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あちら側に持っていかれた左脳

文字が読めない、言葉がうまく出てこないと私が言っているのは失読症、失語症と言って、脳卒中の人なんかがよくなる症状のひとつだ。症状は人それぞれで、私の失読症は何行目を読んでいるのか目が迷子になってわからなくなり同じ行を何度も繰り返し目で追ってしまったり、識字がうまくいかず書いてある単語が記号のように見えてしまって、その単語の意味を脳で変換しながら理解することが難しいというこの2点が挙げられる。この現象が起こるのは主に活字なので手書きの文字は比較的読むことが出来るが、手書き風フォントは脳が活字と認識してしまうようで依然として文字が滑る。noteを更新するのは読む作業ではなく書く作業なのでまだ楽だが、投稿前に自分の文章を読み返すのは骨が折れる作業だ。一度自分で書いた文章なので単語の意味については問題無いものの、それでも文字が滑るので画面の一番上に今読んでいる行をもっていき、スクロールしながら読み終えた行を画面の外に出しながら文字を読みすすめている。

以前「生きるための労働に殺される」という文章の生きるための代償という話が途中だったので続きを書こうと思う。

大量のコデインを飲み続けた後遺症が先程話した失読症と軽度の失語症だ。お店に立っている時「言葉がダメでね」「上手く言えないけど」とよく言うが、その訳を詳しくここに説明しておこう思う。

文字や言葉を司る言語中枢という場所があるのは脳の左側、左脳だ。その中の言葉や文字に関わっているのは①主に話すことに関わる運動性言語中枢(前頭葉付近)②耳から得た情報を理解するための感覚性言語中枢(側頭葉付近)③字や絵を目で見て理解する視覚性言語中枢(後頭葉付近)の3つの部分だ。そのうち、私は特に③がコデインの乱用でがっつり傷ついてしまっている。当時200錠もの薬を1ヶ月以上も飲み続け、親に引きずられて精神科に行った時言葉がうまく出なかったのは左脳のブローカ領域という場所に損傷が起こって出るブローカ失語という失語症の一種のせいだった。今は持ち前の明るさや性格(自分で言うの恥ずかしいな)、あとお客さんや私が酔うことでブローカ失語をうまいこと誤魔化しながら切り抜けてきたが、人と話していてうまく伝えたいことが伝わらないというのがとても悔しいし苦しい。とにかく私の左脳はボロボロで、このボロボロの左脳こそが私の生きるために背負った代償でもあり責任だ。200錠のコデインは死にたくて飲んでいたわけでは決してない。少しでも楽になりたくて飲んでいた。これが今になって私を苦しめている。その苦しみは生きている限り今後ずっと続くだろう。飲み屋でお客さんの様々な感情に寄り添う時に、毎回「もっと上手く話したい もっとうまく伝えたい」という気持ちに苛まれる。「言葉で傷つくことがあるのなら、癒す言葉も必ずある」とこのあいだ書いたが、その的確な言葉が感覚としては確かにここにあるのに言語化出来ない自分が嫌で嫌で仕方がないのだ。

あの時大量に薬を飲む以外にも楽になる方法はあったのかもしれないが、当時は本当にいっぱいいっぱいで、もう薬にすがるしか無かった。他の方法を考えることすらできず、毎日毎日来る日も来る日もコデインを大量に飲んでは心臓を動かすだけで精一杯だった。鋼の錬金術師という漫画で、死んだ母親を甦らそうと禁忌とされていた人体錬成の代償で兄は右腕と左脚を、弟は魂だけを残して肉体全てを「あちら側」に持っていかれたが、私は生きるために薬を飲むという禁忌を犯した代償で脳の左側をあちら側に持ってかれてしまったんだろう。

漫画の最後では、兄があちら側へ続く真理の扉を開き弟の肉体と自分の失った手脚を取り戻すことが出来たが、この世界は真理の扉なんてものもなければ漫画のようにうまくこともない。あちら側に行って失ったものを取り返すなんてことは出来ない。だからこそ、この後遺症とうまく付き合っていくしかない。伝えたいことは感覚として確かにここにあるのに、どうしても伝えれない。伝えたいことが伝わらない苦しみは想像を絶するくらい辛い。生きている間は禁忌を犯した代償の責任を背負い続けなければならない。 何かを得るにはそれ相応の代償が必要になる。これが私の生きるための代償だ。

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