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歌舞伎町の女王

数日前、希死念慮おばけが襲ってきたせいでコデインを大量服薬してしまい、身体の輪郭が今もぶれている。とりあえず休めと脳や身体は訴えてくるが、休んでしまったら金が稼げんので生活できん。人間というのは生きているだけで金を消費するので、休む時間を作るためにも働かねばならぬのだ。ぼんやりする頭とここ2、3日の記憶のない間に作った傷やアザの痛みを感じながら身体をどうにか動かして、仕事前に新宿の地下のカトラリー売り場に行った。そう、今日は仕事のためだけに新宿に来たのではない。仕事を途中抜け出して、妹のように、我が子のように愛おしい女の晴れ姿を見に行く予定があるのだ。何年か前、常連さんから「孫にシルバーのスプーンをプレゼントしたんだ」と聞いたことがあった。ヨーロッパでは、シルバーには魔除けの効果があると言われていて、我が子や孫には「一生食うに困らぬように」とシルバーのスプーンをプレゼントする習慣があるらしい。流行りのウイルスのせいで一生に一度の晴れ舞台がなくなってしまった彼女に何かプレゼントをあげたくて、これからも健やかに生きてくれることを願ってシルバーのスプーンでも、と思った。しかし思ったよりもスプーンが高く、手持ちの金額の3倍もしてしまったため諦めた。もう一度財布の中身を確認して、「この金額で足りるスプーンはありますか?」と店員さんに聞いたところ、「申し訳ございませんが、その価格帯でのスプーンは当店では取り扱っておりません」と一蹴されて終わってしまった。

仕事を抜け出し、約束した時間の少し前に待ち合わせ場所の喫茶店に着いた。この頃腹の調子が悪いので、暖かい紅茶を頼んだ。紅茶を半分程、タバコを6本程吸って時間を確認した。彼女が来ない。気づけば店に入ってから40分も経っていた。どんどん暗い気持ちになってきた。コデインが残っているからなのか、希死念慮まで出てきやがって、今から死ぬってなったら向かいの日清ビルから飛び降りるか、明治通りに飛び出して車かトラックに跳ねられるしかないよなーとぼーっと考えた。結局その喫茶店で1時間も死に方を考えながら外を眺め続ることになった。だめになったときのこころは、少しのことじゃ揺れ動かない。逆を言えば、こころが盛んな時はほんの少しのことでも揺れ動くものだ。窓から見えるのは明治通りを走る車、きっとあのブレーキランプの中にはデリヘルの送迎車や出勤前のキャバ嬢を乗せたタクシーとかもいるだろうな。あとは脚が棒のように細いホストの腕に抱かれる丸太のように太い女がすぐ目の前を歩き、顔面刺青だらけでタバコを一生燻らす男が斜め前の喫煙所に。どこからそんな金が湧いているのか全く検討のつかない金持ちそうな老婆が斜め前の道を横切った。歌舞伎町の真ん中にある喫茶店の窓際は、当たり前じゃない人が当たり前に行き来し、今日を生きている。誰かのために頑張ったり、信用したり、嘘をついて騙されたり。当たり前じゃない生き方をしているのは自分も変わりないが、その中でも一際惨めな気持ちになった。夜に生きることを自分で決めたくせに、それすらもまともにできやしない。もうどうにでもなってしまえ。待っていても待ち人は来ない。スプーンだって買えやしない。安物のパーカーにスキニーなんて姿であんな煌びやかなカトラリーショップに入った時点で気付くべきだった。店の中には高そうな服を纏った貴婦人がティーカップセットを買うのに万札を何枚も出していた横で「この金額で足りるスプーンはありませんか」なんて。私は何者なんだ。もっと身の程を知ったほうがいい。

諦めて仕事に戻ろうと大通りに出ると、「今から下に行くからまってて」と彼女からようやく連絡がきた。深くため息をついた。目の前のことだけ淡々とこなそう。待ってればいい。それだけでいい。そう思って待っていると、白地に金の模様が描かれたそれは本当にとても綺麗で、豪華で、煌びやかで、自分の語彙力の無さを恨むくらいの美しさをした振袖を纏った彼女が精一杯の笑顔で迎えてくれた。まさに、歌舞伎町の女王だと思った。客のために着飾るキャバ嬢よりも、ブランドものの服で着飾ったホストよりも、誰よりも純粋に綺麗だった。そして、私のことを抱きしめて、泣きじゃくって「よかった」「生きていてくれてよかった」と、化粧を溶かしながらボロボロ泣いていた。「泣いちゃダメでしょ。せっかくのお化粧が溶けちゃうでしょ」と言ってもボロボロ泣き続けていた。

歌舞伎町のど真ん中、区役所通りで一際華やかな振袖姿の女と写真を撮った。黒いパーカーにスキニーでフラフラ頭の私と一緒に。「現像して渡すね」と言われ、いい加減仕事に戻らねばならない時間になったので「私はもう戻るよ」と言って仕事に戻った。こうやって、未来に約束事を作って今は生きる理由にする。あの写真が届くまでは生きてみよう。不器用ながらも悩みながら20年も生き、母から受け継いだ振袖姿で力一杯抱きしめてもらった時、不覚にももう少しここで生きたいと思ってしまった。死にたい気持ちが消えたわけではない。現に今もめちゃくちゃに死にたい。でもひとつだけ、現像された写真が届くのが楽しみな気持ちは事実としてここにある。

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