見出し画像

もうモノじゃない。存在自体が価値となる時代。

このところ、悶々としていた理由の一つに、「これからの自分の在り方」の方向性がありました。よくある話ではありますよね。自分の得意なことは、わかってはいたものの、では具体的にどうしたらいいのか?となると、なかなかわからないわけ。

 

それでもね、ず~っと考え続けていて、それも何か月も。いや何年もか。世の中の状況、私たちの新しい在り方、世の中の在り方、もっと言えば、コロナを機に完全に変わってしまったコロナ後の、私たちの歩く道。

 

たぶん、そんな難しい話ではないと思う。みんな薄々気が付いているんだと思う。それでも、本当??それでお金になるの?暮らしていけるの??みたいなね。 

 

でも、ふっと、急に降りてきた、というか、やっぱりそうだよ、というか、急に納得したんだ。 

 

「もうモノじゃない。存在自体が価値になる時代」なんだと。 

 

今までも言われてましたよね、このことって。今までもそうだとは思っていたのよ。でも、昨日の降りてきたのは、ほんとにクリアになった、その意識。


例えば、何かの素材を見つけた時に、今まではそれを元に物を作っていましたよね。どんな人に、何を届けるか、みたいなコンセプトを明確にして、販路・売り方を設定して、全部明確にして、物作りスタート。 

 

作るモノは、なるべく付加価値を高くして、それなりの高い値段をつけて。つまり、全ては物の価値を通じて、素材の価値も作り手価値も決めていた。 

 

でも、たぶんこれからはそんなことは必要なくなる。モノ作りは変わらないかもしれないけど、そこに携わる人、伝承されたことそのもの、作り手が作るプロセスにかけた愛情、そして、作り手そのものの存在。 

 

これらが大きな大きな価値になっていく。よく過疎化や高齢化で途絶えそうな伝統があるけれど、それはもう、モノに置き換えなくてよくなる。 

 

モノを買ってもらうために、知恵を絞り、PRし、で、作るより売るのが難しいからとかなんとか言って、作り手には渡る金額はほとんど残らないで、売り手やPR業者が儲かる。どう考えてもおかしい、と思っていたけれど。 

 

流通のコンサルにいたから、そのカラクリも知っていながらなんの疑問ももたず、かつては働いていて。でも、いつの頃からか、なんかこれって変じゃない?と感じ始めてはいたものの、確信をもてずにいました。 

 

でも、もう大丈夫。やっぱりそうだよ、存在そのものに価値があるんだ。その人がいたからこそ生み出される事、モノ。モノを通じての価値ではない。存在がまず一番、そこに納得した人がモノを買えばいい。 

 

工夫は必要だけど、作ったものが売れる売れないとか、つまんないPRとか、売るのが難しいとか、そうそんなことはもうナンセンスだ。 

 

ストーリー作りとは違う、存在の伝え方。それをするのが私のミッションてわかったから。もう少し待っててください。必ず形にするから。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?