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歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:佐久間信盛は追放されるような失態を犯したのか?検証してみました

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。

「戦国ヒストリー」は、丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジンといううたい文句で、戦国時代を中心に源平時代から近現代史まで、時代もジャンルもバラエティに富んだサイトです。


今回の掲載コラムご紹介は「佐久間信盛は追放されるような失態を犯したのか?検証してみました」です。

佐久間信盛は戦国時代に織田信長に仕えた武将で、信長が家督を相続した時にはすでに織田家の重臣の地位にありました。柴田勝家と並ぶ最古参の家臣にもかかわらず、晩年は信長に追放され、織田家を去ることになった人物です。

信盛が追放されたのは、信長の天下統一目前となった天正8年(1580)でした。しかも信長は、過去の不始末(と思われる出来事)を延々と書き綴った折檻状を突きつけて、信盛とその子・信栄を放逐してしまったのです。

戦国時代のテレビドラマや映画では、追放されたという史実があるためか、どうしても影が薄い存在となってしまいます。ただ、信盛は「かかれ柴田に退き佐久間」と言われたように、戦略に長けた優秀な武将だったことは間違いありません。

コラムでは、太田牛一が書いた「信長公記」をもとにして、折檻状に書かれていた信長の言い分を紐解き、佐久間信盛に成り代わって「言い訳」をしてみました。
よかったらぜひ読んでみてください。

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