見出し画像

無印良子さん(29)

「りょうこちゃんって、本当に良い子だよね」


もう良い「子」と言われるような年齢じゃなくなっていたけれど、

いまだに私はその名前のとおりに生きているらしかった。


良子。

別に、無理に「良い子」でいよう、と思っていたわけではない。

ただ。

人に嫌われたくない。

そんな思いは人一倍強かったと思う。

幼い頃に経験した、何気ないいじめ。

きっかけは、忘れた。

それくらい些細なことだったんだろう。

でも、その時に経験した黒い気持ちは忘れられない。

女子たちがクスクスと声を殺して笑う恐ろしさ。

ひとりで歩く帰り道の寂しさ。

集団の中で味わう孤独。

もう経験したくなかった。


「良い子だよね〜」

だからこそ、そう言われると、すこし安心した。

良い子だと言われている間は、嫌われないと思ったから。

そうじゃないと、誰かと一緒にいてもらえる自信がなかった。


「良い子」はなんとか作り上げた、虚構の「良い子」だった。


自分のために、人にあわせてきた。

自分のために、人にやさしくした。

自分のために、人のやりたいことをした。


いつの間にか、アイデンティティが、「誰か」になっていた。



そんなことに気づいたのは、思ったよりも人生が進んでからだった。

社会人8年目。もういい年次になってきた。

今までは、「誰かのために頑張る」自分を評価してもらえた。

かといって、言われた仕事だけすればいいと

思っているわけでは決してない。

ただ、言われそうな仕事を先取りすることは得意だった。

そう。いつだって主語は「誰か」だった。

そこに私の意思はなかった。

そんな時に、降ってきた言葉がこれだ。

「自分のやりたいプロジェクトを企画してみてよ」

はた、と気づいた。


ああ、私は今まで、誰かの人生を生きていたんだ。

私の中には、私がいない。

私は、何がやりたいんだろう?


急に自分が何もない人間のように思えてきた。

29年間、確実に、毎日何かを考え、

何かを選択し、生きてきたはずなのに。


普通。

平凡。

無個性。


私のアイデンティティを表すとしたら、

そんな言葉なのかもしれない。


こんな自分と、一生生きていかなければならないなんて。



そんなときに、彼に出会った。


「良子ってさあ、すっごく良い子で、すっごく普通よね」


トシキ。彼は、ゲイだ。

美容師をしている高校時代の友人と飲んだ時に紹介された。

存在自体が個性のように思える。

私は、トシキがまぶしかった。

彼には彼の葛藤があるだろうことはもちろん想像できる。

でも、自分の色がない私にとって、

彼の存在はとても鮮やかなものに思えた。


「ねえ、どうやったら普通じゃなくなれるかなぁ…」

「なあに?そんなことで悩んでるの?」

「でも、もう30になるのにさあ…」

「バカね。50歳でゲイに目覚める男もいるのよ?」


それに、と続けた。


「普通であることだって、あんたの個性よ。

 誰にでも、どんな環境にもなじめるのは、あんたの個性よ。

 私には、なれないんだから」

ここでは、自分のために、書いたり、描いたりしてみようと思います。