my note#03│感性や表現の豊かさと寛容性-NCTに見る世界
私が幼少期から時たま感じていた、とある感覚がある。それは、何かに対して「変わっている」「変だ」と自分が“普通だ”と思っていることと一線を引くことへの違和感である。人にはそれぞれが持つ感性や表現があるが、それを自分の尺度で「変わっている」と表現し、一蹴したり笑ったり、“独特な世界観”とただラベルを貼って線を引くことに幼い頃から違和感があった。そういうことは世界のどこに住んでいてもあることなのかもしれないし、小さな島国として存在してきた日本という地理的特性が関係しているのかもしれないが、なぜ人それぞれの持つ感性や表現としてリスペクトや理解を示さず「変わっている」としてしまうのだろうか。
そんな違和感を持ちつつ今まで過ごしてきたが、NCT 23人が生きる世界を見ていると不思議とそういった違和感は感じない。23人もいて、多国籍で、年齢もバラバラ。もちろん血液型やMBTIのタイプだって様々だ。その23人の組み合わせだけでももの凄い数存在する中で、お互い自分と異なる感覚や感性、表現を持つメンバーは当然いるだろう。しかし、彼らの関係性の中に前述したような違和感を感じたことはない。
“多様性”と一言では表現したくないほど、NCT彼らには多種多様な感覚、感性、表現を受け入れ、その上で自らのそれに深みを持たせていく姿勢があると感じる。自分の“普通”は他人の“普通”ではないという感覚があり、そして、自分の“普通”も時にアップデートされたり真逆に変わったりする柔軟性を持っている。彼らのニュートラルでフラットな世界観を見ながら、感性や表現の自由さ、無限さ、豊かさを考えていきたい。
感性や表現の自由さと豊かさを持つこと
私の話になるが、子どもの頃からあらゆる国の絵本や童話、小説に触れてきた。さまざまな国の文学に触れるということは、さまざまな文化や感覚に触れるということでもある。そのおかげで、日本人とは異なる感覚や日本語とは違う表現の仕方をひとつの存在として吸収してきた。幼いが故にむしろ、「日本とは異なる海外の文化」「自分の普通とは違う感覚」などと棲み分けられてもいなかっただろう。幼少期から今も、この世界には多様な感性や表現があり、それは何かに縛られることなく自由で豊かなものだと思っている。
そのせいなのか、私の言語表現は「変わっている」と言われることが多かった。例えば、焼肉の網から炎が燃え上がり火を吹いているのを見て「ドラゴンだ!」と言ったとき、友人からは「何?初めて聞いた笑 さすが変わってるわ〜」と笑われてしまった。正直、私には変わったことを言っている感覚がないので、どこかもやっとした気持ちになった。もちろん「火がすごいね」といえば良かったのかもしれないが、私にはドラゴンが吹く炎のように見えたからそう表現したのだ。そういったことが今まで生きてきた中で多々あり、私は「変わってる」「“私の名前”ワールドがある」と言われることが多かった。
網から燃え上がった炎をドラゴンに喩えたように、比喩表現は日本語でも多々用いられる。『お人形のよう(にかわいい子)』『海が空のようだ』のように何かに喩えたり、『ひつじ雲』のように何かへの喩えがそのまま名称になった言葉もある。“対象”について述べる時、その状態をそのまま表現したり、形容詞を用いることもひとつの表現手法だが、何かに喩えることも、何に喩えるかも、それもまたひとつの表現手法だろう。青く広い空を見て、『広い海だ』と表現しても『空が笑っているようだ』と表現しても『無限の可能性のようだ』と表現してもよい。それは人による感性によるものだから。表現や感性は個人個人の自由であり、それに変わってるもおかしいもないと私個人は思う。
自分の世界を豊かにするのは、自分の持つ感性と表現だ。私にとってその世界を広げてくれるものは言語と読書だった。不思議なことに、日本では「変わっている」とされてしまう表現や感性が、他国、他言語だと自然だったりもする。他言語は私にとって自分を肯定し豊かにしてくれる救いであり、言語を通して他の国の感覚や文化、価値観を取り入れて自らの感性や表現の幅を広げてきた。つまり、感性も表現もその人の置かれてきた環境や生きてきた背景、生き様を反映するものであり、それは誰かの“普通”で測られるものではないのだ。
NCTから学ぶ自由で豊かな感性と表現の世界
NCT23人は、前述したように、国籍、年齢、血液型、MBTIのタイプ、関心の高いコトモノ…当然だが、さまざまだ。しかし、彼らの関係性の中に閉じず、ファンダムを含めて自分の感覚と異なることを当たり前とし、個々の存在に対する尊厳を守り、尊重、尊敬の姿勢を持つ特性があると感じる。それがNCTを好きな理由のひとつでもある。
ジェミンが思うbeautifulとは?
