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歴史・人物伝~エピソード編⑱:仁科盛信「信濃の国に歌われた若き勇将」

長野県民なら誰でも歌える県歌「信濃の国」の歌詞に、歴史上の偉人が登場する一節があります。木曽義仲、太宰春台、佐久間象山といった人物と共に「仁科五郎盛信」が出てきます。仁科盛信とはどんな人物なのでしょう?

盛信は武田信玄の五男に生まれ、信濃の豪族である仁科氏を継ぎ、信玄の信濃攻略の一翼を担います。信玄の死後も兄で後継者の勝頼に仕え、信濃の重要拠点である高遠城を任されました。

織田信長による武田征伐が本格化する中で、武田氏に臣従していた信濃の豪族たちは次々と織田方に寝返っていきます。そんな中で盛信は勝頼を裏切らず、織田信忠の総攻撃に対し、籠城戦で立ち向かったのです。

圧倒的な大軍を率いる信忠は、盛信に投降を促します。それに対し、盛信は徹底抗戦する覚悟を見せつけました。しかし、二つの川に挟まれた天然の要害である高遠城も、大軍の前にはあっけなく陥落します。

盛信は自刃して果てました。年は20代半ばだったそうです。高遠城を落とした信忠は、怒涛の如く甲斐に進軍し、ついに勝頼を滅ぼしてしまいます。盛信の戦いは、武田氏最後の抵抗だったのです。

仁科盛信が最後まで主君(勝頼)を見捨てなかったこと、大軍相手に勇猛果敢に戦ったことが、後の世まで長く語り継がれていき、やがて県歌「信濃の国」で歌われるようになったのです。


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