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6月29日「色々な経験はシンプルな軸の味付けなんだとおもう」

なんてきれいな夕焼け。二度と同じ空は見ることができない。
こんなに美しいものを見られるなんて生きてるっていいな。

さっき部屋から見える空を見てそう思いました。

なんだか数年前の自分と今の自分を見てみると、ほんとうに別人かと思います。

今もしっかり物欲はあるし(ありまくり)、こういう所に住みたいな、とかもある。それを叶えたいとも思うし、叶えられることはしっかりとやってる。
ただ、それもあくまで自然の流れのなかで行っているだけ、という感じ。
単純に体力的にムリができなくなってる、ということかもしれないが。。。でも、結果としていい感じに過ごせているので良しとしている。

以前の自分だと、
あれもこれも絶対にやってやるんだ!
ってすごく力が入っていた。
視野が狭くって、そこは自分の担当じゃないよ?ってことまで両腕いっぱいに抱え込んでた、みたいなところがある。
それも今となっては良い経験だけれど、空を見てゆっくり・・・なんて気持ちも余裕もあまりなかったかな。
生き急いでいる、みたいな感じ。

おそらく生と死との間を何回も経験したことで、
元気な状態のうちにやらねば!
って、本来の生き方と真逆なベクトルに振り切っちゃってたんだと思われる。
これまでの分を取り戻さなきゃ!って。

その気持ちもすごくわかるんですよ。
・・・って他人事みたいだけども。

だからほんとうにめちゃくちゃ頑張っていろんなことやってた期間があって。もうどれひとつとしてその期間にやってたことは残っていないけれど。


そこを越えて、いまある感覚はもっとシンプルなもの。
そしてそれは、自分が死に限りなく近くなった時に感じてた感覚とも似ている。

そのとき願ったことは
「自分の足で外を歩きたい。何も考えず呼吸をしたい」
それだけだった。

そしてその願いは叶いました。
自分の足で、一人で外を歩いたとき、頭上に広がる青空を見て涙が止まらなかった。
あんなにもきれいな空を見たことはなかったです。

それは何の変哲もない毎日そこにある普通の青空。
でもほんとうにキラキラ光って見えて、その光が自分に降ってきていた。

空気だってきれいじゃなかったはず。
交通量の多い、近所の道を少し歩いただけだったから。
でも意識することなくできた呼吸で入ってきた空気は、美味しく感じられた。

目の前にあること、自分を含めたこの世界があたりまえのように存在すること。
その全てが愛おしくて美して嬉しくてたまらなかった。

「生きてる。生かされる。」
って実感しました。

あの時の感覚はずっと忘れない。
自分の細胞に深く深く刻み込まれている。


その状態からもっと元気になって、ハチャメチャなベクトルに行っちゃった時期はあったけども、そんな時でもこの感覚はちゃんと深いところに大切にあった。

なんて贅沢なんでしょうね。
生きてるのが当たり前となってしまったら、あっという間に無茶し始めちゃうんだから。
そしてそんな経験をも人間はできてしまうのだから。

いまはあの時の感覚をハチャメチャ期よりはすぐに思い出せるし、シンプルな感覚はそこに近いものがある。

これからも色んな願いはきっとずっと持っていくのだろうけれど、そしてそれが生きるということなのだと私は思っているのでいいのだけれど、でも何があってもあの感覚をいつでも取り出せるから「だいじょうぶ」って思える。

色々な経験はシンプルな軸の味付けにすぎなくて、でも色んな味のバリエーションがあるから楽しかったりもするのですよね。

でも人間最後はシンプルな味に戻りたくなってしまうもの。
疲れた時は白飯に味噌汁、みたいに。

だからきっと最後は、たくさんの経験という味付けに感謝しつつ、シンプルな自分軸に戻っていくのだろうと思います。
そういう風に生きていきたいな、と思っています。

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