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「起こることには意味がある」

「起こることには意味がある」

 

とは、よく言われることですが、「意味があってもなくても、そんなことはどうでもよろしい!シンドイものはシンドイのよ!え~ん!!!!」

と、かつての私は思ったものです。この苦しさ、いつまで続くのか。いつまでこんな状況に振り回されにゃいかんのか。あーもう誰かなんとかしてぇーーーーと!(苦笑)

10年から15年位前がピークだったかな。とにかくずーっとそんな状態で、ほんとに苦しかった。やっぱり死ぬと楽なのかしら、なんて思ったこともありました。 


しかし。今はそこからようやく抜け出ることができたみたい。それもつい最近ですけどね。少しずつ抜け出ていたのかもしれません。正社員を辞め、起業もどきを始めるもなんだか中心が定まらず、アルバイトを始めたあたりからでしょうか。不思議だね、経済的不安定な状態に突入したのに、楽になったとは。。。笑


収入も減り、老後2000万円問題なんて言われるとヤバいなぁ、とは思うものの、気持ちとしてはかつての苦しさに比べればダントツに楽。   


なんででしょうか。かつてとの違いはなんでしょうかね。

 

一つ言えることは、

前に進む推進力を自分でコントロールできるようになったこと。


つまり、日々マイペースでいても、罪悪感も引け目も感じずにいられるようになったこと、でしょうか。アルバイトの身分になったことも大いに関係しているように思います。

 

かつての私は、「〇〇せねば」「〇〇できるのが当たり前」「〇〇はこうすべき」「家族だから、娘だから、父母の面倒を見るのが当たり前」「好きなことは収入を確保してからやるべき」「誰にも迷惑をかけてはいけない」「働くなら正社員は当たり前」etc etc…、お決まり事を山のように作り、大人なんだからそんなこと当たり前でしょ、と本気で考えておりました。 

 

良識、常識、大人として、真っ当な社会人として、、、、当たり前。 

 

ところがです。。。これに従うほど、心が苦しくなって、やる気が出ない。そして、なぜか家人にも責められることが多くなってくる。

なんか変。でも間違ってはいないはず。できないのは私が至らないから?

いや、私はできている、できるというほどのことでもないよ、当たり前のことなんだから。。 

 

あー怖い。これほど大人になっても何かにコントロールされていた私。 

 

しかし。この呪縛が解ける日が突然やってきました。呪縛解除のチャンスは意外なところから。。。正確にいうと、数年前から1ミリくらいずつは呪縛は解け始めていたのかもしれません。正社員を辞めて、起業したいなと思いつつ、やはり不安で転職サイトを眺めたりもしていて、ポッカリと会社に行くことがなくなったあたりから、少しずつ少しずつ。 

 

でも、今振り返ると、まだまだ。まだまだどころか、まだいい子でいたかった。企業で出世を夢みてた。まだ今頃!?(あー怖い!)  

 

家を出るの巻


蝉の大合唱かまびすしい昨年8月中旬、父が1か月入院することになりました。少々やっかいな疾患であったこととコロナ騒動もあいまって、父にとってはしんどい入院生活だったろうと家族全員気を揉んだ1か月間だったこともあって、退院が決まった時はホッと胸をなでおろしたわけなのですが、それも束の間、なんと今度は母が腕を骨折し、家のことはお手上げ状態となりました。 

 

要するに父を家に戻すことが難しくなったわけで、仕方がないので病院に事情を話し(というか、両親同じ病院にかかっていたので事情を共有してもらって)、父の退院を1か月延期することにしたのでした。その間、父母と同居していた私は、キッチンに立てない母の代わりに、仕事の合間をぬって、病院の食事を受け付けない父のために、食事作りに精を出し、病院にせっせと通い続けました。 

 

それ自体は全く問題なし。いいのです。こんな時はお互い様。同居しているわけですし、困ってるわけですから。 

 

母の腕の状態がなんとか目途がつき、父の退院にあたって介護のあれこれを相談し、手筈を整え、家の中が少しずつ通常に戻り始めていたある日。 

どうしても必要な所用のため、日曜日に出かける準備をしていた私に、母は言いました。なんでこんな時に出かけていくのか、自分のことばかりやって、いい加減にしろ、と。。。

 

実を言うと、こういう言い草は今に始まったわけではありません。思い返せば、私が学生の頃から、そう、うん十年も前からこういう言い草をする人ではありました。長らく家を離れていて10年前に家族の事情により実家に戻ったわけですが、意に沿わない外出には、母はことある事に文句を言って、しまいには発狂じみた状態にまでエスカレートすることが常でした。 


感情の発作を起こす母に対して、なんとか自分の気持ちをなだめて意に添うように振舞う。今回もそれでいいじゃない。さあ、出かけないと。 

 