「ジェミンが思うbeautifulとは?」という質問への回答だ。とてもジェミンらしい感性と表現だなと感じる回答でとても印象的だったが、インタビュアー役をしていたジェヒョンの、『beautifulだね』とジェミンの感性をごく当たり前に自然と受け入れる姿勢も印象的である。
チソンの感性とチョンロの受容性
退勤ライブで、車の窓から見える夕焼けをチソンが目玉焼きに例えていたことがある。誰も笑ったり突っ込んだりすることもなく、ごく自然と会話が流れていったのが美しく感じたことがあった。
マークと目玉焼きの因縁についてはここでは語らないが、夕焼けを通してマークの作る目玉焼きをからかいつつも、愛おしそうに話すチソンとチョンロが美しかった。もちろん、他のメンバーも微笑ましそうに会話を聞いていた。チソンの感性はいつも美しい。あどけない好奇心を含みつつ、一歩落ち着いた視点で世界のとある“存在”に思いを馳せることができる成熟さを持っていると感じる。
チソンの感性をチョンロはいつも自然と受け入れる。自然に会話が進むのだ。チソンの詩的な表現を笑ったりからかうことはない。チソンの感性とチョンロの感性がお互いを受容し合って会話が進む世界が美しい。個人的に好きな、チソンの感性がより表れた言葉を残しておく。
マークの見る世界
先日ソロ曲『Child』をリリースしたマーク。かつて、メンズノンノのインタビューで「読者に、初めて会う友人のように自己紹介するならば?」という質問に対して『僕はまだ世界を知っていく途中の青年です』と回答していたのが印象的だった。そんな青年がどんなふうに世界と向き合い、どんな感性で生きてきたのか。
メンズノンノの2021年1月のインタビューにて「青春」についてマークが述べていた言葉だ。彼の中には、世の中のさまざまなものを理解し、取り込み、自らを形成し続けていくそんな姿勢がある。彼はきっと、歳を重ねるだけ人間性に深みが増すような、そんな歳の重ね方をする人なのだろう。
「2021年の記憶に残るbeautifulな瞬間」について、こう答えている。かつてメンズノンノのインタビューで語っていた『自分を知って、自分に素直になるべきだと考えます。』というところにも通ずるのだろう。そうしながら自らの感性や表現、アイデンティティを形成できることをbeautifulだと感じることそのものが、彼の持つ彼らしい感性であると感じる。
ここにはほんのごく一部のみを挙げたが、NCT23人それぞれの感性や表現が好きだし、さまざまなケミによって生まれる世界観や関係性も素敵なため、時を見てまた書いていきたいと思う。彼らの、お互いに認め合い、お互いの存在を愛おしく思い、尊重し尊敬する、そんな姿が美しい。NCTのファンであることを誇りに思うし、彼らのそういったところを愛するファンダムの特性も非常に好きだ。ファンと自分たちはお互いを高めあえる存在であるとし、アーティストとして、人として真摯であろうと貫く彼らが創り上げたNCTならではのファンダムの特性だと感じている。
目の前の世界を自分の尺度で見ていないか
生きていれば、自分と全く同じ価値観や感覚、感性、表現を持つ人に出会うことは稀だろう。そして、自分のそれも変わってゆく。自分の中にものさしを持っていることは大切なことだが、それはあくまで自分の価値観や感覚を磨いたり形成したりするときに使うべきであって、他人を測るものではないと私は思う。思わぬところで自分も自分の尺度で他者を測っていないだろうか?NCTを見てふと立ち止まることがある。
私個人は、他者の感性や表現を受容し、その人のアイデンティティとして尊重、尊敬できる人間でありたいと思う。この先もNCT彼らを通してきっとさまざまな感性や表現に出会うはずだ。私の世界を豊かにしてくれることに感謝しながら、私も彼らのように自由で豊かな感性で生きていこうと思う。
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