や物を失っている中で何の苦労もしなかった私がコロナに罹って休みたいなんて思っていたからバチが当たって疼痛を背負うことになったのかもしれない

この記事を書いている間にギックリ腰になった
もう2度と病気になりたいなんて思わないので許してください











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