先に進まねば

学生時代の思い出。時は嘘のような速さで過ぎ去って、気が付くとそこは止まった時間から遥か先に進んだ場所だった。
自分はもう大人と呼べるような年齢になったものの、実際の意識としては学生時代のまま止まってしまっている気がする。自分が当時思っていた大人は今の自分よりももっと大人な存在だったように思う。今自分が一応の大人になってみて思うことは、なんとも不十分で物足りないという感覚だった。いつかはそこから抜け出すことは出来るのだろうか。今の自分をあの頃の自分が見た時にどう思ってくれるのか凄く気になる。自分は大人になれているのだろうか。
最近割と真剣に恋愛について考えることが増えた。「モテないと」と真剣に思うようになった。自分は勿論作家では無いのでこんなことを言うのは何ともおこがましいのだが、つい最近「モテる作家とモテない作家の違い」という話を聴いて何とも納得してしまった。もし自分が作家なら明らかに「モテない作家」だ。書く文章からしても到底モテていれば書かない文章だろう。太宰治の様な文章は到底書けそうにない。モテない自分史を語れば主に学生時代の話になって来るだろう。
小学校入学前は何故かモテたが、そんな頃にモテてもしょうがないので小中高の話をすると、それぞれの段階においてそこそこのところまでは毎回行っていたのだと思う。
小学生の頃は毎日のように一緒に帰っていた、習い事も一緒に通っていた仲の良い女の子が居て、周りからも「付き合っちゃえよ」とかはやし立てられるくらいに仲が良かったものの、その時の心地よさに甘んじてしまい、そこにとどまろうとしていた自分が居た。遂に卒業式になってそのタイミングで告白しようかなとも思ったが、「やっぱり良いかな…」ってなった自分が居た。中学に入って暫くしたら「やっぱり告白する程じゃなかったな、正直なんで好きだったんだろう…」って思うまでになっていた。ただ、一緒に帰るのが楽しいだけで、周りからのはやし立てが心地よいだけ、周りのはやし立てに対してお互いに反論するものの「悪くないな」って思うラインが自分としても楽しかっただけなんだと思った。この感覚はこの後も続いた。そういったことに具体的に気づいたのは高校卒業間際だった。

中学に入ると特に恋愛に対しての興味は無かったが異性に対しての興味が芽生えた。おそらく自分が恋愛ってものを知るのは中学三年くらいだったように思う。
何故か中学時代の記憶は朧気で、そこだけぽっかり空いたみたいにあまりよく覚えていない空白があった。でも中学三年になってから初めて恋人(厳密にいうと違うかも知れない)が出来た。もう少し言うなら一応告白もしたし恋人関係にあった女の子がいた。彼女が意外にもその後の自分の恋愛観をそれなりに形作ったように思う。だけど一年くらい付き合った後にあっさりと別れた。告白も電話でだったなら、別れも電話でだった。暖かくて、濃密で、でもあっさりとした別れだった。それでもその彼女とは一年ぐらいかけて友人関係になるまで関係を修復させて今でも友好関係はある。
それから先だってモテないなりにも幾からかのチャンスはあった。仲の良い女の子も人並みには居て、なんとか頑張って押しに押して気になっている女の子に連絡をとったり誘ったりもした。でも何かとうまく行かないのは自分の幼さからなのか、自分にそもそも何か欠けているのか。付き合う一歩手前とも行かず、二歩手前、三歩手前で衰退してしまう。そこに甘んじてしまいそれ以上に踏み込む勇気や覚悟を持てない自分がいた。
高校高学年になると自分の中に突如年上の女性ブームがやってくる。なんというか、まったくと言って浅はかな考えなのだが、年上の女性と少なからずの関係を持つことでモテない自分にある程度の自負を持たせていたのかもしれない。でもこういった関係も悉く上手く行かずに失敗してしまう。この時期に自分が一番言われたのは、「あなたのことは大好きだけど、どうしても可愛い弟になってしまう」と言う類のものだった。そして更に彼女たちは揃って学生の自分よりも遥かに年上の男性と付き合うことになるのだった。何というか悲しい定めだな……。まあ当たり前だと言われれば当たり前なのだがその頃から自分の年上男性に対する強い憧れとそれに反する多大なコンプレックスが始まる。「どうせ年上が好きなんだろ?」と年下男子の魅力特集や年下、後輩君との……みたいな体験談を見ながら「なんだ、全て妄想か?」みたいに腐っていた自分がいました。
そんなこんなな経験を経てどんどん大学生になってからも引きずって腐りながら血迷っていくのですが、大学以降になると自身の体験よりも過去の自分を分析して、自分がどうすればモテることが出来るのかを真剣に現在進行中で研究しだすのでまたそれは今度の話と言うことで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?