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歴史・人物伝~人物エピソードetc

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人に歴史あり・・・歴史を語るなら人物を語りましょう!「歴史・人物伝」マガジンでは、過去の連載コラムのほか、人物にまつわるちょっとしたエピソード、そのほか雑記コラム等をまとめていま…
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2020年10月の記事一覧

歴史・人物伝~松陰先生編③全国を歩き、自分の目・耳で学ぶ

歴史・人物伝~松陰先生編の第3回です。 20歳前後の若さで藩校・明倫館で兵学を教える身と…

歴史・人物伝~松陰先生編②幼き頃から学問に打ち込む

歴史・人物伝~松陰先生編の第2回です。 吉田松陰は、1830年に杉家の次男として生まれ、…

歴史・人物伝~松陰先生編①吉田松陰が「先生」と呼ばれる理由は?

幕末から明治にかけて、長州藩(山口県)出身者が大勢活躍しました。明治のリーダーだった伊藤…

歴史・人物伝~幕末の革命志士・吉田松陰を書こう!

思わぬ大長編となった歴史・人物伝~関ケ原編が終わり、一息ついたところで次の構想に入ってい…

歴史・人物伝~関ケ原編番外コラム:西軍勝利をシミュレーションしてみる

歴史・人物伝~関ケ原編を史実に基づいて①~⑳まで書いてきました。合戦は東軍の圧勝、西軍の…

歴史・人物伝~関ケ原編⑳論功行賞と処分の実権を握った徳川家康

歴史・人物伝~関ケ原編の第20回、最終話です。 徳川家康率いる東軍が圧勝し、石田三成ら連…

歴史・人物伝~関ケ原編⑲中央突破で武勇を示した島津義弘

歴史・人物伝~関ケ原編の第19回です。 戦国時代の九州で圧倒的な力を誇っていた島津氏。豊臣秀吉に屈服したものの、その武勇は全国に名をとどろかせていました。島津義弘は当主・義久の弟で、多くの戦いに出陣した猛将として知られています。 島津軍は、家康方が守る伏見城へ援軍に出向いたものの、留守居の鳥居元忠が入城を拒否したため、西軍に参陣することになりました。関ケ原の合戦では、石田三成の南側に1500の軍勢で布陣します。 合戦が始まっても島津軍は積極的に交戦せず、三成の家臣が出陣

歴史・人物伝~関ケ原編⑱合戦の勝敗を決めた小早川秀秋の寝返り

歴史・人物伝~関ケ原編の第18回です。 関ケ原の合戦は東軍西軍ともに相譲らず、数時間にわ…

歴史・人物伝~関ケ原編⑰父譲りの調略で貢献した黒田長政

歴史・人物伝~関ケ原編の第17回です。 西軍の総大将だった毛利輝元は、毛利一族を一枚岩で…

歴史・人物伝~関ケ原編⑯毛利家への思いが異なった二人の人物

歴史・人物伝~関ケ原編の第16回です。 西軍の総大将に担ぎ出された毛利輝元は、徳川家康と…

歴史・人物伝~関ケ原編⑮徳川家の面目を保った井伊直政

歴史・人物伝~関ケ原編の第15回です。ここからは、関ケ原の合戦当日にキーマンとなった人物…

歴史・人物伝~関ケ原編番外コラム:関ケ原の合戦の布陣を考える

歴史・人物伝~関ケ原編を執筆中ですが、本日は私自身が「関ケ原の合戦の史跡」を旅行した時に…

歴史・人物伝~関ケ原編⑭「キリシタンが選んだ道」小西行長

歴史・人物伝~関ケ原編の第14回です。 西軍の主力武将の一人・小西行長は、堺の商人の子に…

歴史・人物伝~関ケ原編⑬「家康の信頼を勝ち得た大名」藤堂高虎

歴史・人物伝~関ケ原編の第13回です。 東軍(家康方)の主力部隊の一つだった藤堂高虎は、主君を変えながら出世を続け、家名を残した「世渡り上手」と言われます。マイナスイメージを持たれがちですが、実際はどんな武将だったのでしょうか。 高虎は近江(滋賀県)の出身で、はじめは浅井長政の家臣でした。浅井家滅亡後は主君を何人か変えましたが、豊臣秀吉の弟・羽柴秀長の家臣になってからは、秀長の元で秀吉の天下取りに尽力しました。 高虎が、福島正則や加藤清正と違うのは、同じ豊臣家恩顧の大名