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歴史・人物伝~関ケ原編番外コラム:西軍勝利をシミュレーションしてみる

歴史・人物伝~関ケ原編を史実に基づいて①~⑳まで書いてきました。合戦は東軍の圧勝、西軍の大惨敗に終わりましたが、西軍が勝つとしたらどんなケースだったのかを考えてみました。

私がキーマンに挙げるのは、西軍の総大将で毛利家当主の毛利輝元です。輝元は、秀頼を守る名目で大坂城に詰めていたものの、家康らとの戦いにはあまり積極的ではなく、領地を守ることが最も重要と考えていました。

もし輝元が東へ向かって出陣し、関ケ原で布陣するか、少なくとも後詰として佐和山城(石田三成の居城、彦根市)に入っていたら、合戦の様相は一変したと考えられます。

輝元が西軍の旗印になれば、吉川広家も日和見というわけにはいかず、西軍として参戦を余儀なくされるでしょうし、毛利一族を継いだ小早川秀秋も東軍に寝返らなかったのではないでしょうか。

布陣だけ見れば、西軍が有利であることは一目瞭然で、輝元参陣で両軍が激突すれば、西軍に勝機があっただろうと思います。最悪の場合、家康が合戦で討ち死にすることもあり得ます。

もっとも輝元の出陣となれば、徳川家康も戦略を練り直し、関ケ原での合戦そのものがなかった可能性があります。その場合、歴史はどう変わっていったのか・・・そこまで深追いすることはやめておきましょう(笑)

noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!