感情がエスカレートしている母を尻目に家を出て、終日の用事を済ませ、家に戻ってみれば、なんとまだ収まっていない様子。自分の思い通りに人が動かないと気が済まない母なので仕方ないなと思うものの、自分の言葉にヒートアップしてきた母はだんだん手が付けられない状態になっていき、理解しがたい最後の文句を喚き始めました。 

そんなんなら早く出ていけ、出ていけ、出ていけ。 

 

過去、何度も何度も、何かあれば出て行けと喚き散らし、その度に喧嘩になるも、もう最近はあまり取り合わなくなって、気持ちは聞き流したいモード。だって疲れますものねぇ。ええ、いい年して喧嘩も疲れます。でも最後は人を馬鹿するな、出てけ、と始まる。罵詈雑言、エスカレート。 

 

一体この人は何を言っているんだろうか。骨折も何もかも、自分を棚に上げてなぜここまで人を責めなきゃ気が済まないんだろうか。何かおかしい。やっぱりおかしいよ。そこまで私、悪くないはずだけどな。 

 

静かに聞いていたけど、心と頭の中心のそのまた中心で、パチンと何かが弾け切れた。。。 

 

父の入退院、自身の骨折後の後始末にも感謝言葉一つない。挙句に、思い通りに動かないと責められる始末。 


気付きなさい。気づきなさい。早く。早く。もういいんだよ。いいじゃない。なにが怖いの?早く気づきなさい。 

 

瞬間、出よう、この家出よう。なんの段取りもしていないけど「家、出よ」。即決。もういい。 

 

びっくりするほど、瞬時に腑に落ちて、腹が座った。その瞬間から深呼吸ができるようになったんだから。たぶん、ずっと長い間、私はそうしたかったのだと気付いた。 

 

10年前に父が前立腺ガンを患い、経過良好になった途端、認知症発症、軽微ではあったけど、帯状疱疹を発症したことを機に、一気に認知症が進み、母一人での世話はなかなか厳しいと思っていたこともあって、責任を引き受けていたつもりでいたのかもしれない。 

 

とはいえ、やって当たり前、できなければ責められる。そんな腑に落ちない堂々巡りの状態でも、病気の人を残して何かをするというのは、大人の判断ではないな、と思い続けていた私。 

 

母だって大変なんだからって。色々あるけど血のつながった母だしね、多少のことは目をつむらないと、と思いやってきたけど、やっぱり感情のままに発する母の言葉に、傷ついてきたんだと改めて思う。そして何かが違うとようやく気が付いた。 

  

急に体中に血が廻ってきたような気がした。 


それからの行動は早かった。早々に家を決め、母に家を出ると告げる。
驚愕と悔しさからなのか、そんなことをする筈がないと思い込んでいたからなのか、絶叫し罵られますが、そんなの知ったこっちゃないよ、介護は夫婦の問題でしょう、とびっくりするほど簡単にわり切れましてね。出てくなら縁を切れといわれたが、父には会いたいからイヤだと言って。  

 

父の顔と様子は見に来たいのでこちらにはたまに寄らせてもらいます、でも、あなたの、母の顔を見たくもないので、そのつもりで、と。 

 

今までの我慢が堰を切ってあふれ出し、溢れると同時に腹がどんどん座っていきました。気持ちいいくらいに。 

 

あなたはあなたの人生。私は私の人生。 

 

怒号の中で荷造りをして、昨年末に引越しを終え、年明けから週末だけ実家に行く生活に。よもや50代でこんなことになるとは半年前には予想もしなかったこと。とはいえ、父の容態が気になることと、大量にある薬の服用判断とセッティングは母には無理と判断、そのためにだけに週末行くことに決めました。 

 

任務遂行、責任感をもって。第一段階は家を出る、という行動で自分の中に境界線を作ることに成功し、自分軸の確立に一見成功したように見えたけど、まだまだだったんですよ。なんとあと一歩、行けてなかった。それが分かったのが2か月前。あ~心のリハビリはそう簡単には終わらないんだな。 

 

コロナ騒動の最中、父のデイケアとワクチン接種の判断を主治医に求めた結果、とても真っ当な意見を主治医が下さったので、主治医の言う通りでいいのではと意見が落ち着いたように見えたが、土壇場になって母のわがままが出た。挙句に、あんたの意見にはこちらが年寄りだから従ってあげてただけだというような言い草の母親に、再び、ああ、私甘かったなと。 

 

 

もう、父の介護から一切の手をひこう。近所には妹もいることだし、できる範囲のことを夫婦でやればいいだけ。できないなら施設に入ればいい。あなたの好きなようにやればいいよ。何もここまで言われながら私が一切を引き受ける必要はない。今回で本当にキレた。同時に吹っ切れた。  


 

見えないものが見える友人によれば、頭上のモヤが全くなくなっているよ、ずっとスポットライトが暗かったけど、今は明るくてきれいだよ、と言われました。笑 

 

