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死は救済?

私は飲み屋で働く人間として、職業柄、飲み方で人を判断する。

一昨年の話。

年齢の割に、落ち着いた飲み方をする人だ。それに加えて誠実な言葉を使うし、変な人だなあ。それくらいにしか最初は思っていなかったが、いつのまにか好きになっていた。小っ恥ずかしいデートを何回かした後、当時ホームレスだった私は付き合ってすぐその人の家に転がり込んだ。転がり込んだ恋人の家の感想は、「クッッッソ寒!!!」転がり込ませてもらってる身でこんなこと言うのは申し訳ないのだが、壁は薄いし埃だらけで物がやたらと多く、夜になるとネズミの足音まで聞こえる。そしてとにかくとにかく寒い。暖房が全く効かない。というかエアコンがまずない。寝るときは薄い薄い敷布団を電気毛布で温める。あとは重ね着をするくらいしか防寒の仕様がない。まだ日中日当たりがいい外の方があったかいんじゃないかと思うレベルで気温が低く寒い家だった。

そんな恋人がある日鬱になった。仕事の愚痴はよく言っていたが、正直ここまでのつらさを抱えてるとは思ってもなかった。仕事に行く直前、上着まで着たところで泣き出して動けなくなったのを見て、「行かなくていい。会社には私が連絡するから」と言った。今、たった今目の前で労働に殺されかけている恋人を昔の自分に重ねてしまい、どうしても放っておけなかった。それからは私が恋人を精神面でも金銭面でも支えようと思った。「あなたがもし一生働けなくても見捨てないからね」「お金のことは心配しなくていい」「自分がいちばん楽なことをしていればいいんだよ」と、あの地獄のようなコンビニのバイトをしていた時に私がかけて欲しかった言葉を全部言った。

だが人を養うなんてそう簡単な話ではなかった。飲み屋なんて多くても週3〜4しか出勤しておらず、日払いだったからなんとかやりくりできていたものの、生活は悲惨なものだった。白米を炊いて鰻のタレをかけて食べたり、新大久保で売られている怪しげな60円のインスタント麺を食べたり。来てくれたお客さんに高級酒を片っ端からおねだりすればそれ相応の給料になったかもしれないが、恋人のためと考えても、それだけはどうしてもできなかった。何故なら私が金が必要な理由はお客さんには全く関係のないことだから。大前提として私は店子として旨い酒を提供するのが仕事なのに、金を稼ぎたいだけの接客をしたら、酒が不味くなる。そしたらそもそもそれは仕事とは言えなくなってしまう。金が必要と言う気持ちと、少しでも美味しい酒を提供したいという信念と、その間で揺れ動く気持ちに悩んで苦しんだ。そして結果、恋人にはひもじい思いをさせた。

家に恋人の友人がたまに遊びにきて、「お前また痩せたか?」と言われるのを耳にする度苦しくなった。ごめん、ごめんよ。栄養のあるものを食べさせてあげることもできなくて。お金があれば病院に連れて行ってあげられる、お金があればあったかい布団で寝かせてあげられる、あったかい湯船のある家に引っ越すことだって…お金があれば、お金さえあれば。でもお金を稼ぐためだけの接客は私にはできないんだ。仮にできたとしても、そんな汚い金で食べるご飯は美味しくない。本当にごめん。本当にごめんね。友人と恋人が会話してる部屋の壁一枚挟んだ隣のキッチンで、タバコを吸うふりをして唇をかみながら静かに泣いた。

ある日ついに私の心がぶっ壊れた。また薬に手を出した。無力な自分を、現実を、これ以上直視したくなかった。 180センチ以上ある恋人の体重は、155センチの私を下回っていた。飲み屋のシフトは毎回1時間〜2時間遅刻するようになり、常連さんのグループラインで「遅れます。ごめんなさい」と謝り続ける日々。結果こうして迷惑をかけている。泣きながら死にたい死にたいと言い、恋人は鬱で動けない。地獄かここは。救いなどない。死だけが救済…本気でそう思った。

「ーーちゃん沖縄にいこうか」
と、ある時いきなり恋人に言われ、現実がスッと気持ちいいほどに身体に入ってきた。

こういう時の気持ちをなんて言葉で適切に表現するのが良いんだろう。とにかく、ああ、この人と付き合っててよかったと思った。沖縄に行こうという突飛な提案は、金銭面やその他諸々の理由で却下されたが、その提案(言葉)が私を救った。

どんな言葉が人を傷つけるかわからない。ただ人は言葉で傷つくことがたくさんある。トラウマになって引きずることも大いにある。ならこの逆もあるのではないかと思う。人を癒す言葉。どんな言葉が人を癒したり救ったりするかは言う人やタイミング、雰囲気だったり状況次第だけど、絶対にある。ピタピタっと身体に染み込んでいくように、「沖縄に行こう」という言葉は私を救った。

恋人へ
この文章は正直公開するかどうかすごく迷って、ずっと下書きにあった。公開したら、あなたの弱い部分が晒されるという捉え方もできる文章だから。でも誤解しないで、私がこの文章を通して伝えたかったのは、あなたが鬱になったせいでこんなに辛い思いをしたんだということでは決してなくて、鬱になったあなたを救おうとした私が、鬱のあなたに救われたという事実と心からの感謝。今度は私が鬱になって、あなたは少しずつだけど回復して前に進んでいて、一昨年とは立場が真逆になってしまったけれど、これから先、あなたがもし心がダメになってきたら、あの時のように言葉の絆創膏を貼ってあげたい。だからダメになりきる前に、私に傷口を見せてね。

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