【見出しの功罪】記事の内容と本旨が異なる
…うーん…
…俺が「読みたい内容」じゃない…
これは某ネットニュースの記事を読んだ時の感想である。
…最近、多いよな…
…「キャッチーな見出しをつけておいて、全く別の記事を書く」奴…
…「発想がスパムメールに似ていて感じが悪い」んだよな…
恐らく、その記事を書いている奴は「キャッチーな見出しをつけないと人の目に当たらない」事を知っていて、「小手先のテクニック」としてやっているのだと思う。
この手法は別に真新しいものではなく、特に「週刊誌などで多用されてきた手法」である。
…「人に読んでもらえなければ述べたい事を伝えるチャンスすらない」のは「間違いではない」んだけれど…
…方法論として、些か「乱暴」な気もするんだよな…
…何故なら「1000人が読めば1人くらい琴線に触れるだろう」的な感覚って、「スパムメールを送りつけてくるハッカーの感覚に近い」気がするんだよな…
…まあ、ある意味「物事の本質をついた手法」ではあるんだけど…
…「ニュース記事でそれをやるのはあまり感心できない」な…
まあ、これはあくまでも「ひろぴょんの主観でしかない」のだが、記事を読んで「嫌な気持ちになった」のは事実である。
少なくとも、新聞では「この様なやり方はしない」から、余計に「違和感を感じる」のかもしれない。
…それとも、ネットニュースは「新聞と同レベルで考えてはいけない」ということなんだろうか…!?
…うーん…
些か「疑問を禁じ得ない一件」があった。
…せめて、自分が記事を書く時は「そうならない様に気をつける」しかないな…
自分を戒めるには「丁度よい教材」となった一幕。
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