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『下妻物語』ファッションと生きる軸


Twitterで下妻イオンが下妻ジャスコになった!
ジャスコが帰ってきた!と話題になっていた。

そういえばちゃんと下妻物語観たことないな〜と思ったので鑑賞。

小さい頃にテレビで観た気がするけど、
・ロリータ好きとヤンキーが仲良くなる話
・ロリータ服に血がついて発狂するシーン
これくらいしか覚えていなかった。

2000年代の邦画を見るといつも
「話は良かったけどファッションの古臭さが目についちゃうな」とか「古典的なくねくね媚びた女が気持ち悪くて無理」とか「ああこの分厚い前髪、私も死守してたな」とか雑念が混ざって作品に集中できない。
そのせいでもっと古い映画か、令和になってからの映画に偏ってしまう。

だけど、下妻物語のファッションには魂がある
魂に流行も社会の圧力も関係ない。

桃子は好きなファッションを貫くことで地元の下妻でも代官山でも周囲から完全に浮いている。
けれど彼女は己の魂に従って生きているので自分を少しも恥ないし、常に自分軸で生きている。
誰が揺さぶっても絶対にブレない強さがある。
作中で語られたようにおばさんになっても、おばあちゃんになっても彼女は好きなファッションを貫くしそれに似合う自分でいる努力を怠らないし、目先の利益や社会的成功に惑わされず、自分の好きな道だけを歩く。
なんて素敵な生き様なんだろう。

イチゴのファッションはたまたま出会った人生の転機がレディースだったから同じように特攻服に染まったのだと思う、もし出会ったのが違うタイプの強い人間であれば、その人と同じジャンルのファッションを選んだのだろう。けれどそれは自分を変えるきっかけになる出来事ただ便乗して流されているのではない。
彼女には勉強の知識はないが自分の主義を持ち、善悪をそれ従い判断して、それを語ることができる。
だから彼女は所属するグループの方向性が自分の目指すものと違うとわかれば決別を選択できるし、一見自分とは合わなそうな桃子の内面の力強さを見抜いてダチになることを選択できる、誰かに流されることなく我が道を行く。

外見では2人は正反対のように見えるけれど
自分軸で生きていける強い人間同士だった。
だから2人は絆で結ばれた。
2人はもしかしたらいつか縁が切れてしまうかもしれないけれど、死ぬまで自分軸を見失わずにまっすぐ歩いていくことは確かだと思う。

作中の2人は高校生だけど、学校の描写はほとんどない。
「令和の高校生はやるべきことが増えて大変」とたまに耳にする。
例えば最新のiPhoneを持って、流行りの韓国ファッションをして、垢抜け研究をして、映えるスポットで写真を撮ってSNSにあげなければならない。

世の中にはこういう「別に好きじゃないけどみんながやってるからやらないとね」ということがたくさんあるし、描かれていないけれど『下妻物語』の世界でも桃子の通う高校での流行りのスカート丈、携帯につけるストラップ、靴下の丈などがあって「これをやっておかないとダサい、やらない人は仲間じゃない」とされる同調圧力があったはずだ。
桃子はストラップをお揃いにする友達がいなくてもそんなことはどうでもいいし、クラス内のカーストなんて眼中にない。イチゴとの交流を嫌がるのも他人の目を気にしてではなく自分が迷惑だと思ったかは。
常に行動は自分の意志であり世間は関係ないと割り切っている。


同調圧力の波は何歳になってもどこかのコミュニティに所属する限り必ずあるし、それを完全に無視して我が道をいける人はとても少ない。
それに飲み込まれて息の仕方がわからなくなった時にこそ『下妻物語』をもう一度観たい、観てほしい

きっと自分の好きを思い出して、
自分軸で歩けるようになる。

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