この状況下、全ての判断は命がかかってくる話なので、父の対処事項も慎重かつ無理しないこと、と肝に銘じて助言してきたけれど、最後の最後まで自己愛と業が強い母親を、もう見限ることにしました。 

 

父には申し訳ないけど、相棒として母を選んだ父の人生も、私の関与するところではないとはっきり自覚し、私は目が覚めたのでした。もう全てあなたの良いようにして下さい。私の責任の範囲は終わりましたので、とね。 

 

こうまでなって初めて自分を守る行動に出ることができた。そして、こうなって初めて母の考える常識の呪縛に気がついた。。。 

 

「〇〇できて当たり前」「大人なら」「娘なら」「〇〇すべき」「みんなができて当たり前のこともできないなんて…」etc…。全て母の日常の言葉でしたが、私はこの言葉に支配され洗脳され、いつも母の顔色をうかがっていたことにやっと気がついたのです。 

 

もうあなたたちには責任は持ちません。そうはっきり言えるようになって初めて、どれだけこの言葉の呪縛を受けていたかを知ったのです。 

 

やっぱりおかしかったんだ。何がおかしいのかわかった。ようやくおかしさのカラクリに気がついた。おそらく、このカラクリは、社会の、世間のカラクリでもあるに違いない。そして、母の基準で、社会の基準で、これまで生きてきたことにハッキリと気がつきました。

 

自分を尊重できていないと「守られている」ことには気付けない。 

 

さて。随分長い前置きとなりましたが、そもそも「自由にのびのびと生きていく」 には、自分軸がしっかりないとできません。 

 

自分軸とは、自分を尊重すること。自分の底力とでもいいましょうか。 


今回の一連の騒動で、今まで「自分」は無意識的に「母」との境界線 を引けていなかったことに気がつきました。母は母の正しさの中で生きてきたわけですが、それは私の人生には関係のないことのはず。そもそも正しいとか正しくないと論じること自体ナンセンスですよね。 

 

母基準、社会基準に自分を当てはめて、その基準通りに生きることを自分で選んでいたけれど、それはつまり、自分を全く尊重できていなかったということ。

 

いつも責められていたから、私が間違っているのかもしれない、と思うことにして諍いを諫めていましたが、母の価値観と振舞いの押し付けに私が抵抗できなかったこと自体、私の自分軸がゆれていた、つまり自分を尊重できていなかったということなのです。自分の尊厳を曲げてまで合わせる必要はどこにもない。  

 

自分を尊重できるようになると、評価とかいうものが気にならなくなり、自分でいることに無理がなくなります。当たり前ですが、「自分でいていい」とわかると、自分に集中できるようになり、いい意味で自分基準で行動することができるようになります。 

 

そういう状態になって初めて、「守られている」という感覚も腑に落ちるようになりました。自分を尊重できていないと「守ってください、神さま!」「早く願いを叶えてください、神さま!」「早く成功させてください、神さま!」早く早く叶えて神様状態。 

 

尊重できるようになると「いつでも守られている」「だからやりたい方向に私利私欲がなければ必ず成功するってわかってる」「人事を尽くして天命をまっても焦らない」状態。

 

この違い、大きいですねぇ。 

 

昨年までは尊重できていなかったので、「やりたいことで成功できるでしょうか?神さま」状態に加え、ふとした拍子に「別に生きていなくてもいいのにな、私…」の思いが頭をかすめる。  

 

要は、真に自分を尊重できて初めて、大きな存在に委ねられるし、囚われなく自由に生きることができるんですよね、きっと。頭ではわかっていて、自分は自由だと思っていたけれど、全く自分はそうなっていなかったんだってね。 

 

だから、この本を読んだ時、とても納得がいきました。 

 

「どんな出来事も意味があって起こっている」 


まさに。私のことよ!!そして、その出来事の意味に気付けるのは、自分を尊重できる心が育ってから。。だから人生ややこしい。渦中では気づけないものなんだな。とはいっても、必ず気付けるようになっているのも人生なのではないかな。 

 

謙虚さをもってその出来事をたどっていけば、必ず気づきと自分の歩く道には辿りつけるのです、恐らく。そしてその時に必要なのは、自分に嘘をつかず、いい意味の「もういいや、どうにでもなれ」の思い切りと行動。これもこの本に書いてある通りでした。 

 

真っ只中に気付けなくても、振り返り辿ればその意味が見えてくる。これだけでも人生随分楽になるはずです。だって出来事の意味が分かるわけだから。 

 

自分は自分のままでいい、という本当の意味が分かったこの1年。腑に落ちたところで、ベストタイミングでこの本に出会い、全くその通りだなあ、と思い至りました。 

 

癒しと医療のジャーナリスト 小原田泰久さんの著書です。気持ちが温まり、日常の中での人間の心を見つめなおせる本です。是非読んでみてください。 

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました! 


 



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