文学(短歌)とリレーショナルアートの出力について
文学というのは1人で机に向かい作るもの。読んだ時の大きな感慨を味わうのもまた1人。文学の醍醐味は孤独にあると言えるだろう。
私は他人と接することによって作用するリレーショナルアートに興味を持っている。このふたつの性質は大きく乖離しているように思えるが、実際はどうなのだろうか。これらの要素について私なりに掘り下げて、共通点や共存の方法を模索していきたい。
そもそも文学とは何なのか、定義をしよう
・芸術表現による作品。
・技術を凝らして制作したもの。
・実存する文章に読み手が解釈をすれば文学になりうる。
➡️多様化が進む現代において、文学の範囲が広くなっていることがわかる!そもそも文学以外でも、美術音楽性いろいろ解釈が広がりすぎて難しい( ; ; )自分なりの解釈・定義をしよう。(解釈・無料なので)
【中原の文学の定義】
心躍る、激情、浮遊感、が感じられる文章。そこに作者が他者に伝えたいという意思があるものだけでなく、読み手が意図を汲み取りたくなるほどのアツいグルーブがあるか。
例・吉本ばななの白河夜船を読んだ時のなんとも言えない(ウワーン❕な)激情。・立ち読みしていた短歌集で信じられない1首を見つけた時のバカデカ感慨。・何故か納得してしまう謎啓蒙ツイを見た時。・Twitterにて信じられないくらい透き通った言葉の羅列を見た時。・短歌ネプリが良すぎて思わず涙を流してしまった時。
これらを経験をさせてくれる作品は間違いなく文学であるだろう。
文学の中の短歌について
特に、私は短歌に深く興味がある。この1年間は短歌を主軸に作品を作ってきたし、これからも色んな形でやっていこうと思っている。文学の中での短歌はどのような存在だろう。
和歌などには触れず、戦後から発生した現代短歌について考えようと思う。
・社会的大ヒット「サラダ記念日」
ポップな口語体で当時の女性の等身大の恋模様がリズミカルな短歌と奇跡的最高マッチングして、みんなびっくり驚き❕現代短歌は社会的地位を得る。
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・ニューウェーブ短歌(サブカル的、、!)
これ以降は、短歌はサブカルぽい雰囲気を纏い進んでいく。
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・SNSの普及。主にTwitter。
31文字の短歌とSNSの手軽く情報を取得できる性質がめちゃ相性が良く、どんどん拡がっていった。有名な歌人もそうでない人もみんなTwitterで自分の歌を発信している。
短歌の特徴はなんといっても独特な日本文化のリズム感だろう。制限された31文字の中でどれだけ自由な表現を見せつけることが出来るか。他より逸脱できるか。みたいな側面もあるも思う。
かの有名な歌人木下龍也はこう述べている。
例えば
この歌は共感(うんうんそうだよね)のうただろうし
これは納得(そう言われてみればそうだよね)の歌に分類できると思う。
完全に分類じゃなくて全てはグラデーションだけど、とにかく自分にしかない観点や価値観をどの塩梅で出力するか。(だから、よくわからない短歌を邪険に思わず、逃げとも思わず、抽象度の高い言葉の並びの響きの綺麗さに重きを置いているだけなのだ❕ )が、現代短歌の最大の魅力だと思う。そして、31文字ゆえに気軽に読めるし気軽にかける。俳句は短すぎるけど小説なんか書けないし、とはいえ詩は少し小っ恥ずかしいのなら、フォーマットはもう決まっている短歌をオススメしたい。簡単に味わえるから芸術の中の文学の中の短歌はまじで取っ付きやすい部類なのだろうと思う。
文学の性質
文学の方に話を戻すが、このように、作品と自分の対話により文学は形作られる。しかし″対話″とはいっても、文学は原則不特定多数に伝えられるものなため、2人きりではなく、それはやはり1人なのだ。
文学は孤独でこそ深く味わうことが出来る。
リレーショナルアートとは?
リレーショナルアート
作品の内容や形式よりも「関係」を重んじる芸術作品の総称で、1990年代後半から浸透。アートを日常性と対立したものではなく、相互に依存し、作品制作のモチベーションにも不可欠な関係にあるとする立場、もしくはそれによって生み出される作品。
有名な作品にリクリット・ティラヴァニの〈パッタイ〉がある。
な、なるほど〜💦
て気持ちになりつつしかし。パッタイは咀嚼され消化され排泄され物質は完全に失われる。モノではなくそのものの関係性・概念にデカ着目するって、面白い。
孤独故に強い激情を味わうことが出来る文学。対して他者との関係性に重きを置くリレーショナルアート。本などの物質が主な文学。脱物質的なリレーショナルアート。
これらはやはりかなり乖離した存在である、、
例
ここから、これらが共存できる出力法について考えてみようと思う。
①音喫-BOOMKITSU- サイファー読書会with高円寺サイファー
六本木にて開催された、ビートに合わせて本を朗読するという観客参加型のオープンマイク式読書会。ビートに乗せ、声を出し体を動かしたりしてみることにより新たに見えてくる一面があるのだろう。
これは創作や表現をしたいと思っていても中々踏み出せない人へのイベントらしい。既に完成されている文学作品とビートにのせて、ただ読み上げても歌うように読んでもラップ調で読んでも大きな声でも小さな声でも、簡単に形になる、という経験を観客に味わわせるのだろう。
このイベントのもうひとつの側面として、文学作品を音楽・ラップという媒体を介して表現しているところだ。そして観客参加型により、パフォーマンス要素があり人と人を繋げている。
②夏休みの駅前100枚短歌配布
意図せずリレーショナルアートのようになった。私は何も目的を持たず、ただ何となく何かしなければならないなと思い行ったものである。
ティッシュ配りと宗教勧誘のすぐ近くでやっていたため、おばさんのガンダや何十人もの人に連続でスルーや生意気なガキ何か言われるという爆・おもろエピもあります。(わら!)しかし、たまたま出会った方、面識は無いけど貰いに来てくれた方、親しい友人。色んなコミュニティーが混じり合い、私の短歌を媒体として人々が繋がりあったことが私にとってとても嬉しく、大きなものになっているなと思う。
将来の展望
・balloon studio 渋谷 6/24 6/25
・ショナビ祭 大船 7/7
にて、これを題材にした制作を行います!
今のところ、短歌を媒体として、他者と触れ合っていく、ハイになる作品を作りたいです。
是非来て欲しいですが‼️皆さん忙しいと思いますので、私に思いを馳せていてくれたらうれしいです。
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